東京大学史料編纂所

49.春日大社所蔵史料の調査・撮影

 二〇〇八年九月十七日~十九日、奈良市に出張して、春日大社所蔵の史料を調査・撮影し、『大日本史料』の原稿作成、大規模史料群の古典籍の閲覧を行った。マイクロフィルムによる撮影の継続が困難になっているため、今回よりデジタルカメラにより撮影を行った。所蔵者には御高配を賜り、松村和歌子氏には種々御世話になった。ここに記して謝意を表したい。調査書目を『春日神社記録目録』(春日神社社務所、昭和四年)に即して記す。法量は縦×横センチメートル。
制度(書庫) 五、口宣案
※(宣一)より(宣四二)は、口宣案の原本で各一紙の宿紙。おのおの端裏に「口宣案」とあり。全体の包紙(ウハ書「代々口宣 大東」)と記した一紙がある(ウハ書「〈春日社〉謹上 神主三位殿 右兵衛大尉為光」とある包紙を転用。三五・一×五〇・五)。各々に付せられた番号には三種があり、裏面に直接墨書された番号、貼り付けられた付箋の番号、『記録目録』の番号がある。撮影タイトルには付箋番号を用いたが、ここでは目録番号に従って排列する。
(宣一)口宣案               目録五三頁
※寛永三年三月十五日、延種任右近衛将監。紙背墨書「一」、付箋「1」。三四・九×四七・五。
(宣二)口宣案               目録五三頁
※承応元年十月十二日、延種叙従五位上。紙背墨書「三」、付箋「2」。三五・〇×四七・〇。
(宣三)口宣案               目録五三頁
※寛文二年十二月十四日、延相叙従五位上。紙背墨書「四」、付箋「7」。三四・四×五二・〇。
(宣四)口宣案               目録五三頁
※寛文五年十二月廿三日、延種叙従四位上。紙背墨書「五」、付箋「4」。三四・三×五一・九。
(宣五)口宣案               目録五三頁
※寛文七年十二月十二日、延相叙正五位下。紙背墨書「六」、付箋「8」。三四・〇×五一・三。
(宣六)口宣案               目録五三頁
※寛文元年十一月廿四日、延種叙従四位下。紙背墨書「八」、付箋「3」。三四・七×五一・七。
(宣七)口宣案               目録五四頁
※寛文九年十月廿六日、延種叙正四位下。紙背墨書「七」、付箋「5」。三四・二×五二・三。
(宣八)口宣案               目録五四頁
※寛文十三年二月五日、延種叙従三位。紙背墨書「九」、付箋「6」。三四・七×五二・四。
(宣九)口宣案               目録五四頁
※延宝四年二月十一日、延致叙従五位下。紙背墨書「十」、付箋欠(12)。三三・九×五二・三。
(宣一〇)口宣案               目録五四頁
※延宝四年二月十一日、延相叙従四位上。紙背墨書「十一」、付箋「9」。三四・〇×五二・二。
(宣一一)口宣案               目録五四頁
※延宝八年三月四日、延相叙正四位下。紙背墨書「十二」、付箋「10」。三三・五×五一・七。
(宣一二)口宣案               目録五四頁
※天和元年十一月廿一日、延致叙従五位上。紙背墨書「十三」、付箋欠(14)。三三・八×五三・一。
(宣一三)口宣案               目録五四頁
※貞享五年四月廿一日、延相叙従三位。紙背墨書「十四」、付箋欠(11)。三三・七×五二・四。
