東京大学史料編纂所

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イェール大学バイネキ稀覯書図書館所蔵日本文書コレクション調査

 二○○七年一一月、二○○八年二月、同三月に、イェール大学(Yale
University)に東大イェール・イニシアティブ及び「東大イェール・イニ
シアティブを基盤とした日本学関連若手研究者国際育成プログラム」の用務
で出張した折、二○○七年一一月二六・二七日、一八日~二二日、三月二四
日に、イェール大学バイネキ稀覯書図書館(BeineckeRearBookand
ManuscriptsLibrary) において、日本文書コレクション(Japanese
ManuscriptCollection)の調査を行った。調査にあたっては、イェール大
学東アジア図書館(EastAsiaLibrary)のEllenHammond館長、Haruko
Nakamura氏、KeikoSuzuki氏より種々ご教示を得た。
 東京大学とイェール大学は、二○○七年一一月に学術交流協定を締結した。
この学術交流の一環として、日本研究及び日本関連の社会科学・人文学の研
究拠点として、二○○七年九月にイェール大学に東大イェール・イニシア
ティブが設置された。東京大学では、イニシアティブ・オフィスに毎年、教
員(教授・准教授)を派遣すると共に、日本学術振興会の若手研究者国際ト
レーニングプログラムの受託事業(二○○七~一二年度)により若手研究者
(助教・博士課程学生・研究員)をイェール大学に派遣することになった。
また、学術交流の一環として、イェール大学所蔵日本関係資料の調査研究も
協力して推進する計画を検討を始めている。
○イェール大学日本資料コレクション
 イェール大学は、歴史学者朝河貫一(一八七三~一九四八年)が勤めた大
学である。朝河の伝記は、同郷の史料編纂所元教授故阿部義雄(一九二○~
八六)により『最後の日本人』(岩波書店、一九八三年)に記されており
(「朝河貫一研究会ニュース」七号、一九九二年七月、参照)、二本松市教育
委員会編『朝河貫一―その生涯と業績に学ぶ』(二○○一年三月。インター
ネット版公開)などもある。朝河の日本資料収集事業については、元イェー
ル大学東アジア図書館長金子英生氏の「イェール大学図書館と朝河貫一」
(国文学研究資料館文献資料部『調査研究報告』一一号、一九九○年三月)
に記されている。朝河は、一八九五年に東京専門学校(現、早稲田大学)を
卒業して米国に渡り、一八九六~九九年にダートマス大学に学び、九九年、
イェール大学大学院歴史学科に入学し、一九○二年に日本古代の大化改新の
研究で博士の学位を授与され、ダートマス大学講師となった。一九○五年に
帰国を企て、あわせて米国に大規模な日本関係図書コレクションを設けるこ
とを諸方に訴えた。一九○六年一月、ダートマス大学を辞し、イェール大学
図書館と米国議会図書館より日本における日本関係図書の収集を依頼され、
米国帰国後にイェール大学講師となることが内定し、二月に帰国した(第一
回帰国)。日本では、文部省等の官公庁、東京帝国大学の文学部国史学科・
史料編纂掛や工学部建築学科、早稲田大学理事市島謙吉、有名寺院等の協力
を得て大量の写本・図書・地図・写真を収集した。議会図書館には約三、一
六○種(約四五、○○○冊。洋装に改装し九、○七二冊)が送られ、イェー
ル大学には八、一二○種(二一、五二○冊。洋装に改装し三、五七八冊)と
地図・写真などが送られた。収集においては、国史学科教授三上参次(史料
編纂掛事務主任)も重要な役割を果たしたとされる。議会図書館所蔵の朝河
貫一収集資料中の古典籍は、米国議会図書館蔵日本古典籍目録刊行会編『米
国議会図書館蔵日本古典籍目録』(八木書店、二○○三年)にも収録されて
いる。
 朝河は、一九〇七年八月に米国に戻り、九月にイェール大学歴史学科講師
となり、日本関係図書の管理担当者(後、東アジアコレクション部長)となっ
た。朝河は、一九一七~九年に第二回帰国を果たした。この時は、一九○六
年以来の国史学科の三上・黒板勝美・辻善之助等との交流に基づいて、日欧
封建制比較研究のために一七年九月から史料編纂掛古文書室で東大寺文書・
東寺百合文書の研究を始め、一八年七月から一九年正月まで関西の史料調査
に赴いた。この間、調査の便宜のため一八年一一月に史料編纂掛の嘱託となっ
た。一九年五月~七月には九州の史料調査に赴き、入来院文書など調査した。
そして朝河は一九年九月に米国に帰った。朝河は、一九二七年に歴史学助教
授、三○年に歴史学准教授、三七年に歴史学教授、四二年に定年を迎え名誉
教授となり、四八年六月まで東アジア部長務めた。この間、朝河は、一九二
九年に、日本の中世封建社会を世界に知らしめた名著『入来文書』を出版し、
そしてまた日露戦争・太平洋戦争においても国際世界における日本のありか
たについて提言をするなど、国際人として活躍した。
 朝河の第二回帰国中、一八年四月のYaleAssociationofJapanエール
会(エール大学会)における帰朝歓迎会での提案がもととなり、寄付が集め
られ、大久保利武会長のもと黒板勝美が中心となりイェール大学に寄付する
ための古文書・古典籍の収集が一九二五・六年頃から始められた。一九三二
年に寄贈品の大半が収集され、一一月に華族会館で展覧会が開催された。そ
の時の目録が『典籍類展観目録』(エール会、一九三二年一一月)である。
それら寄贈品は、一九三四年にイェール大学に届けられた。寄贈後に日本で
刊行された寄贈品の優品の図録が、『日本文化圖録』(エール大学会、一九三
五年)である。寄贈時に添付された解説付き英文目録が・Catalogueof
Books,ManuscriptsandOtherArticlesofLiterary,ArtisticandHistoricalInterest,
IllustrationoftheCultureandCivilizationofOldJapan
・Vol.One ・A・,Vol.Two ・B・,Vol.Three ・C・・D・,Yale
AssociationofJapan,Tokyo,1934(A:図画・経典・文書・書蹟・和
歌俳諧・写本、B:版本、C:複製、D:中国本・朝鮮本)である。イェー
ル大学バイネキ稀覯書図書館の参考室には、朝河が作成した、YAJコレク
ションの解説目録である、K.Asakawa・GiftsoftheYaleAssociationof
Japan・,1945,TypedbyAsakawaと、シェルフ・リスト目録カードが
残されている。朝河の解説目録には、一九三四年以降の収集資料も収録され
ている(金子「イェール大学図書館と朝河貫一」、三七頁)

 バイネキ稀覯書図書館所蔵の日本のエール会寄贈コレクション(YAJ
Collection)については、一九三三年一月撮影の史料編纂所所蔵レクチグラ
フ「エール大学所蔵文書」(六八○○―一○○)があり、史料編纂所編・HistoricalDocumentsRelatedtoJapaninForeignCountries
・,Vol.XV,
1988に、一九八○年にマイクロフィルム撮影した一部の文書(TairaUji
Monjo平氏文書〔平姓粟津家文書〕、KyotoKomonjo京都古文書〔下京文
書〕)の英文・和文目録があり、二○○六年九月に科学研究費補助金基盤研究(A)
「日本古文書ユニオンカタログの構築」(研究代表者、近藤成一)によ
り一部の古文書の撮影が行われている(『東京大学史料編纂所報』四二号、
史料研究、一五六頁)。国文学研究資料館のイェール大学日本文書コレクショ
ンの調査(一九八七・八八・八九年)により、朝河貫一将来「日本文書コレ
クション」の総目録が、「イェール大学蔵・日本文書コレクション目録」(国
文学研究資料館文献資料部『調査研究報告』一一号、一九九○年三月。以下、
国文学研究資料館編目録と略称)に収録されている。
 現在、朝河収集日本資料は、国文学研究資料館「イェール大学蔵・日本文
書コレクション目録」が示すように、バイネキ稀覯書図書館所蔵の一九○六
~一七年収集のJapaneseMSS(日本文書コレクション)、一九三四受贈の
YAJCollection(日本イェール協会コレクション)(一九三五年の『日本文
