6.院政期史料を中心とする記録・典籍の調査

国文学研究資料館にて真福寺大須文庫所蔵史料をマイクロフィルムにより閲覧し、同館データベースでは所蔵者ごとの検索ができないため、簡単な撮影目録を作成して、院政期を中心とする編年史料関係の記事を検出した(全一一八リールのうち六〇リール分)。奥書・識語などは智山伝法院編『真福寺文庫撮影目録』上・下(一九九七・九八年)でかなり拾うことができるため、主に内容面に注意した(黒板勝美編『真福寺善本目録』正・続〔一九三五・三六年〕では八二一点、智山目録では約五〇〇〇点、一八〇リール。ただし智山目録も識語・本奥書などは必ずしも採取してない)。この調査は、一時退避先に指示された動物実験プレハブ棟上階からの避難場所が確保されなかったことと関連する。『真福寺善本叢刊』(臨川書店)など既に紹介されている史料を除き、院政期関係の史料若干についてメモを掲げる。
○『巻数集』(七四合-二〇四号)
 『続群書類従』巻八二九(活字本第二十八輯下)所収の『巻数集』の祖本と見なされる。刊本の文字を修正できる箇所が多数あるが、行単位の脱落と年月日・人名などに関わる点に限って以下に列挙する。
五四二頁下段一〇行目:保延六年五月十日 → 閏五月
五四四頁上段七行目:五月廿九日 → 十九日の十に廿と傍書。
同八行目:八七ケ日夜 → 五十二と傍書。
同一〇行目:建久四年七月廿一日 → 建久三年七月十八日と本文があり、四、廿一を傍書・挿入。
五四四頁下段一二行目:三 三 → 已上 (その後は二行分空白)
五四六頁上段三行目:宗恵 → 宗意
五四六頁下段一行目:保延三/七年二月廿一日 → 廿一/二日(保延七年二月廿二日)
五四七頁上段六行目:末尾に小字で「此右状、本ニハ二行コレヲ書、」
五四八頁上段五行目:天暦二年 →(天の上に永と小字)
五四八頁下段七行目:同(文治)五年三月十九日 → 十五日
五五一頁下段一行目の次:「久安三年三月日 前権律師宗意 / 白衣観音御修法所」の二行が脱落。
五五五頁上段一〇行目の次:錯簡あり。同頁下段一四行目「天養二年・・・」~次頁上段一六行目「星供御祈願所」が入る。
五五六頁上段一四行目:この行なし。
五五五頁下段一二行目:天承二年五月十三日に続けて、前権律師宗意とあり。
五五七頁下段一四行目:長治元年四月十二日 → 十三日
五五八頁下段七行目の次:「五刀命刀録拏迹成諸神如来慈護明〈同〉」の一行が脱落。
同九・一〇行目:久安三年七月廿八日 阿闍梨得修大法師覚印 → ・・・□〔十カ〕月・・・伝灯大法師・・・
五六〇頁上段九行目:保延三年 → 五年
 マイクロフィルムに撮影されている状態では、五六〇頁下段最終行までで、それ以降を欠いている。不明断簡類からの当該部分の出現を期待する。善本により校訂することができたため、『大日本史料』第三編之二十六、二五四頁の一行目~九行目を削除し、「星供御祈願所」と改める。また同頁後ろから二行目:(誤)「北斗御本命星 当年 計都九曜 呪廿八宿 破宿曜」→(正)「召北斗、御本命星、当年ヽ〔星〕、計都九曜□〔惣〕呪、廿八宿惣呪、破宿曜ヽ〔障〕、」と訂正したい。
○『表白集』(六九甲合-一一号)
 『続群書類従』巻八二五(活字本第二十八輯下)の『表白集』の祖本と見なされる。一文字一文字の対校を行っていないが、刊本を修正すべき点があり、とくに□となっている箇所にはおおむね崩しが難読の文字があって、利用の際には参照が必要である。奥書も読み直せる(乞御教示)。なお、同じ『続群書類従』活字本第二十八輯下に収録される『表白集』(巻八二四)の祖本は、『真福寺善本叢刊 法儀表白集』所収の『覚任表白集』(六九甲合-一〇号)であり、同叢書『中世唱導資料集』所収の『諸諷誦』(五四合-一六四号)が後続部分に相当する。

(藤原重雄)

『東京大学史料編纂所報』第44号