(宣一四)口宣案               目録五四頁
※元禄四年十二月廿一日、延致叙従四位下。紙背墨書「十五」、付箋欠(15)。三三・九×五二・一。
(宣一五)口宣案               目録五四頁
※元禄六年二月五日、延相叙正三位。紙背墨書「十六」、付箋欠(13)。三四・〇×五二・二。
(宣一六)口宣案               目録五四頁
※元禄九年十二月十八日、延致叙従四位上。紙背墨書「十七」、付箋欠(16)。三四・二×五二・三。
(宣一七)口宣案               目録五四頁
※元禄十六年十二月廿二日、延栄叙従五位下。紙背墨書「十八」、付箋「18」。三三・八×五二・七。
(宣一八)口宣案               目録五四頁
※宝永八年二月廿八日、延栄叙従五位上。紙背墨書「二」、付箋「19」。三四・〇×五二・四。
(宣一九)口宣案               目録五四頁
※享保六年二月廿日、延栄叙従四位下。紙背墨書「十九」、付箋「20」。三三・七×五二・六。
(宣二〇)口宣案               目録五四頁
※享保八年十一月廿五日、延致叙従三位。紙背墨書「二十」、付箋「17」。三四・一×五三・二。
(宣二一)口宣案               目録五四頁
※享保十一年二月十四日、延栄叙従四位上。紙背墨書「二十二」、付箋欠(21)。三四・〇×五二・一。
(宣二二)口宣案               目録五四頁
※享保十一年二月十四日、延香叙従五位下。紙背墨書「二十一(二ヲ改ム)」、付箋「25」。三三・九×五二・二。
(宣二三)口宣案               目録五四頁
※享保十六年四月廿七日、延栄叙正四位下。紙背墨書「二十三」、付箋「22」。三三・九×五二・三。
(宣二四)口宣案               目録五四頁
※享保二十年正月廿三日、延香任右近衛将監。紙背墨書「二十四」、付箋「27」。三四・二×五二・七。
(宣二五)口宣案               目録五四頁
※享保二十一年正月廿七日、延香叙正五位下。紙背墨書「二十五」、付箋「26」。三四・二×五二・七。
(宣二六)口宣案               目録五四頁
※元文六年正月廿二日、延詮叙従四位下。紙背墨書「二十六」、付箋「28」。三三・六×五一・八。
(宣二七)口宣案               目録五四頁
※延享三年正月廿五日、延詮叙従四位上。紙背墨書「二十七」、付箋「29」。三三・七×五二・二。
(宣二八)口宣案               目録五四頁
※寛延四年正月廿六日、延樹叙正四位下。紙背墨書「二十八」、付箋欠(30)。三四・一×五二・五。
(宣二九)口宣案               目録五四頁
※宝暦元年十二月五日、延栄叙従三位。紙背墨書「二十九」、付箋「23」。三二・八×五〇・九。
(宣三〇)口宣案               目録五四頁
※宝暦七年八月廿五日、〔延栄〕叙正三位。紙背墨書「三〇」、付箋「24」。三三・九×五二・〇。
(宣三一)口宣案               目録五四頁
※明和三年三月二日、延賢任丹波守。紙背墨書「三一」、付箋「33」。三二・五×五〇・二。
(宣三二)口宣案               目録五四頁