化圖録』も含む)、SterlingMemorialLibraryスターリング記念図書館の
EastAsianCollection,SML(スターリング記念図書館東アジアコレクショ
ン。EastAsiaLibrary管理)に三分されている。このほかに、朝河が定
年の際に寄贈した蔵書、朝河の日記・文書からなるアーカイブズKan-Ichi
AsakawaPapers(スターリング記念図書館ManuscriptsandArchives)
がある。YAJCollectionは、スターリング記念図書館内で別置されていた
が、一九六三年にバイネキ稀覯書図書館が開館された後に、同館に移管され
た。一九七四年に、スターリング記念図書館の一般書庫内に配架されていた
一九○六~○七年収集日本資料の大部分(一部、その前後の時期の収集資料
も含まれるという)が、バイネキ稀覯書図書館にJapaneseManuscript
Collectionとして移管された(金子前掲論文、三六頁)。YAJCollectionに
は、一九八八~八九年にイェール大学に滞在した山村規子氏の詳細な調査カー
ドがあり、そのコピーが国文学研究資料館に保管されているとのことである
(国文学研究資料館「イェール大学蔵・日本文書コレクション目録」解題、
三一・三四頁)。
 JapaneseManuscriptCollectionについては、一九七四年の移管時に、
EastAsiaLibraryの一瀬みつ子氏により「目録カード原稿」が作成され
た(金子、三七頁)。一瀬氏作成「目録カード原稿」は、JapaneseMSS番
号、著者名(ローマ字。付、和文)・生没年、ローマ字書名・和文書名、書
写・刊行年、数量(装訂)、寸法、写本・版本・刊本区分(写本はMs.)、原
本作成年、書名異称Titleveries、Contents、カード作成者・作成年月日、
日本の図書館等の所蔵状況及び史料集等の情報(日本語)が記される詳細な
ものである。また、国文学研究史料館により調査カードが作成された。今回
の調査にあたっては、近藤氏より科研による調査に基づくメモ「イェール大
学所蔵日本関係史料について」(二○○六年一二月)により教示を得た。
○JapaneseManuscriptCollection
 JapaneseManuscriptCollectionは、イェール大学図書館によりAから
Z(EFILMORWXYは該当資料なし)に分類されている。国文学研究資料
館編目録中の日本文書コレクション目録により帰納すれば、A 文学、B 宗
教、C 系譜、D 記録、G 行事等、H 産業、J 補任、K 法令、N 芸術、P
随筆、Q 自然、S 諸芸、T 工業、U 兵学、V 海事、Z その他、と思われ
る。今回の書誌調査では、一九○六~○七年の朝河の資料収集の特徴を知る
ことができないかとの期待をもって、日本史の史料集編纂に関わり深いと思
われるD記録類の一部を閲覧した。また、日本文書コレクションは、米国の
図書館における管理・利用のために、原則として近世~明治期の和装本を改
装して洋装本としてあるので、本来の装訂の状態を復元できるように留意し
た。但し、膨大な量のため、D1、D2、D3(三点二〇冊は袋綴本で計七
二冊)の閲覧しか果たしていない。
1 家忠日記増補JapaneseMSSD1Ietadanikkizo-ho
                            洋装本 六冊
 原袋綴装の和本二七冊の装訂を解き、数冊ずつ糸綴で仮綴し、天辺・地辺・
ノドを調整切除して、六冊の洋装本に装訂す。国文学研究資料館編目録に、
「(写・刊)写、(冊数)6冊、(刊写年時)近世後期」(四三頁)とあり。
(1)第一冊JapaneseMSS D1―1 洋装本一冊
 原袋綴装の第一冊~第五冊の装訂を解き、それぞれ原表紙・原裏表紙を除
去して合綴す。縦二七・一㎝、横一九・五㎝(横は表紙の地辺の長さ。以下
の各冊同じ)。写本。濃藍色クロース装(以下の各冊同じ)。新補背表紙題
「家忠日記増補一」。新補表紙見返しに蔵書票(ヘッダー:・YALEUNIVERSITY
LIBRARY・。以下同じ)に鉛筆書・BeineckeLibrary/Japanese/
MSS/D1/1・(/は改行を示す)、ペン書・1907・あり。表裏の
新補洋装表紙と写本の間にそれぞれ洋紙の遊紙をおく(以下の各冊同じ)。
①原袋綴装第一冊
 縦二六・八㎝、横一九・一㎝(以下の各冊同じ)。扉一丁、本文七四丁、
巻末遊紙一丁(空)、楮紙。扉裏の天に鉛筆書・Matsudaira,Tadafuyu・、
下部中央に鉛筆書・Beinecke/Library/Japanese/MSS/D1/1・。
本文第一丁表上部の旧附箋残片にタイプ書・I・etadanikkizo--hotsui-ka・
(鉛筆横線で抹消)が残る。本文第一丁表に首題「家忠日記増補追加序」。尾
題無し。本文半丁に本文八行、一行一七字にて書す(以下の各冊同じ)。近
世後期書写(以下の各冊同じ)。本文第一丁表右上に丸朱印(直径六○㎜)
の印影「淀府内/帑圖/書之章」あり。山城国淀藩旧蔵本(以下の各冊同じ)。
国文学研究資料館データベース「コーニツキー版欧州所在日本古書総合目録」
によれは、ドイツ・国立図書館蔵「日本山海名物図絵」も「淀府内帑圖書之
章」の印記がある。本文第四丁表より「家忠日記増補追加發題」、第二○丁
表より「家忠日記増補巻之一〈自永正八年/至弘治三年〉」あり。本文第三
六丁右端上は洋装への改装の際に折れたままに天辺を切除されており、天よ
り下方九㎜まで切除されたことがわかる。よって、原袋綴装の縦は少なくと
も二七・七㎝であったことになる。地辺は、不詳であるが、改装の際に切除
されていたとすれば(地の小口には書名等の墨書は見えない)、縦は二七・
七㎝以上となる。
②原袋綴装第二冊
 扉一丁(空)、本文六二丁、巻末遊紙無し。楮紙。本文第一丁表に首題
「家忠日記増補巻之二〈自永禄元年/至同六年〉」。尾題無し。本文第一丁表
右上に朱印影「淀府内/帑圖/書之章」あり。
③原袋綴装第三冊
 扉一丁(空)、本文四六丁、巻末遊紙無し。楮紙。本文第一丁表に首題
「家忠日記増補巻之三〈自永禄七年/至同十一年〉」。尾題無し。本文第一丁
表右上に朱印影「淀府内/帑圖/書之章」あり。
④原袋綴装第四冊
 扉一丁(空)、本文三七丁、巻末遊紙一丁。楮紙。本文第一丁表に首題
「家忠日記増補巻之四〈自永禄十二年/至元亀三年〉」。尾題無し。本文第一
丁表右上に朱印影「淀府内/帑圖/書之章」あり。
⑤原袋綴装第五冊
 扉一丁(空)、本文五六丁、巻末遊紙一丁。楮紙。本文第一丁表に首題
「家忠日記増補巻之五〈自天正元年/至同五年〉」。尾題無し。本文第一丁表
右上に朱印影「淀府内/帑圖/書之章」あり。
(2)第二冊JapaneseMSS D1―2 洋装本一冊
 原袋綴装の第六冊~第十冊の装訂を解き、それぞれ原表紙・原裏表紙を除
去して合綴す。縦二七・一㎝、横一九・五㎝。写本。新補背表紙題「家忠日
記増補二」。新補表紙見返しに蔵書票に鉛筆書・BeineckeLibrary/
Japanese/MSS/D1/2・、ペン書・1907・あり。表裏の新補洋装表紙
と写本の間にそれぞれ洋紙の遊紙をおく。改装の際に天辺が切除されている。
①原袋綴装第六冊
 縦二六・八㎝、横一九・一㎝(以下の各冊同じ)。扉一丁(空)、本文四一
丁。楮紙。扉表の天に鉛筆書き・Matsudaira,Tadafuyu・、下部中央に鉛
筆書・Beinecke/Library/Japanese/MSS/D1/2・。本文第一丁表
上部の旧附箋残片にタイプ書・I・etadanikkizo--hotsui-ka・(鉛筆横線で抹
消)が残る。本文第一丁表右上に朱印影「淀府内/帑圖/書之章」あり。本
文第一丁表に首題「家忠日記追加巻之六〈自天正六年/至同九年〉」。尾題無
し。
②原袋綴装第七冊
 本文五○丁。楮紙。本文第一丁表に首題「家忠日記追加巻之七〈自天正十
年正/月至同年八月〉」。尾題無し。本文第一丁表右上に朱印影「淀府内/帑
圖/書之章」あり。
③原袋綴装第八冊
 本文四一丁。楮紙。本文第一丁表に首題「家忠日記追加巻之七〈自天正十
年九月至/同十一年十二月〉」。尾題無し。本文第一丁表右上に朱印影「淀府
内/帑圖/書之章」あり。朱印影の天辺、洋装への改装の際に僅かに欠ける。
④原袋綴装第九冊
 扉一丁、本文六四丁。楮紙。本文第一丁表に首題「家忠日記追加巻之八
〈自天正十二年正/月至同年十二月〉」。尾題無し。本文第一丁表右上に朱印
影「淀府内/帑圖/書之章」あり。朱印影天辺、洋装への改装の際に僅かに
欠ける。
⑤原袋綴装第十冊
 扉一丁、本文五三丁、巻末遊紙一丁。楮紙。本文第一丁表に首題「家忠日
記追加巻之十〈自天正十三年/至同十七年〉」。尾題無し。本文第一丁表右上
に朱印影「淀府内/帑圖/書之章」あり。朱印影の天辺、洋装への改装の際
に僅かに欠ける。巻末遊紙裏下部に鉛筆書「21」あり。
(3)第三冊JapaneseMSS D1―3 洋装本一冊
 原袋綴装の第十一冊~第十五冊の装訂を解き、それぞれ原表紙・原裏表紙
を除去して合綴す。縦二七・一㎝、横一九・五㎝。写本。新補背表紙題「家
忠日記増補三」。新補表紙見返しに蔵書票に鉛筆書・BeineckeLibrary/
Japanese/MSS/D1/3・、ペン書・1907・あり。表裏の新補洋装表紙
と写本の間にそれぞれ洋紙の遊紙をおく。改装の際に天辺が切除されている。
①原袋綴装第十一冊
 縦二六・七㎝、横一九・一㎝(以下の各冊同じ)。扉一丁、本文五一丁、
楮紙。扉裏の天に鉛筆書き・Matsudaira,Tadafuyu・、下部中央に鉛筆書
・Beinecke/Library/Japanese/MSS/D1/3・。本文第一丁表上部
の旧附箋残片にタイプ書・I・etadanikkizo--hotsui-ka・(鉛筆横線で抹消)
が残る。本文第一丁表右上に朱印影「淀府内/帑圖/書之章」あり(天辺僅
かに欠)。本文第一丁表に首題「家忠日記追加巻之十一〈自天正十八年正/
月至同年六月〉」。尾題無し。
②原袋綴装第十二冊
 扉一丁、本文三七丁。楮紙。本文第一丁表に首題「家忠日記追加巻之十二
〈自天正十八年七月/至同十九年十二月〉」。尾題無し。本文第一丁表右上に
朱印影「淀府内/帑圖/書之章」あり。
③原袋綴装第十三冊
 扉一丁、本文六九丁、巻末遊紙一丁。楮紙。本文第一丁表に首題「家忠日
記追加巻之十三〈自文禄元年/至慶長四年〉」。尾題無し。本文第一丁表右上
に朱印影「淀府内/帑圖/書之章」あり。
④原袋綴装第十四冊
 扉一丁、本文四四丁。楮紙。本文第一丁表に首題「家忠日記追加巻之十四
〈自慶長五年正/月至同年七月〉」。尾題無し。本文第一丁表右上に朱印影
「淀府内/帑圖/書之章」あり。
⑤原袋綴装第十五冊
 扉一丁、本文五五丁、巻末遊紙一丁。楮紙。本文第一丁表に首題「家忠日
記追加巻之十五〈自慶長五年八月朔/日至同月廿九日〉」。尾題無し。本文第
一丁表右上に朱印影「淀府内/帑圖/書之章」あり。巻末遊紙裏下部に鉛筆
書「22」あり。
(4)第四冊JapaneseMSS D1―4 洋装本一冊
 原袋綴装の第十六冊~第二十冊の装訂を解き、それぞれ原表紙・原裏表紙
を除去して合綴す。縦二七・二㎝、横一九・四㎝。写本。新補背表紙題「家
忠日記増補四」。新補表紙見返しに蔵書票に鉛筆書・BeineckeLibrary/
Japanese/MSS/D1/4・、ペン書・1907・あり。表裏新補洋装表紙と写
本の間にそれぞれ洋紙の遊紙をおく。改装の際に天辺切除。
①原袋綴装第十六冊
 縦二六・八㎝、横一九・一㎝(以下の各冊同じ)。扉(空)一丁、本文五
七丁。楮紙。扉裏の天に鉛筆書き・Matsudaira,Tadafuyu・、下部中央に
鉛筆書・Beinecke/Library/Japanese/MSS/D1/4・。本文第一丁
表上部の旧附箋残片(横六・三㎝)にタイプ書・□tadanikkiZso--hotsuika
・(鉛筆横線で抹消)が残る。本文第一丁表右上に朱印影「淀府内/帑圖
/書之章」あり。本文第一丁表に首題「家忠日記追加巻之十六〈自慶長五年
九月/至同年十一月〉」。尾題無し。
②原袋綴装第十七冊
 扉一丁(空)、本文四四丁、巻末遊紙一丁。楮紙。本文第一丁表に首題
「家忠日記追加巻之十七」あり。本文書き出し「慶長五年庚子諸國之亂記」。
尾題無し。本文第一丁表右上に朱印影「淀府内/帑圖/書之章」あり。
③原袋綴装第十八冊
 扉一丁(空)、本文六三丁、巻末遊紙一丁。楮紙。本文第一丁表に首題
「家忠日記追加巻之十八〈自慶長六年/至同十年〉」。尾題無し。本文第一丁
表右上に朱印影「淀府内/帑圖/書之章」あり。
④原袋綴装第十九冊
 扉一丁(裏)、本文四一丁。楮紙。本文第一丁表に首題「家忠日記追加巻
之十九〈自慶長十一年/至同十四年〉」。尾題無し。本文第一丁表右上に朱印
影「淀府内/帑圖/書之章」あり。
⑤原袋綴装第二十冊
 扉一丁(空)、本文三一丁、巻末遊紙一丁。楮紙。本文第一丁表に首題
「家忠日記追加巻之二十〈自慶長十五年/至同十六年〉」。尾題無し。本文第
一丁表右上に朱印影「淀府内/帑圖/書之章」あり。巻末遊紙裏下部に鉛筆
書「23」あり。
(5)第五冊JapaneseMSS D1―5 洋装本一冊
 原袋綴装の第二十一冊~第二十五冊の装訂を解き、それぞれ原表紙・原裏
表紙を除去して合綴す。縦二七・二㎝、横一九・二㎝。写本。新補背表紙題
「家忠日記増補五」。新補表紙見返しに蔵書票に鉛筆書・BeineckeLibrary
/Japanese/MSS/D1/5・、ペン書・1907・あり。表裏新補洋装表紙
と写本の間にそれぞれ洋紙の遊紙をおく。改装の際に天辺が切除されている。
①原袋綴装第二十一冊
 縦二六・七㎝、横一九・一㎝(以下の各冊同じ)。扉一丁(空)、本文三六
丁。楮紙。巻末遊紙無し。扉裏の天に鉛筆書き・Matsudaira,Tadafuyu・、
下部中央に鉛筆書・Beinecke/Library/Japanese/MSS/D1/5・。
本文第一丁表上部の旧附箋残片にタイプ書・I・etadanikkizo--hotsui-ka・
(鉛筆横線で抹消)が残る。本文第一丁表右上に朱印影「淀府内/帑圖/書
之章」あり。本文第一丁表に首題「家忠日記追加巻之二十一〈自慶長十七年
/至同十八年〉」。尾題無し。
②原袋綴装第二十二冊
 扉一丁(空)、本文四四丁。楮紙。本文第一丁表に首題「家忠日記追加巻
之二十二〈自慶長十九年正/月同年十月〉」。尾題無し。本文第一丁表右上に
朱印影「淀府内/帑圖/書之章」あり。
③原袋綴装第二十三冊
 扉一丁(空)、本文二二丁。楮紙。本文第一丁表に首題「家忠日記追加巻
之廿三〈自慶長十九年十一月/至同年十二月〉」。尾題無し。本文第一丁表右
上に朱印影「淀府内/帑圖/書之章」あり。
④原袋綴装第二十四冊
 扉一丁(空)、本文三○丁。楮紙。本文第一丁表に首題「家忠日記追加巻
之二十四〈自元和元五年正月/至同年閏六月〉」。尾題無し。本文第一丁表右
上に朱印影「淀府内/帑圖/書之章」あり。
⑤原袋綴装第二十五冊
 扉一丁、本文四四丁、巻末遊紙一丁。楮紙。本文第一丁表に首題「家忠日
記追加巻之二十五〈自元和元年七月/至同二年四月〉」。第四二丁表~第四四
丁裏に寛文戊申之春従五位下主殿頭源忠房跋を収む。尾題無し。本文第一丁
表右上に朱印影「淀府内/帑圖/書之章」あり。
(6)第六冊JapaneseMSS D1―6 洋装本一冊
 原袋綴装の第二十六冊~第二十七冊の装訂を解き、それぞれ原表紙・原裏
表紙を除去して合綴す。縦二七・二㎝、横一九・三㎝。写本。新補背表紙題
「家忠日記追加」。新補表紙見返しに蔵書票に鉛筆書・BeineckeLibrary/
Japanese/MSS/D1/6・、ペン書・1907・あり。表裏新補洋装表紙と写
本の間にそれぞれ洋紙の遊紙をおく。改装の際に天辺切除。
①原袋綴装第二十六冊
 縦二六・八㎝、横一九・一㎝(以下の各冊同じ)。扉一丁(空)、本文七二
丁。楮紙。本文第一丁表に首題なし。書き出し「慶長六年辛丑」。慶長六年
~同十四年記を収む。尾題無し。本文第一丁表右上に朱印影「淀府内/帑圖
/書之章」あり。第七二丁裏下部に鉛筆書「24」あり。
②原袋綴装第二十七冊
 本文三六丁、巻末遊紙一丁。楮紙。本文第一丁表に首題「家忠日記追加
〈自慶長十五年/至同十七年〉」。尾題無し。本文第一丁表右上に朱印影「淀
府内/帑圖/書之章」あり。巻末遊紙裏下部に鉛筆書「25」あり。
2 親長卿記JapaneseMSSD2 Chikanagakyo-ki 洋装本八冊
 袋綴装の和本三九冊の装訂を解き、数冊ずつ糸綴で仮綴し、天辺・地辺・