※明和四年十一月十二日、延樹叙従三位。紙背墨書「三二」、付箋ナシ(31)。三四・〇×五二・〇。
(宣三三)口宣案               目録五四頁
※明和九年七月廿八日、延樹叙正三位。紙背墨書「三三」、付箋「32」。三三・七×五一・九。
(宣三四)口宣案               目録五四頁
※安永十年正月廿六日、延陳叙従五位下。紙背墨書「三四」、付箋「35」。三四・〇×五二・〇。
(宣三五)口宣案               目録五四頁
※安永十年正月廿六日、延陳任讃岐守。紙背墨書「三五(三四ヲ改ム)」、付箋「36」。三三・九×五二・〇。
(宣三六)口宣案               目録五四頁
※天明六年二月三日、延賢叙従四位上。紙背墨書「三六」、付箋「34」。三三・八×五一・四。
(宣三七)口宣案               目録五五頁
※天明六年年二月三日、延陳叙従五位上。紙背墨書「三七」、付箋「37」。三三・九×五一・八。
(宣三八)口宣案               目録五五頁
※寛政三年十一月廿三日、延陳叙正五位下。紙背墨書「三十八」、付箋「38」。三四・一×五一・五。
(宣三九)口宣案               目録五五頁
※寛政八年二月廿三日、延陳叙従四位下。紙背墨書「三十九」、付箋「39」。三三・〇×五〇・九。
(宣四〇)口宣案               目録五五頁
※寛政十三年正月廿三日、延陳叙従四位上。紙背墨書「四〇」、付箋「40」。三二・三×五〇・〇。
(宣四一)口宣案               目録五五頁
※文化三年正月廿六日、延陳叙正四位下。紙背墨書「四一」、付箋「41」。三二・八×五〇・八。
(宣四二)口宣案              目録五五頁
※天保二年二月四日、延暉陳叙従四位下。端裏欠。紙背墨書「四二」、付箋「42」。三三・二×四八・五。
(宣五一)永禄三年正月九日中臣延時口宣案已下留    目録五六頁
※一冊、袋綴。二五・三×一七・五。後補表紙・裏表紙に、本文は二種の料紙を合綴し三八紙、白紙多数。後補表紙「〈富田家〉口宣案記/辰市家」。書出「富田家〈大東庶流〉」。永禄三年正月九日・延時叙従四位下より、正徳六年二月八日・延庸叙従四位下まで、および同口宣案写しより明和元年九月十三日・光泰任神祇少祐まで。
(宣五二)永禄七年三月八日中臣祐根口宣案已下留    目録五七頁
※一冊、袋綴。二四・八×一七・五。後補表紙・裏表紙に、本文は二種の料紙を合綴し三二紙。後補表紙「〈千鳥家〉口宣案之記/辰市家」。書出「若宮神主家」。永禄七年三月八日・祐根叙従四位下より、享保二円十二月廿五日・祐益叙従五位下まで、および享保七年十二月廿五日・祐益叙従五位上から、文政二年正月廿五日・祐道叙従五位下まで。
(宣五三)永禄七年三月三日中臣祐庭口宣案已下留     目録五七頁
※一冊、袋綴。二四・八×一七・五。後補表紙・裏表紙に、本文は二種の料紙を合綴し三四紙。後補表紙「〈今西家・南家〉口宣案之記/辰市家」。書出「今西家〈若宮神主庶流〉」、永禄七年三月三日・祐庭叙従四位下より、天和二年四月廿七日・祐舎叙正四位下まで、および享保十三年十二月廿一日・祐是叙従五位下より、文化十二年正月十四日・祐嵩叙従四位下まで。書出「南家〈若宮神主庶流〉」、明暦三年八月八日・祐友叙従五位下より、正徳六年二月八日・祐広任式部少輔まで、および享保六年十二月廿四日・祐寛叙従五位上より、文化四年正月廿一日・祐〓(不一)叙正四位下まで。