ノドを調整切除して、八冊の洋装本に装訂す。国文学研究資料館編目録に、
「(写・刊)写、(冊数)8冊、(刊写年時)明暦二年」(四三頁)とあり。
(1)第一冊JapaneseMSS D2―1 洋装本一冊
 原袋綴装の第一冊~第三冊の装訂を解き合綴す。縦二二・三㎝、横一六・
○㎝(横は、表紙の地辺の長さ)。写本。黒色クロース装(以下の各冊同じ)。
新補背表紙題「親長卿記〈自文明二年/至同四年〉」。原装訂の袋綴本は、表
裏に本文料紙と同質の仮表紙を附けた仮綴本。また、本文料紙には、中央
(小口)上部または下部に「哲學書院」の印影の丸印または隅丸長方形印が
捺されている(捺印は、紙裏の場合もある)。新補表紙見返しに蔵書票(ヘッ
ダー:・YALE UNIVERSITY LIBRARY・。以下同じ)に鉛筆書・Beinecke
Library/Japanese/MSS/D2 1・、ペン書・1907・あり。
①原袋綴装第一冊
 縦二一・九㎝、横一五・二㎝(以下の各冊同じ)。原袋綴装仮表紙(本文
料紙と同質の料紙。以下の各冊同じ)一丁、本文二○丁、原袋綴装仮裏表紙
紙一丁(本文料紙と同質の料紙。以下の各冊同じ。空)。楮紙。仮表紙、中
央に外題「親長卿記〈文明二年/九月以後〉一」、右上に墨書「紙数二十
小池清廣校」、左上に墨書「巻初ニ目録ヲ添付スルヲ可トス」あり。また、
仮表紙中央下に鉛筆書・Beinecke/Library/Japanese/MSS/D2/
1・、左上に鉛筆書・Kanroji,Chikanaga・あり。仮表紙見返しに墨書「文明
二年按察使親長」あり。本文第一丁表上部に鉛筆書・ChikanagaKyo-ki
/vol.1・あり。本文第一丁表に首題「文明二年愚記」。巻末に尾題・奥書無
し。本文半丁に本文一○行、一行二○字にて書す(以下の各冊同じ)。界線
なし(以下の各冊同じ)。明治中期書写(以下の各冊同じ)。文明二年九月二
日より十二月二十九日までを収む。第一丁・第二丁の中央(小口)上部に丸
印の朱印影「哲學/書院」(径二・○㎝。料紙の天辺切除により上部欠)、第
三丁以下の中央(小口)上部に隅丸長方形の朱印影「哲學書院」(多くは料
紙の天辺切除により上部欠)あり。毎料紙に捺された「哲學/書院」または
「哲學書院」の印影が欠損していることにより、洋装への改装の際に、天辺
と地辺がそれぞれ一㎝以上切除されていることが知られる。よって、原袋綴
装の縦は二四㎝以上あったと推定される。本書は、井上円了が明治二一年に
設立した哲学書院により書写された写本と考えられる。哲学書院の蔵書印影
のある写本は、D9「中右記」、D10「兵範記」、D11「薩戒記」(明治三一
年雛田千佳良校正)、D12「山槐記」、D24「花園院御記」などがある。
②原袋綴装第二冊
 原袋綴装仮表紙一丁、扉一丁、本文一一四丁、原袋綴装仮裏表紙紙一丁
(空)。楮紙。仮表紙、中央に外題「親長卿記〈文明三年/四季〉二」、右上
に墨書「紙数百十五」(改装の際の切除により「紙」の上部欠)あり。扉表
に題「文明三年愚記按察使親長」、本文第一丁表に首題「文明三年記〈諒
闇中〉都護親長」あり。巻末に尾題・奥書無し。本文第一丁裏に文明二年
十二月廿九日の続きより卅日までを収め、第二丁表より文明三年正月一日以
下を収む。本文各料紙中央(小口)上部に丸印の朱印影「哲學/書院」あり。
③原袋綴装第三冊
 原袋綴装仮表紙一丁、扉一丁、本文七四丁、原袋綴装仮裏表紙一丁(空)。
楮紙。仮表紙、中央に外題「親長卿記〈文明四年/四季〉三」、右上に墨書
「紙数七十五」(改装の際の切除により「紙」の上部欠)あり。扉表に題「文
明四年愚記按察使(花押影)」、本文第一丁表に首題「文明四年愚記都護
親長〈前中納言/四十九才/文明元六廿六叙正二位〉」あり。巻末に尾題無
し。第七四丁表に本奥書「御本云/右一冊仰蔵人頭右大弁資煕朝臣令書写了」
あり。本文各料紙中央上部または下部に隅丸長方形印の朱印影「哲學書院」
(縦二・三㎝、横一・○㎝)あり(下部の印影は天地逆に捺す)。
(2)第二冊JapaneseMSS D2―2 洋装本一冊
 原袋綴装の第四冊~第八冊の装訂を解き合綴す。縦二二・五㎝、横一六・
○㎝。写本。黒色クロース装。新補背表紙題「親長卿記〈自文明五年/至同
八年〉四―七」。新補表紙見返しに蔵書票に鉛筆書・BeineckeLibrary/
Japanese/MSS/D2/2・、ペン書・1907・あり。
①原袋綴装第四冊
 原袋綴装仮表紙一丁、本文五八丁、原袋綴装仮裏表紙一丁(空)。楮紙。
仮表紙、中央に外題「親長卿記〈文明五年/四季〉四/〈文明六年/四
季〉五」、右上に墨書「紙数五十八、/百四十一、」、右下に鉛筆書
・Beinecke/Library/Japanese/MSS/D2/2・、左上に鉛筆書・Karoji,
Chikanaga・、左上の附箋剥がし取り残片にタイプ書・Sakkaiki・(鉛筆横
線で抹消)あり。本文第一丁表に首題「文明五年記都護〈判五十歳〉」、左
上に鉛筆書・Chikanaga-kyo-ki・あり。尾題なし。裏表紙見返しに本奥書
「御本云/右一冊蔵人權右少辨〈昭房〉宛筆冩之了/明暦二年
(一六五六)
十月廿八日」
あり。本文各料紙中央上部に隅丸長方形印の朱印影「哲學書院」あり。国文
学研究資料館編目録に刊写年時を「明暦2年」とするが、明暦二年の年紀は
本奥書のものであり、本書の書写年代ではない。
②原袋綴装第五冊
 原袋綴装仮表紙一丁、本文七九丁、原袋綴装仮裏表紙一丁(空)。楮紙。
仮表紙、中央に外題「文明六年愚記按察使親長」あり。本文第一丁表に首
題「文明六年都護判〈五十/一歳〉」あり。尾題なし。本文各料紙中央上
部に隅丸長方形印の朱印影「哲學書院」あり。
③原袋綴装第六冊
 原袋綴装仮表紙一丁、本文一一丁、原袋綴装仮裏表紙一丁(空)。楮紙。
仮表紙、中央に外題「親長卿記〈文明七年/四季〉六」、右上に墨書「紙
数十一、」、左中央に墨書「此方重複ノ如シ取調之事」あり。本文第一丁表に
首題「文明七年愚記」あり。文明七年正月二十五日条の途中までを収む。尾
題なし。本文各料紙中央上部に丸印の朱印影「哲學/書院」あり。
④原袋綴装第七冊
 原袋綴装仮表紙一丁、本文六六丁、原袋綴装仮裏表紙一丁(空)。楮紙。
仮表紙、中央に外題「親長卿記〈文明七年/四季〉六」、右上に墨書「紙数
六十六」あり。本文第一丁表に首題「文明七年愚記都護判〈五十二/歳〉」
あり。尾題なし。本文第六十六丁裏に本奥書「御本云/此一冊去八月廿一日
仰左大辨宰相〈煕房卿〉/令書冩之今日終功同夜於燈下自端至五月/一校了
/明暦二年十月廿六日〈奥連々可加校舎〔合〕/也〉」あり。本文各料紙中央上部
に丸印の朱印影「哲學/書院」あり。
⑤原袋綴装第八冊
 原袋綴装仮表紙一丁、本文六○丁、原袋綴装仮裏表紙一丁(空)。楮紙。
仮表紙、中央に外題「親長卿記〈文明八年/四季〉七」、右上に墨書「紙数
六十一、」(改装の際の天辺切除により「紙」の上部欠)あり。本文第一丁表
に首題「文明七年愚記都護判〈五十二〉」あり。尾題なし。本文各料紙中
央上部に隅丸長方形印の朱印影「哲學書院」あり。
(3)第三冊JapaneseMSS D2―3 洋装本一冊
 原袋綴装の第九冊~十二冊の装訂を解き合綴す。縦二二・四㎝、横一五・
八㎝。写本。新補背表紙題「親長卿記〈自文明九年/至同十二年〉八―十
一」。新補表紙見返しに蔵書票に鉛筆書・BeineckeLibrary/Japanese/
MSS/D2/3・、ペン書・1907・あり。
①原袋綴装第九冊
 原袋綴装仮表紙一丁、扉一丁、本文六九丁、原袋綴装仮裏表紙一丁(空)。
楮紙。仮表紙、中央に外題「親長卿記〈文明九年/四季〉八」、右上に墨書
「紙数七十一」、右下に鉛筆書・Beinecke/Library/Japanese/MSS/
D2/3・、左上に鉛筆書・Karoji,Chikanaga・、左上の附箋剥がし取り残片
にタイプ書・Chikanagakyo-ki・(鉛筆横線で抹消)あり。扉表に題「文
明九年愚記都護親長」、左上に鉛筆書・Chikanaga-kyo-ki/Vol.3・あり。
本文第一丁表に首題「文明九年愚記〈丁酉〉按察使判〈五十/四歳〉」あり。
尾題なし。本文各料紙中央上部に隅丸長方形印の朱印影「哲學書院」あり。
②原袋綴装第十冊
 原袋綴装仮表紙一丁、扉一丁、本文四九丁、原袋綴装仮裏表紙一丁(空)。