(宣五四)天正十九年正月廿四日中臣祐父口宣案已下留     目録五七頁
※一冊、袋綴。二五・二×一七・六。後補表紙・裏表紙に、本文は二種の料紙を合綴し二五紙。後補表紙「〈東地井家〉口宣案之記/辰市家」。書出「東地井家〈辰市庶流〉」。天正十九年正月廿四日・祐父叙正四位下より、正徳六年二月八日・祐孝叙従四位下まで、および享保五年十二月廿八日・祐意叙従五位下より、文政三年二年二月・祐延叙正四位下まで。
(宣五五)慶長五年十二月十日中臣祐為口宣案已下留    目録五七頁
※一冊、袋綴。二五・〇×一七・五。後補表紙・裏表紙に、本文は二種の料紙を合綴し三一紙、および一紙挟み込み。後補表紙「〈新家〉口宣案之記/辰市家」。書出「新家〈辰市庶流〉」。慶長五年十二月十日・祐為叙従五位下より、正徳六年二月八日・祐処叙従五位下まで、および正徳六年二月八日・祐処叙従五位下より、文政三年二月二日・祐規叙正五位下まで。挟み込みは、慶安元年十二月廿二日・祐栄叙従五位上と承応元年十月十二日・延知叙従五位上。
(宣五六)慶安元年十二月廿四日中臣祐隆口宣案已下留     目録五七頁
※一冊、袋綴。二五・三×一七・五。後補表紙・裏表紙に、本文は二種の料紙を合綴し三九紙。後補表紙「〈辰市家・大西家〉口宣案之記/辰市家」。書出「上家〈大東庶流〉」、慶安元年十二月廿四日・祐隆叙従五位下より、正徳六年二月八日・祐棟叙正五位下まで、および同より文化十四年二月七日・祐永叙従五位下まで。書出「大西家〈大東庶流〉」、慶安元年十二月廿二日・延高叙従五位下より、享保四年十二月廿八日・(アキ)延叙正三位まで、および享保七年十二月廿五日・延雄叙従五位下より、文政三年二月二日・延一叙従五位上まで。
(宣五七)寛文二年十二月十四日中臣祐舎口宣案已下留     目録五七頁
※一冊、袋綴(一点仮綴)。二四・五×一七・五。表紙なし、全二五紙、現状錯簡。現冒頭紙、寛文二年十二月十四日・祐舎叙従五位上。年次順に正すと、承応元年十月十二日・時氏叙従五位上より、宝永八年二月廿八日・師周叙従五位上まで。
(宣五八)寛文三年春日祀官口宣案          目録五七頁
※一冊、袋綴。二九・五×二三・八。後補表紙・裏表紙に、原表紙共六五紙、挟み込み二紙あり。後補表紙「春日祠官口宣言写/大東家」、原表紙「寛文参〈癸卯〉季夏仲旬□也/春日祠官口 宣写〈大中臣方〉/大東権預右兵衛佐中臣朝臣延相(花押)」。数次の書き継ぎ。中東家(文明七年六月九日・時憲叙従五位下より、元文六年正月廿二日・時貞叙正四位下)、中家(天正六年二月八日・時家叙中務少輔より、延享二年十月廿一日・時廉叙従四位下)、中西家(永正四年十二月廿六日・時宣叙従五位下より、寛保二年十月四日・時啻叙従五位下)、奥家(天文三年正月八日・家賢叙従四位下より、寛保三年二月七日・成隆叙従五位下)、正真院家(享禄三年六月十七日・経栄任大膳亮より、元文六年正月廿九日・経芳叙正四位下)、奥田家(長享三年二月十五日・家康叙従五位下より、寛保二年十月四日・家陰叙従五位上)、西家(慶長五年正月廿四日・叙従四位上より、享保十六年四月十七日・師周叙正四位下)、向井家(明暦三年十一月廿八日・師暢叙従五位下より、延享二年十月廿一日・師康叙従五位上)。応永六年正月廿六日・時徳叙従三位、および「三位勘例」(応永六年より元禄六年)。