楮紙。仮表紙、中央に外題「親長卿記〈文明十年/四季〉」、右上に墨書「數
五十二」(改装の際の天辺切除により「紙」の上部欠)あり。扉表に題「文
明十年愚記按察使親長」あり。本文第一丁表に首題「文明十年愚記〈戌〉
都護判〈五十/五歳〉」あり。尾題なし。本文各料紙中央上部に隅丸長方形
印の朱印影「哲學書院」あり。
③原袋綴装第十一冊
 原袋綴装仮表紙一丁、扉一丁、本文六○丁、原袋綴装仮裏表紙一丁(空)
楮紙。仮表紙、中央に外題「親長卿記〈文明十一年/四季〉十」、右上に墨
書「紙數六十一」(改装の際の天辺切除により「紙」の上部欠)あり。扉表
に題「文明十一年愚記按察使判」あり。本文第一丁表に首題「文明十一年
愚記都護親長〈五十六/歳〉」あり。尾題なし。本文各料紙中央上部に隅
丸長方形印の朱印影「哲學書院」あり。
④原袋綴装第十二冊
 原袋綴装仮表紙一丁、扉一丁、本文五七丁。楮紙。原袋綴装仮裏表紙欠。
仮表紙、中央に外題「親長卿記〈文明十二年/四季〉十一」、右上に墨書
「數五十九」(改装の際の天辺切除により「紙」の上部欠)、右下に墨書「雛
田千佳良校正」あり。扉表に題「文明十二年愚記按察使判」あり。本文第
一丁表に首題「文明十二年愚記都護親長〈五十七/歳〉」あり。尾題なし。
本文各料紙中央上部に隅丸長方形印の朱印影「哲學書院」あり。
(4)第四冊JapaneseMSS D2―4 洋装本一冊
 原袋綴装の第十三冊~第十六冊の装訂を解き合綴す。縦二二・三㎝、横一
五・九㎝(以下同じ)。写本。新補背表紙題「親長卿記〈自文明十三年/至
同十六年〉」。新補表紙見返しに蔵書票に鉛筆書・BeineckeLibrary/Japanese/
MSS/D2/4・、ペン書・1907・あり。
①原袋綴装第十三冊
 原袋綴装仮表紙一丁、扉一丁、本文六四丁。楮紙。仮表紙、中央に外題
「親長卿記〈文明十三年/四季〉十二」、右上に墨書「紙数六十六」(改装の
際の天辺切除により「紙」上部欠)、右下に鉛筆書・Beinecke/Library/
Japanese/MSS/D2/4・、左上に鉛筆書・Kanroji,Chikanaga・、左上
の附箋剥がし取り残片にタイプ書・Chikanagakyo-ki・(鉛筆横線で抹消)
あり。扉表に題「文明十三年愚記按察使親長」あり。本文第一丁表に首題
「文明十三年愚記都護〈五十/八歳〉」、左上に鉛筆書・Chikanaga-kyo-ki
/vol.4.・あり。尾題なし。本文各料紙中央上部に隅丸長方形印の朱印影
「哲學書院」あり。
②原袋綴装第十四冊
 原袋綴装仮表紙一丁、本文八十七丁、原袋綴装仮裏表紙一丁(空)。楮紙。
仮表紙、中央に外題「親長卿記十三巻/文明十四年愚記按察使親長/五
十九歳」、右上に墨書「數八十四」(改装の際の天辺切除により「紙」の上部
欠)あり。本文第一丁表に題「文明十四年愚記都護」あり。尾題なし。本
文各料紙中央上部に丸印の朱印影「哲學書院」あり。
 原袋綴装の第十三冊と第十四冊の間に紙片ありて、朱書「一親長卿記〈文
明十二年。/四季〉〈十四。〉弐冊/一看聞御記〈十五。十六下。十七三
冊〉/四月廿九日受取」あり。また、わら半紙片ありて、鉛筆書「親長卿記
〈自文明十三年/至同十六年〉十二―十五」あり。朱書の「四月廿九日」は、
一九○七年と推定される。鉛筆書は洋装本背表紙の題に関わるメモである。
③原袋綴装第十五冊
 原袋綴装仮表紙一丁、扉一丁、本文四五丁、原袋綴装仮裏表紙一丁(空)。
楮紙。仮表紙、中央に外題「親長卿記〈文明十五年/四季〉十四」、右上
に墨書「紙數四十七」(改装の際の天辺切除により「紙」の上部欠)、右下に
墨書「雛田千佳良校」あり。扉表に題「愚記〈文明十五年〉按察使親長〈六
十歳〉」あり。本文第一丁表に首題「文明十五年愚記按察使親長(花押影)
〈六十歳〉」あり。尾題なし。本文各料紙中央上部に隅丸長方形印の朱印影
「哲學書院」あり。本文に校正筆、返り点あり。
④原袋綴装第十六冊
 原袋綴装仮表紙一丁、扉一丁、本文四八丁、仮裏表紙一丁。楮紙。仮表紙、
中央に外題「親長卿記〈文明十六年/四季〉十五」、右上に墨書「數四十九」
(改装の際の天辺切除により「紙」の上部欠)あり。扉表に題「愚記〈文明
十六年〉按察使親長〈六十一歳〉」あり。本文第一丁表に首題「文明十六年
愚記按察使親長判〈六十一/歳〉」あり。尾題なし。本文各料紙中央上部
に隅丸長方形印の朱印影「哲學書院」あり。
(5)第五冊JapaneseMSS D2―5 洋装本一冊
 原袋綴装の第十七冊~第二十冊の装訂を解き合綴す。縦二二・四㎝、横一
五・七㎝。写本。新補背表紙題「親長卿記〈自文明十七年/至長享二年〉
十六―十九」。新補表紙見返しに蔵書票に鉛筆書・BeineckeLibrary/
Japanese/MSS/D2/5・、ペン書・1907・あり。
①原袋綴装第十七冊
 原袋綴装仮表紙一丁、扉一丁、本文五八丁、原袋綴装仮裏表紙一丁。楮紙。
仮表紙、中央に外題「親長卿記〈文明十七年/四季〉十六」、右上に墨書
「數五十八」(改装の際の天辺切除により「紙」の上部欠)、右下に鉛筆書
・Beinecke/Library/Japanese/MSS/D2/5・、左上に鉛筆書
・Kanroji,Chikanaga・あり。扉表に題「愚記〈文明十七年〉按察使親長
〈六十二歳〉」、右上に鉛筆書・Chikanagakyo-ki/vol.5.・(上部欠)あり
(この鉛筆書は、洋装への改装以前に書かれたものと考えられる)。本文第一
丁表に首題「文明十七年愚記按察使親長(花押影)〈六十二/歳〉」あり。
尾題なし。本文各料紙中央上部に隅丸長方形印の朱印影「哲學書院」あり。
②原袋綴装第十八冊
 原袋綴装仮表紙一丁、扉一丁、本文五九丁、原袋綴装仮裏表紙一丁。楮紙。
仮表紙、中央に外題「親長卿記〈文明十八年/四季〉十七」、右上に墨書
「數六十」(改装の際の天辺切除により「紙數」の上部欠)あり。扉表に題
「愚記〈文明十八年〉按察使親長」あり。本文第一丁表に首題「文明十八年
按察使親長〈六十三/歳〉」あり。尾題なし。本文各料紙中央上部に隅丸
長方形印の朱印影「哲學書院」あり。朱印影の上部切除の状態から、天辺は
洋装への改装の際に一・五㎝以上切除されていることがわかる。
③原袋綴装第十九冊
 原袋綴装仮表紙一丁、扉一丁、本文九五丁、原袋綴装仮裏表紙一丁。楮紙。
仮表紙、中央に外題「親長卿記〈長享元/文明十九年/四季〉十八」、右
上に墨書「紙數九十五」(改装の際の天辺切除により「紙」の上部欠)あり。
扉表に題「愚記〈文明十九年/七月廿日改元/長享元年/有外宮炎上事/有
廢朝事〉按察使親長」あり。本文第一丁表に首題「文明十九年都護〈六十
四/歳〉」あり。尾題なし。本文各料紙中央上部に隅丸長方形印の朱印影
「哲學書院」あり。
④原袋綴装第二十冊
 原袋綴装仮表紙一丁、扉一丁、本文一○八丁、原袋綴装仮裏表紙一丁。楮
紙。仮表紙、中央に外題「親長卿記〈長享二年/四季〉十九」、右上に墨
書「紙數百○九」(改装の際の天辺切除により「紙」の上部欠)あり。扉表
に題「長享二年愚記按察使親長〈六十五歳〉」あり。本文第一丁表に首題
「長享二年愚記〈戊申/歳〉按察使藤原〈六十五/歳〉」あり。尾題なし。
本文各料紙中央上部に隅丸長方形印の朱印影「哲學書院」あり。
(6)第六冊JapaneseMSS D2―6 洋装本一冊
 原袋綴装の第二十一冊~第二十四冊の装訂を解き合綴す。縦二二・四㎝、
横一六・○㎝。写本。新補背表紙題「親長卿記〈自延徳元年/至明應元年〉」。
新補表紙見返しに蔵書票に鉛筆書・BeineckeLibrary/Japanese/MSS
/D2/6・、ペン書・1907・あり。
①原袋綴装第二十一冊
 原袋綴装仮表紙一丁、扉一丁、本文五七丁、原袋綴装仮裏表紙一丁。楮紙。
仮表紙、中央に外題「親長卿記〈延徳元/長享三年/四季〉廿」、右上に
墨書「紙數五十八」(改装の際の天辺切除により「紙」の上部欠)、右下に鉛
筆書墨書・Beinecke/Library/Japanese/MSS/D2/6・、左上に鉛
筆書・Kanroji、Chikanaga・、鉛筆書の下に附箋残片ありてタイプ書・□hik
anagakyo-ki・(鉛筆横線で抹消)あり。扉表に題「八月廿一日改元為延徳
元年〈依疾疫/天変〉/長享三年愚記」、天辺に鉛筆書・Chikanagakyo-ki
/vol.6.・(上部欠)あり。本文第一丁表に首題「長享三年〈己酉〉愚記〈六
十三(ママ)/歳〉」あり。尾題なし。本文各料紙中央上部に隅丸長方形印の朱印影
「哲學書院」あり。
②原袋綴装第二十二冊
 原袋綴装仮表紙一丁、本文六五丁。楮紙。後欠にて原袋綴装仮裏表紙欠く。
仮表紙、中央に外題「親長卿記廿一/正(ママ)徳二年愚記」、右上に墨書「紙數
六十九」(改装の際の天辺切除により「紙」の上部欠)あり。本文第一丁表
に首題「正〔延〕徳二年愚記按察使親長〈六十七/歳〉」あり。延徳二年七月二
十九日条までを収む。本文各料紙中央上部に隅丸長方形の朱陰影「哲學書院」
または丸印の朱印影「哲學/書院」あり。
③原袋綴装第二十三冊
 原袋綴装仮表紙一丁、扉一丁(空)、本文八八丁。楮紙。後欠にて原袋綴
装仮裏表紙欠く。仮表紙、中央に外題「親長卿記〈延徳三年/四季〉廿二」、
右上に墨書「紙數四十七」(改装の際の天辺切除により「紙」の上部欠)あ
り。本文第一丁表書き出し「相以下候今夜光物飛天変歟/二日晴三条少将参
自公方御贈物持参練貫五重」。第一丁は、他書よりの混入か。第二丁以下は、
延徳二年記・延徳四年記の料紙が混入。第一七丁~第二五丁(延徳二年八月
一日~九月一日)、第一六丁(九月二日~十一日)、第四丁~第一五丁(九月
十一日~十二月十三日)、第二丁(十二月十三日~二十一日、延徳二年記末
尾)の二三丁は延徳二年八~十二月記。第七三丁~第八八丁(延徳三年正月
二十九日~四月十三日)、第四八丁~第七二丁(四月二十八日~八月八日)、
第三七丁(八月九・十日)、第三六丁~第四一丁(八月十九日・二十日)、第
三二丁~第三三丁(八月二十一日~二十九日)、第四二丁~第四六丁(九月
一日~十月二十九日)、第三四丁~第三五丁(十一月一日~五日)、第二五丁
~第三一丁(十一月五日~十二月三十日)の六四丁は延徳四年正月二十九日
~十二月三十日記。延徳正月一日~二十八日記は欠失か。第二十二冊には延
徳二年記を「紙數六十九」とするが、第二十二冊と第二十三冊の延徳二年記
を合わせた紙数(丁数)は八八となる。したがって、本冊は、原袋綴装第二
十三冊(延徳三年)の仮表紙と原袋綴装第二十二冊(延徳二年)の後部及び
原袋綴装第二十三冊の大半を合わせて製本したものであり、この状態は袋綴
本の洋装への改装の際の丁合の誤りにより生じたと考えられる。ただし、原
袋綴装第二十二冊の仮表紙に延徳二年記の紙数(本写本を書写した時に使用
した扉と本文の料紙の数)を、現在の正月から七月までの枚数六五と近似す
る六九枚とすることは、書写に利用した親本において、延徳二年八月から十
二月の部分が別冊になっていた可能性を示す。
④原袋綴装第二十四冊
 扉一丁、本文一一丁、原袋綴装仮表紙一丁、本文四六丁、原袋綴装仮裏表
紙一丁。楮紙。最初に扉ありて、表に題「延徳四年愚記」、右上に墨書
「延徳四年改元/四年明徳元年」あり。ついで本文第一丁表に首題「延徳四
年愚記按察使親長〈六十/九歳〉」あり。第一丁~第十一丁に延徳四年正
月一日より十六日の途中「置前刷衣」(『増補史料大成』43・親長卿記三、一
七八頁下段一三行)までを収む。ついで、原袋綴装仮表紙ありて、表に外題
「親長卿記〈明應元/延徳四年/四季〉廿三」、右上に墨書「紙數七十七」
(「紙」上部欠)あり。ついで、本文料紙四六丁に、その第一丁に延徳三年十
二月三十日条後半部(「有仰仍重」(『増補史料大成』43親長卿記三、一七二
頁上段第一行)より)を収め、第二丁~第二三丁に延徳三年六月十二日~十
二月卅日を収め、第二四丁に延徳三年十二月卅日条前半(第一丁に続く)を
収め、第二四丁~第四六丁に延徳三年正月一日~六月十一日条(第二丁に続
く)を収める。第二四丁表に本文冒頭の首題「延徳三年記按察使〈六十八
/歳〉」あり。本冊は、本来、『親長卿記』二十三・延徳四年記であるが、仮
表紙の後に誤って本来、第二十三冊である延徳三年記の扉と本文を、前後を
違えて、綴じ込んでいる。したがって、復原される『親長卿記』二十二・延
徳三年記は、扉と本文で紙数四七丁となるので、原袋綴装第二十三冊の仮表
紙の「紙數四十七」と合致することになる。一方、復原される『親長卿記』
二十三・延徳四年記は、原袋綴装第二十三冊の最初の本文一一丁と、原袋綴
装二十二冊に混乱して綴じられている六四丁を合わせて七五丁、扉一丁(原
袋綴装第二十三冊首部にあり)を合わせて七六丁となり、原袋綴装第二十四
冊の仮表紙の「紙數七十七」とほぼ一致する。但し、正月十六日条半ばより
正月二十九日までの間は三~四丁分となると推測されが、現状で紙数が仮表
紙に記す紙数とほぼ一致することは、親本において正月十六日条半ばから二
十九日条までの間が欠失していた可能性を示すのかもしれない。本文各料紙
中央上部に隅丸長方形の朱陰影「哲學書院」あり。
(7)第七冊JapaneseMSS D2―7 洋装本一冊
 原袋綴装の第二十五冊~第三十冊の装訂を解き合綴す。縦二二・三㎝、横
一六・○㎝。写本。新補背表紙題「親長卿記〈自明應二年/至同七年〉
二十四―二十九」。新補表紙見返しに蔵書票に鉛筆書・BeineckeLibrary/
Japanese/MSS/D2/7・、ペン書・1907・あり。
①原袋綴装第二十五冊
 原袋綴装仮表紙一丁、扉一丁、本文八四丁、原袋綴装仮裏表紙一丁。楮紙。
仮表紙、中央に外題「親長卿記〈明應二年/四季〉廿四」、右上に墨書
「紙數八十五」(改装の際の天辺切除により「紙」の上部欠)、右下に鉛筆書
・Beinecke/Library/Japanese/MSS/D2/7・、左上に鉛筆書
・Kanroji,Chikanaga・、鉛筆書の上方に附箋残片ありてタイプ書・Chikanaga
kyo-ki・(鉛筆横線で抹消)あり。扉表に題「明應二年記」、左上に鉛筆書・
Chikanagakyo-ki/vol.7.・あり。本文第一丁表に首題「明應二年〈丑〉愚
記按察使親長〈七十/歳〉」あり。本文第一丁表の上部に丸印の「哲學/
書院」の朱印影の「院」の下部のみ残る。尾題なし。本文各料紙中央上端ま
たは下端に丸印の朱印影「哲學/書院」あり。
②原袋綴装第二十六冊
 原袋綴装仮表紙一丁、扉一丁、本文三○丁。楮紙。原袋綴装仮裏表紙欠。
仮表紙、中央に外題「親長卿記〈明應三年/四季〉二十五」、右上に墨書
「紙數三十一」あり。扉表に題「明應三年愚記蓮空七十一歳」あり。本文
第一丁表に首題「明應三年愚記蓮空〈七十一/歳〉」あり。尾題なし。本
文各料紙中央上端または下端に隅丸長方形印の朱印影「哲學書院」あり。
③原袋綴装第二十七冊
 原袋綴装仮表紙一丁、扉一丁、本文三三丁、原袋綴装仮裏表紙一丁。楮紙。
仮表紙、中央に外題「親長卿記〈明應四年/四季〉廿六」、右上に墨書
「紙數三十六」(改装の際の天辺切除により「紙」僅存)。扉表に題「愚記
〈明應/四年〉蓮空〈七十/二歳〉」あり。本文第一丁表に首題「明應四年
愚記蓮空〈七十/二歳〉」あり。尾題なし。本文各料紙中央上端または下
端に隅丸長方形印の朱印影「哲學書院」あり。
④原袋綴装第二十八冊
 原袋綴装仮表紙一丁、扉一丁、本文三四丁、原袋綴装仮裏表紙一丁。楮紙。
仮表紙、中央に外題「親長卿記〈明應五年/自正月至七月〉廿七」、右上に
墨書「紙數三十六」(改装の際の天辺切除により「紙」の上部欠)。扉表に題
「愚記〈明應/五年〉」あり。本文第一丁表に首題「明應五年愚記〈丙辰/
歳〉蓮空〈七十/三歳〉」あり。尾題なし。本文各料紙中央上部に隅丸長方
形印の朱印影「哲學書院」あり。
⑤原袋綴装第二十九冊
 原袋綴装仮表紙一丁、扉一丁、本文四一丁、原袋綴装仮裏表紙一丁。楮紙。
仮表紙、中央に外題「親長卿記〈明應六年/自正月至九月〉廿八」、右上に
墨書「紙數四十一」(改装の際の天辺切除により「紙」の上部欠)。本文第一
丁表に首題「明應六年〈丁巳/歳〉蓮空」あり。尾題なし。本文各料紙中
央上部に隅丸長方形印の朱印影「哲學書院」あり。
⑥原袋綴装第三十冊
 原袋綴装仮表紙一丁、扉一丁、本文三一丁。楮紙。仮裏表紙無し。仮表紙、
中央に外題「親長卿記〈明應七年/自正月至八月〉廿九」、右上に墨書「紙
數三十二」(改装の際の天辺切除により「紙」僅存)。扉表に題「明應七年愚
記蓮空〈七十/五歳〉」あり。本文第一丁表に首題「明應七年愚記蓮空」
あり、尾題なし。本文各料紙中央上部に隅丸長方形印の朱印影「哲學書院」