(宣五九)寛文七年十二月十二日中臣祐友口宣案已下留    目録五七頁
※一冊、袋綴。二四・五×一七・三。表紙なし、全一九紙。寛文七年十二月十二日・祐友叙正五位より、正徳六年二月八日・延栄叙正五位下。
(宣六〇)寛文十二年九月春日社司住職長者宣写        目録五七頁
※一冊、袋綴。二九・〇×二〇・三。表紙・裏表紙、本文全二三紙(紙背文書あり)。表紙「寛文十二年九月日/春日社司任職 長者宣写/中臣連祐用」。弘安五年九月卅日・祐春補若宮神主より、明暦二年七月十七日・兵部少輔(★★)補新預(「明暦年中以来社司任職之、御奉書如右矣」と識語あり)。
日記(書庫)
(日一〇四)元和六年旧記抜書(元和六~九、祐範他)     目録七六頁
※マイクロフィルム撮影済み。『所報』三七号六八頁参照。
(日一〇八)元和九年正月吉慶日社頭御神事記(延通)  目録七六頁
※マイクロフィルム撮影済み。同前。
仏事(書庫)
(仏三一)明応九年三月御寺務方引付     目録一三〇頁
(仏四五)天文廿三年大乗院殿御先途之記   目録一三〇頁
※マイクロフィルム撮影済み。『所報』二〇号一〇〇・一〇一頁参照。(仏四五)は修理済み、(仏三一)は仮表紙を付したのみで未修理だが、もともとは一連の史料。末柄豊「春日大社所蔵『修南院光慶寺務方引付』」(科学研究費補助金研究成果報告書『興福寺旧蔵文書による古文書と古記録との関連についての史料学的研究』研究代表者・安田次郎、二〇〇八年)に解題・翻刻。
雑(宝庫)
(書一三四)浄土三部経宝典       目録一四四頁
※一軸。撮影せず。外題「奉納 浄土三部宝典〈大正四年春〉 願主 大阪市南区阿波座上通三丁目 荘田久右衛門」。細字による書写で、「大正四年春久右衛門/荘田拾世正満写(印)」とある。
(書一五五)大般若波羅蜜多経 巻第四百二        目録一四四頁
※一帖、折本。四八折。
(書一五六)大般若波羅蜜多経 巻第五百九十一     目録一四四頁
※一帖、折本。四二折。
雑(書庫)
(雑一)古事記中巻          目録一四五頁
※一冊、袋綴。二六・〇×一八・八。表紙共紙四六紙。表紙「大東家/延春」。内題・尾題「古事記中巻」。奥書「墨付四十五枚/慶長八年〈癸卯〉五月日 延春写之」。返点・読みカナ・送りカナ、朱の合点・句読点・標出あり。頭注の書き入れあり。
(雑二)古事記聞書          目録一四五頁
※一冊、袋綴。二四・四×一七・三。表紙共紙一四紙、折り込み折紙一紙あり。表紙「元禄十三〈庚辰〉四月廿日始/古事記聞書 若宮神主祐字講談/中臣祐用(?)」。卯月廿日・廿四日・廿六日。
(雑三)古事記抜書          目録一四五頁
※一冊、袋綴。二四・八×一七・六。後補表紙・裏表紙、本紙二二紙(紙背文書あり)。内題「古事記」。後補表紙「古事記/三位祐用卿筆跡也」、裏表紙見返し「権預三位祐用卿筆跡/中臣連祐〓(目隹)」。
(雑四)文久二年五月十二日詔書写      目録一四五頁
※一冊、袋綴。二五・〇×一七・二。表紙共紙六紙。書出し「文久二年五月十二日詔/使大原左衛門督」。朱の返点・送りカナあり(途中まで)。
(雑五)古語拾遺 一冊       目録一四五頁