あり。奥に巻末新補遊紙(洋紙)あり。以上、三〇冊は日次記。
(8)第八冊JapaneseMSS D2―8 洋装本一冊
 原袋綴装の第三十一冊~第四十冊の装訂を解き合綴す。縦二二・三㎝、横
一六・○㎝。写本。新補背表紙題「親長卿記三十―四十」。新補表紙見返
しに蔵書票に鉛筆書・BeineckeLibrary/Japanese/MSS/D2/8・、
ペン書・1907・あり。本冊は、別記及び親長蒐集部類記を収む。
①原袋綴装第三十一冊
 原袋綴装仮表紙一丁、扉一丁、本文五四丁、原袋綴装仮裏表紙一丁。楮紙。
仮表紙、中央に外題「親長卿記三十/傳奏奉書案〈文明十三年/同十
四〉」、右上に墨書「紙數五十七」(改装の際の天辺切除により「紙」の上部
欠)、右下に鉛筆書・Beinecke/Library/Japanese/MSS/D2/8・、
左上に鉛筆書・Kanroji,Chikanaga・、鉛筆書の上方に附箋残片ありてタイ
プ書・Chikanagakyo-ki・あり。扉表に題「傳奏奉書案〈文明十三/同
十四〉(花押影)」、左上に鉛筆書・Chikanagakyo-ki/vol.8.・あり。本文
第一丁表に首題「傳奏奉書案〈文明十二〉親長」あり。本文第二丁表に貼
紙「親長記/傳奏奉書案/文明十二/親長記(十二月廿八日奉書)の写し」
(隅丸長方形印の朱印影「哲學書院」あり)及び附箋残片(天辺に貼り付け
られ半ばより折り曲げられていた附箋が改装による天辺削除の際に切断され
その上半部のみ残されたもの)に「別記ヲ調ベ□/多分十三年モノ□」(下
欠)とあり。本文一六丁表の「親長記正四位下鴨富裕縣主/四月廿九日奉
書」の上に附箋「〈□年/カ/記別/年々入〉」(上半部切除)あり。文明十
二年より延徳三年の伝奏奉書を収む。尾題なし。本文各料紙中央上部に隅丸
長方形印の朱印影「哲學書院」あり。
②原袋綴装第三十二冊
 原袋綴装仮表紙一丁、扉一丁、本文一七丁、原袋綴装仮裏表紙一丁。楮紙。
仮表紙、中央に外題「親長卿記〈傳奏奉書案/文明四年《賀茂事/在此内》
 三十一」、右上に墨書「紙數十八■七」(改装の際の天辺切除により「紙」の上
部欠)。扉表に題「傳奏奉書案〈賀茂事/同在此内〉文明四年」あり(改装
の際の天辺切除により「傳」の上部欠)。本文第一丁表に首題「傳奏奉書案」
あり。文明四年正月十六日奉書より。尾題なし。本文各料紙中央上部に隅丸
長方形印の朱印影「哲學書院」あり。
③原袋綴装第三十三冊
 原袋綴装仮表紙一丁、本文二九丁、原袋綴装仮裏表紙一丁。楮紙。仮表紙、
中央に外題「親長卿記〈文明八年/十一月以後/同九年十年〉三十二」、右
上に墨書「紙數三十」(改装の際の天辺切除により「紙」の上半部欠)。本文
第一丁表に首題「文明八年愚記都護親長」あり。尾題なし。本文各料紙、
第六丁までは紙背中央上部に、第七丁よりは中央上部に、それぞれ隅丸長方
形印の朱印影「哲學書院」あり。文明八年十一月別記及び文明八・九・十年
奉書案を収む。後欠。
④原袋綴装第三十四冊
 原袋綴装仮表紙一丁、扉一丁、本文九丁。楮紙。原袋綴装仮裏表紙無し。
仮表紙、中央に外題「親長卿記〈御教書案〉卅三」、右上に墨書「數十」
(改装の際の天辺切除により「紙」欠)。扉表に首題「御教書案按察使親長
/御教書案等連々火災之時紛失了自他家又以同前但當時無事之間教書案雖為
無益自然又覆舊儀之□□又為可□然之間出之」あり。本文第一丁書き出し
「元日節會事」。尾題なし。本文各料紙の第一丁~第三丁及び第六丁~第九丁
は中央上部に、第四丁・第五丁は中央下部に天地逆に、それぞれ隅丸長方形
印の朱印影「哲學書院」あり。
⑤原袋綴装第三十五冊
 原袋綴装仮表紙一丁、本文六三丁。楮紙。原袋綴装仮裏表紙無し。仮表紙、
中央に外題「親長卿記〈節會記/元長記〉卅四」、右上に墨書「紙數六十六」
(改装の際の天辺切除により「紙」の上半部欠)。本文第一丁表、書き出し
「文明十四年正月」。文明十四年より大永二年正月までの親長の元日節会別記
及び甘露寺元長の元日節会別記(明応十年・永正十四年・大永二年)。尾題
なし。本文各料紙の中央上部にそれぞれ隅丸長方形印の朱印影「哲學書院」
あり。
⑥原袋綴装第三十六冊
 原袋綴装仮表紙一丁、本文二○丁。楮紙。原袋綴装仮裏表紙無し。仮表紙、
中央に外題「親長卿記〈任大臣節會部類記〉卅五」、右上に墨書「紙數十九」
(改装の際の天辺切除により「紙」の上半部欠)。本文第一丁表に首題「任大
臣節會記年記次第不問」。永徳二年正月廿六日別記、貞和五年九月十三日
中園相国記、貞和五年九月十三日實村卿記、長禄二年十月廿五日記、任大臣
節會記、寛元三年三月五日記を収む。尾題なし。本文各料紙の中央上部にそ
れぞれ隅丸長方形印の朱印影「哲學書院」あり。
⑦原袋綴装第三十七冊
 原袋綴装仮表紙一丁、本文二○丁。楮紙。原袋綴装仮裏表紙無し。仮表紙、
中央に外題「親長卿記〈放生會部類〉三十六」、右上に墨書「紙數十九、半
二」(改装の際の天辺切除により「紙」の上半部欠)。兼治宿祢記・康富記を
収む。尾題なし。本文各料紙の中央上部にそれぞれ隅丸長方形印の朱印影
「哲學書院」あり。
⑧原袋綴装第三十八冊
 原袋綴装仮表紙一丁、本文二○丁、原袋綴装仮裏表紙一丁。楮紙。仮表紙、
中央に外題「親長卿卅七/行幸記/八幡御行〈延慶三/永仁七〉」、右上に
墨書「紙數二十二」(改装の際の天辺切除により「紙」の上半部欠)あり。
延慶三年十月後伏見上皇石清水八幡宮御幸記、永仁七年正月石清水八幡宮伏
見上皇御幸記を収む。尾題なし。本文各料紙の中央上部にそれぞれ隅丸長方
形印の朱印影「哲學書院」あり。
⑨原袋綴装第三十九冊
 原袋綴装仮表紙一丁、本文二七丁、原袋綴装仮裏表紙一丁。楮紙。仮表紙、
中央に外題「親長卿記賀茂御幸記卅八/遷幸部類〈経信卿〉卅九/陪膳
次第〈閑院儀〉四十」(改装の際の天辺切除により「親」の上部欠)、右上に
墨書「紙數廿七「半一」」(改装の際の天辺切除により「紙」の上部欠)あり。
寛元四年四月賀茂御幸記、遷幸部類記(経信卿記)(書写本奥書「康正二年
五月十五日書之/按察使藤原朝臣親長」)、陪膳次第(本奥書「此次第不可出
 外但権中納言藤原朝臣為貫首之目并頭左大辨房長朝臣以別儀令借与了凡
毎日儀非可秘歟然而近年少職者故也/權大納言藤原時房判」、書写奥書「借
請万里小路中納言〈冬房卿〉書写之/于時至徳三年十一月六日片時之/蔵人
頭左中辨藤原朝臣親長」)。尾題なし。本文各料紙の中央上部にそれぞれ隅丸
長方形印の朱印影「哲學書院」あり。
3 中興武家盛衰記JapaneseMSSD3 Chu-ko-bukeseisuiki
                               洋装本三冊
 原袋綴装の和本一六冊の装訂を解き、数冊ずつ糸綴で仮綴し、天辺・地辺・
ノドを調整切除して、三冊の洋装本に装訂す。国文学研究資料館編目録に、
「(写・刊)写、(冊数)3冊、(刊写年時)【記載なし石上】」(四三頁)と
あり。
(1)第一冊JapaneseMSS D3―1 洋装本一冊
 原袋綴装の第一冊~第四冊の装訂を解き、初め五目で合わせて糸綴しつい
でそれを解いて四目で綴じ直し、さらに新補表紙により洋装に改装す(以下
の各冊同じ)。縦二六・五㎝、横一八・五㎝(洋装本の表紙の地辺の長さ。
以下同じ)。写本。新補背表紙題「中興武家盛衰記一」。新補表紙見返しに
YaleUniversityLibrary蔵書票に鉛筆書・BeineckeLibrary/JAPANESE/
MSS/D3/1・、ペン書・1907・あり。藍色クロース装。表裏の
新補洋装表紙と写本の間にそれぞれ洋紙の遊紙をおく(以下の各冊同じ)。
①原袋綴装第一冊
 縦二六・○㎝、横一八・二㎝(以下の各冊同じ)。扉一丁(後補。本文料
紙と虫損重なる)、本文三四丁、原巻末遊紙一丁。楮紙。原袋綴装表紙・裏
表紙無し(以下の各冊同じ)。扉裏、天辺に貼付の紙片にタイプ書・Chu--kobu-
kesei-suiki・、紙片下方に鉛筆書・Chu--ko-bu-keseisuiki・、右下に
鉛筆書・BeineckeLibrary/Japanese/MSS/D3/1・、さらに墨書
「合巻拾六巻之内弟(ママ)一/臨川亭文房藏」あり。本文は半丁一〇行、一行二一
字(以下、同じ)本文第一丁の書き出し「中興武家盛衰記一之目録」。本冊
は目録を収む。印影なし(以下の各冊同じ)。江戸末・明治前期書写と推定
される(以下同じ)。
②原袋綴装第二冊
 扉一丁(空)、本文六六丁。楮紙。巻一・巻二を収む。本文第一丁~第三
三丁に巻一、本文第三四丁(中扉)~第六六丁に巻二を書す。本文第一丁表
裏に「中興武家盛衰記弟(ママ)一目録」を書し、第二丁表に首題「中興武家盛衰記
巻第一」、第三三丁裏に尾題「中興武家盛衰記巻一終」、第三五丁表に首題
「中興武家盛衰記巻第二」あり。巻二の尾題なし。
③原袋綴装第三冊
 本文六一丁。楮紙。巻三・巻四を収む。本文第一丁~第三○丁に巻三、本
文第三一丁~第六○丁に巻四を書す。本文第一丁表に首題「中興武家盛衰記
巻第三」(目録無し)、第三○丁裏に尾題「中興武家盛衰記巻第三終」あり。
第三一・三二丁に目録を書し、第三三丁に首題「中興武家盛衰記巻之四」、
第六一丁表に尾題「中興武家盛衰記巻之四終」あり。
④原袋綴装第四冊
 本文七○丁、巻末遊紙二丁。楮紙。巻五・巻六を収む。本文第一丁~第三
八丁に巻五、本文第三九丁~第六八丁に巻六を書す。本文第一・二丁に「中
興武家盛衰記巻之五目録」を書し、第三丁表に首題「中興武家盛衰記巻第之
五」、第三八丁表に尾題「中興武家盛衰記巻之五終」あり。第三九丁に「中
興武家盛衰記巻之六目録」を書し、第四○丁に首題「中興武家盛衰記巻之六」、
第七○丁表に尾題「中興武家盛衰記巻之六終」あり。巻末遊紙第二丁裏に鉛
筆書「廿一」あり。
(2)第二冊JapaneseMSS D3―2 洋装本一冊
 原袋綴装の第五冊~第十冊の装訂を解き、洋装に改装す。縦二六・五㎝、
横一八・五㎝。写本。新補背表紙題「中興武家盛衰記二」。新補表紙見返
しに蔵書票に鉛筆書・YaleUniversity/BeineckeLibrary/Japanese/
MSS/D3/2・、ペン書・1907・あり。
①原袋綴装第五冊
 縦二六・一㎝、横一八・一㎝(以下の各冊同じ)。扉一丁(後補。本文料
紙と虫損重なる)、本文六三丁。楮紙。扉裏、天辺に鉛筆書・Chu-ko-buke
seisuiki・、下部に鉛筆書・Beinecke/Library/Japanese/MSS/D3
/2・あり。巻七・巻八を収む。本文第一丁に「中興武家盛衰記巻之七目録」
を書し、第二丁表に首題「中興武家盛衰記巻之七」、第三二丁裏に尾題「中
興武家盛衰記巻之七終」あり。第三三丁に「中興武家盛衰記巻八目録」を書
し、第三四丁表に首題「中興武家盛衰記巻第八」、第六三丁表に尾題「中興
武家盛衰記巻之八終」あり。
②原袋綴装第六冊
 本文七一丁。楮紙。巻九・巻十を収む。本文第一・二丁に「中興武家盛衰
記巻九目録」を書し、第三丁表に首題「中興武家盛衰記巻第九」、第三五丁
裏に尾題「中興武家盛衰記巻弟(ママ)九終」あり。第三六・三七丁に「中興武家盛
衰記巻十目録」を書し、第三八丁表に首題「中興武家盛衰記巻第之十」、第
七一丁裏に尾題「中興武家盛衰記巻之十終」あり。
③原袋綴装第七冊
 本文六五丁、巻末後補遊紙二丁(空。虫穴、本文料紙より続かず)。楮紙。
巻十一・巻十二を収む。本文第一~三丁に「中興武家盛衰記巻十一目録」を
書し、第四丁表に首題「中興武家盛衰記巻第十一」、第三八丁裏に尾題「中
興武家盛衰記巻第十一終」あり。第三九丁に「中興武家盛衰記巻十二目録」
を書し、第四○丁表に首題「中興武家盛衰記巻第之十二」、第六五丁裏に尾
題「中興武家盛衰記巻之十二終」あり。
④原袋綴装第八冊
 扉一丁(後補)、本文五八丁。楮紙。巻十三・巻十四を収む。本文第一丁
に「中興武家盛衰記巻之十三目録」を書し、第二丁表に首題「中興武家盛衰
記巻之十三」、第二九丁裏に尾題「中興武家盛衰記巻第之十三終」あり。第
三○丁に「中興武家盛衰記巻之十四目録」を書し、第三一丁表に首題「中興
武家盛衰記巻第之十四」、第五八丁裏に尾題「中興武家盛衰記巻之十四終」
あり。
⑤原袋綴装第九冊
 本文八五丁。楮紙。巻十五・巻十六を収む。本文第一丁に「中興武家盛衰
記巻之十五目録」を書し、第二丁表に首題「中興武家盛衰記巻之十五」、第
四五丁表に尾題「中興武家盛衰記巻第之十五終」あり。第四六・四七丁に
「中興武家盛衰記弟(ママ)之十六目録」を書し、第四八丁表に首題「中興武家盛衰
記巻弟(ママ)之十六」、第八五丁裏に尾題「中興武家盛衰記弟(ママ)之十六終」あり。
⑥原袋綴装第十冊
 本文六六丁。楮紙。巻十七・巻十八を収む。本文第一丁に「中興武家盛衰
記巻之十七目録」を書し、第二丁表に首題「中興武家盛衰記巻之十七」、第
三五丁裏に尾題「中興武家盛衰記巻第之十七終」あり。第三六・三七丁に
「中興武家盛衰記巻之十八目録」を書し、第三八丁表に首題「中興武家盛衰
記巻第之十八」、第八五丁裏に尾題「中興武家盛衰記第之十八終」あり。第
六六丁裏に鉛筆書「廿二」あり。
(3)第三冊JapaneseMSS D3―3 洋装本一冊
 原袋綴装の第十一冊~第十六冊の装訂を解き、洋装に改装す。縦二六・五
㎝、横一八・五㎝。写本。新補背表紙題「中興武家盛衰記三」。新補表紙
見返しに蔵書票に鉛筆書・BeineckeLibrary/JAPANESE/MSS/D3
/3・、ペン書・1907・あり。
①原袋綴装第十一冊
 縦二六・一㎝、横一八・一㎝(以下の各冊同じ)。扉一丁、本文六七丁。
楮紙。扉裏、天辺に鉛筆書・Chu-ko-bukeseisuiki・、下部に鉛筆書
・Beinecke/Library/Japanese/MSS/D3/3・あり。巻十九・巻二
十を収む。本文第一・二丁に「中興武家盛衰記巻之十九目録」を書し、第三
丁表に首題「中興武家盛衰記巻之十九」、第三三丁裏に尾題「中興武家盛衰
記巻之十九終」あり。第三四丁に「中興武家盛衰記巻之二十目録」を書し、
第三五丁表に首題「中興武家盛衰記巻之二十」、第六七丁表に尾題「中興武
家盛衰記巻之二十終」あり。
②原袋綴装第十二冊
 本文六三丁。楮紙。巻二十一・巻二十二を収む。本文第一・二丁に「中興
武家盛衰記巻之二十一目録」を書し、第三丁表に首題「中興武家盛衰記巻之
二十一」、第三○丁裏に尾題「中興武家盛衰記巻之二十一終」あり。第三一
丁に「中興武家盛衰記巻之二十二目録」を書し、第三二丁表に首題「中興武
家盛衰記巻之二十二」、第六三丁表に尾題「中興武家盛衰記巻之二十二終」
あり。
③原袋綴装第十三冊
 本文六七丁。楮紙。巻二十三・巻二十四を収む。本文第一~三丁に「中興
武家盛衰記巻之二十三目録」を書し、第四丁表に首題「中興武家盛衰記巻之
二十三」、第三八丁裏に尾題「中興武家盛衰記巻之二十三終」あり。第三九・
四○丁に「中興武家盛衰記巻之二十四目録」を書し、第四一丁表に首題「中
興武家盛衰記巻之二十四」、第六七丁裏に尾題「中興武家盛衰記巻之二十四
終」あり。
④原袋綴装第十四冊
 扉一丁(空)、本文六三丁。楮紙。巻二十五・巻二十六を収む。本文第一・
二丁に「中興武家盛衰記巻之二十五目録」を書し、第三丁表に首題「中興武
家盛衰記巻之二十五」、第三二丁裏に尾題「中興武家盛衰記巻之二十五終」
あり。第三三・三四丁に「中興武家盛衰記巻之二十六目録」を書し、第三五
丁表に首題「中興武家盛衰記巻之二十六」、第六三丁表に尾題「中興武家盛
衰記巻之二十六〈終〉」あり。改装の際に第四九丁小口下端を折畳んだまま
地辺を切除しており、原袋綴装訂の地辺は現状より三㎜長かったことがわか
る。
⑤原袋綴装第十五冊
 本文五八丁。楮紙。巻二十七・巻二十八を収む。本文第一丁に「中興武家
盛衰記巻之二十七目録」を書し、第二丁表に首題「中興武家盛衰記巻之二十
七」、第三○丁裏に尾題「中興武家盛衰記巻之二十七終」あり。第三一丁に
「中興武家盛衰記巻之二十八目録」を書し、第三二丁表に首題「中興武家盛
衰記巻之二十八」、第五八丁表に尾題「中興武家盛衰記巻之二十八終」あり。
⑥原袋綴装第十六冊
 本文六一丁、巻末遊紙二丁。楮紙。巻二十九・巻三十を収む。本文第一丁
に「中興武家盛衰記巻之二十九目録」を書し、第二丁表に首題「中興武家盛
衰記巻之二十九」、第二九丁裏に尾題「中興武家盛衰記巻之二十九終」あり。
第三○・三一丁に「中興武家盛衰記巻之三十目録」を書し、第三二丁表に首
題「中興武家盛衰記巻之三十」、第六一丁裏に尾題「中興武家盛衰記巻之三
十終」あり。巻末遊紙第二丁裏に鉛筆書「二十三/三十三」あり。                               (石上英一)


『東京大学史料編纂所報』第43号p.113