※一冊、袋綴。二五・四×一九・〇。水色表紙、遊び紙・本紙二八紙。本紙第一紙に朱長方印「富田氏/蔵書印」。表紙外題貼題箋「古語拾遺」。本文冒頭に「神皇系図/天神七代」より「地神五代」「人王」があり、内題「古語拾遺一巻〈加序〉従五位下齊部宿祢広成撰」、尾題「古語拾遺一巻〈終〉」、その後に「裏書云」として大同元年七月の記事。奥書「御奥書云」として嘉禄元年二月廿三日本奥書、以下に卜部氏代々の奥書があり、末尾は「(文明十九年)六月十一日加首書訖、卜部」に至る。鎌田純一「古語拾遺諸本概説」(『國學院大学日本文化研究所紀要』一三、一九六三年)によると、卜部本系の西大寺旧蔵本(静嘉堂文庫蔵)とほぼ同じ本奥書(明徳四年の記をまるごと欠く)。江戸中期頃写。返点・読みカナ・送りカナ、朱の句切点などあり。 
(雑六)古語拾遺 一冊       目録一四五頁
※一冊、袋綴。二七・〇×一九・八。表紙共紙一三紙。表紙「古語拾遺 一巻」、内題「古語拾遺一巻〈加序〉/従五位下斎部宿祢広成撰」、尾題「古語拾遺一巻」。本奥書「享保拾七〈子〉年三月仲十日書之、/正預正三位中臣連延晴〈六十四歳〉」、奥書「安政二年八月一日写之終、/春日社時風孫/権預正四位下中臣連祐嵩」。冒頭は伊勢本系で、末尾に「大同二年二月十三日」とあり。返点・読みカナ・送りカナ、朱点・朱合点あり。
(雑七)大神宮心御柱記       目録一四五頁
※一冊、袋綴。二四・二×一六・九。表紙共紙九紙。表紙「大神宮心御柱記」、内題「大神宮心御柱記」、図あり。朱奥書「中臣連祐嵩/謹而写之、〈五十三才〉」。読みカナ・送りカナ、朱校あり。
(雑八)旧事記抜書          目録一四五頁
※一冊、袋綴。二四・五×一七・二。表紙共三一紙(紙背文書あり)。表紙後補貼題箋「旧事紀」、内題「旧事記」、末尾に「日本紀」として抜書あり。表紙に「奉幣役/延享元年奉幣役/御南向記/中臣祐智」の表紙反故を用いる。
(雑九)太宣事之写          目録一四五頁
※一冊、袋綴。二五・〇×一七・五。表紙共紙一一紙。表紙「太宣事之写〈下書〉」。奥書「落字并文字相違処書加可申者也、/富田大和守蔵」。宣命の文例集。
(雑一〇)大明花火方並弁財天白紙祭文       目録一四五頁
※一冊、袋綴。二〇・三×一二・一。表紙共紙一六紙(白紙あり)。表紙「大明花火方」。花火の種類ごとによる調合法。および内題「弁財天白紙祭文 天川天女御作」、奥書「此祭文ハ、貞享二年〈乙丑〉五月十九日、法寿庵阿闍梨/賢尊生哲七十五歳之時写之入畢、/右此祭文ハ、予弁天之式新薬師寺喜多房/ニテ令所望、■拝覧ノ所如此祭文式之中ニ/入有之故、為令勤行染筆畢、/富田素丹生命/享保十八年癸丑九月十一日写畢、六十一歳」。続いて別の弁財天祭文。
(雑一一)文政十年四月加任預祐規一件之記       目録一四五頁
※一冊、袋綴。二三・九×一七・五。表紙共紙二四紙。表紙「文政十〈亥〉年四月/加任預祐規一件之記/〈辰市〉新預従四位上中臣祐〓(目隹)〈三十四歳〉」。書出「文政十〈亥〉年四月 新預従四位上中臣祐〓(目隹)」。八日から十六日の記事。春日社加任預辰市祐規はかねて身持ち悪く不行跡であったが、無宿人猪之助と喧嘩、刃傷に及んだのを機に、本家筋の辰市祐〓の仲裁で病気を理由に加任預職を辞退することになった顛末。
(雑一二)辰巳家再興相続之記       目録一四五頁
※一冊、袋綴。二四・八×一七・三。表紙共紙一五紙。表紙「文化十三〈丙子〉年十二月以来/辰巳家再興相続之記/〈氏人一臈〉正五位下行加賀守中臣祐〓(目隹)〈二十三歳〉」。書出「文化十三年二月」、廿日から十七日の記事。春日社氏人富田光和の弟祐嵩は今西家に養子に入っていたが、今西家を離縁し、辰市家の庶流で天正年中以来中絶していた辰巳の家を再興し、相続することになった顛末。
(雑一三)享保九年二月辰市祐義死去名蹟相続之件   目録一四六頁
※一冊、袋綴。二四・二×一七・三。表紙共紙二〇紙。表紙「当」と書き抹消。書出「覚/一、享保九庚辰年二月廿五日、辰市右京亮祐義(スケヨシ)致死去候、然処名跡之儀、右京亮実子無之候故、弟式部少輔祐寛(スケヒロ)を兼而為養子辰市家令相続」。享保九年二月、春日社司辰市祐義実子なく死去し、南家から実家へ戻って祐義の養子となっていた弟祐寛が社家中へも披露を遂げたうえで辰市家を相続したが、上家を相続していた祐当より訴訟に及んだ。それについて双方の由緒を明らかにした覚書。
(雑一四)元禄五年八月辰市郷御祭礼正預頭役之記   目録一四六頁
※一冊、袋綴。二五・二×一八・〇。表紙共紙一三紙。表紙「元禄五年〈壬申〉八月吉日/辰市郷祭礼正預頭役之記/大東執行正預従三位中臣延相(花押)」、内題「和父神祭礼頭役記」。書出「一、元禄五年〈壬申〉八月廿五日、辰市郷西九条村奉/居社祭、村ニハ誤テヒツリノ宮ト云々、正預職ヲ/拝任ヨリ三ケ年目ニ執行之先例也、」。十八日から廿五日の記事と「買物覚記」、「為祝儀音信覚」。
(雑一五)延享第四〈丁卯〉歳八月丸山町八王子下遷宮記   目録一四六頁
※一冊、袋綴。三一・七×二二・三。表紙共紙四紙。表紙「延享第四歳〈丁卯〉八月〈丸山町〉八王子社下正遷宮記/辰市権預祐実〈四十九歳〉」。書出「延享第四〈丁卯〉年」、八月朔日・十八日の記事。貼紙による修正あり。
(雑一六)奈良名勝 八枚       目録一四六頁
※一冊、袋綴。二六・二×一八・二。表紙なし、全一一紙。「菩提院」以下、奈良名勝の書き上げと略解。紙背は中臣延晴の百首和歌(享保十九年より「享保廿年二月日成満」、冷泉為久加点)。
(雑一七)秘抄       目録一四六頁
※一帖、綴葉装。一五・六×一九・九。表紙共紙九丁。表紙「秘抄」。奥書「此秘抄者、右□□所持之間、令借用、則彼僧被書写畢、雖多不審之、先以令伝文者也、□而別本在之者、可令交合者也、/享禄三年〈庚刀(寅)〉三月三日/本主中臣従四位下祐園」。
(雑一八)鎮魂八神其他          目録一四六頁
※一冊、袋綴。二〇・五×一二・三。七紙。暦注の解説など。一紙目のノドに「延晴ノ随筆ノア」と整理注記あり。
(雑一九)倭国陵図校    目録一四六頁
※一冊、袋綴。二八・〇×一九・四。本紙二三紙、付図三枚。謄写本。表紙「倭国陵図校」。本奥書「右酒殿氏所持之得正本而写之、/嘉永六〈癸丑〉年二月 若宮春雄(印影)/右大正十四年五月廿八日写之畢」、奥書「元本/奈良市脇戸町山田春肥蔵」。山陵の絵図多数あり。彩色なし、朱書あり。
(雑二〇)和州誌       目録一四六頁
※一冊、袋綴。三〇・四×二二・七。表紙・裏表紙、本紙九三紙。表紙「和州誌 全/春日神社」。内題「和州誌 全」。「和州志序」「元禄第十三年歳舎庚辰冬十二月二日握筆眠食堂」。本奥書「右一帖、蓮蔵院〈住〉実弁法師〈ヨリ〉/令恩備以他毫書写訖/于時/安政六年仲冬念二」。
(雑二一)土金伝             目録一四六頁
※一冊、袋綴。二三・九×一六・九。表紙・裏表紙(紙背に「天文十八年十一月五日」との書きさしや、宝暦六年二月三日の日記抜書、寛政七年十二月十九日の記録など)、本紙四紙。表紙「次預祐処卿筆/土金伝/新家」、表紙見返しに貼紙「延享四〈丁卯〉年八月十日夜之夢ニ、師周予語云」として中臣祓に関する秘伝。内題「土金伝」、末尾「竹下松隆重興謹言」、本奥書語「右土金伝者、自神代伝来而卜部家之秘伝也、山崎垂加翁伝出雲路信直丈、信直丈伝竹下重興丈、伝予焉、天人唯一宗源之神道、土金以貫始終者也、/源良顕」、「右土金伝坂本氏守信ニ相伝之畢、/享保八年八月一日 大中臣師周」、奥書「今般大宮祭礼御神事之内、師周朝臣へ懇望イタシ、土金ノ伝書備用了、師周朝臣門弟ト成テ書写申者也、/中臣祐処朝臣/延享四丁卯年二月十二日」。続く「三種太祓」・「拍手伝」に、奥書「右両伝、自垂加翁授信直丈、自信直丈授竹下/丈、自竹下丈所授良顕、而猶口伝」。末尾に「一切成就祓」。
(雑二二)延英雑記             目録一四六頁
※一冊、袋綴。一九・八×一二・一。表紙共紙十紙。表紙「延英記」。無見頂相・新豊酒色・楊柳観音・百八煩悩ノ数事・数珠ノ事・四鳥ノ別・抖〓(ソウ)・好文木・籠・十二因縁之事・祐臣ノ秘記・五月五日に書く文字・枇杷葉湯・十六味龍王湯・香泉演説などについて。
(雑二三)延英随筆             目録一四六頁
※一冊、袋綴。一九・三×一二・〇。表紙共紙十紙。表紙「富田延英」。かな書き。朱の句切点あり。冒頭「わか*んかちのきあたり・幸といふところ/より猫の子もとめ出て・おふうたつるほとに/ひのうつりけるにしたがひて、・・・」。猫に関する話。
(雑二四)栂尾開帳等之記             目録一四六頁
※一冊、袋綴。二一・〇×一二・五。四紙・六紙・三紙の順で二種の料紙を合綴。第一紙ウに「師興卅四歳」とあり。書出「一、栂尾開帳/延宝七〈巳未〉九月廿一日、至正徳四甲午、及卅六ヶ年」。事項ごとに年代を記し、正徳四年までの年を記す。
(雑二五)谷響集書抜          目録一四六頁
※一冊、袋綴。二四・七×一七。五。表紙・裏表紙、本紙七三紙。虫損大。表紙「谷響集書抜〈祐用卿筆〉」、内題「寂照堂谷響集第四」。第十巻まであり。返り点、送りカナあり。運敞著、元禄二年刊、『大日本仏教全書』一四九、『智山全書』一一に翻刻あり。
(雑二六)延喜式神名帳考証          目録一四六頁
※一冊、袋綴。二七・七×二〇・二。表紙・裏表紙、本紙四四紙。表紙「大和国〈添上郡/添下郡〉春日神社々務所蔵/延喜式神名帳考証」。朱の読みカナ、傍注などあり。
(雑二七)南都名所             目録一四六頁
※一冊、袋綴。二四・二×一七・二。茶表紙、本紙一二紙。表紙・内題「南都名所」、奥書「元禄十五年」。目録「奈良名所旧跡古歌/春日社惣社尊〈付〉/東大寺寺社木〔本〕尊〈付〉/二月堂観世音因縁/大仏殿建立縁記/興福寺伽藍造立」。
(雑三〇)新版奈良名所案内記          目録一四七頁
※一冊、袋綴。表紙、本紙六三紙。版本。表紙貼題箋「〈新板〉奈良名所案内記」、刊記「正徳三〈癸巳〉年/閏九月」「京寺町通松原上ル/菊屋/七郎兵衛板」。
(井上聡・及川亘・西田友広・藤原重雄)


『東京大学史料編纂所報』第44号