東京大学史料編纂所

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所報―刊行物紹介

大日本近世史料市中取締類集二十八

本冊には、旧幕府引継書類の一部である市中取締類集のうち塗家造調之部・火消人足之部一冊、上水番等之部一冊を収めた。
塗家造調之部には、町家を不燃化するための土蔵造・塗家造の促進に関わる天保十三年(一八四二)四月から弘化二年(一八四五)四月までの一一件を収める。天保十三年四月に老中水野忠邦から、享保度に府内町家の土蔵造・塗家を触れ渡したが今になっても塗家造等は少ないとして、まずは表通りの土蔵造・塗家造について検討するようにとの指示があり(第一件)、土蔵造・塗家造を促進するための申渡書が検討された(第二件)。この申渡しに伴って、裏長屋を平屋造に命ずる件(第三件)、葺屋町・堺町両芝居跡上納地の家作を土蔵造・塗家造に命ずる件(第四件)、町会所付預り地も土蔵造・塗家造に命ずる件(第五件)、別荘等を持つ富裕な町人の所持地面を土蔵造・塗家造に命ずる件(第六件)が検討されている。申渡しから一年経った天保十四年四月には、現状の点検と土蔵造・塗家造の促進に関する両町奉行連名の上申書が老中に提出されているが(第七件)、同年五月には、南町奉行鳥居忠耀に対し「一己之存寄」を上申するよう指示があり、同人単独の上申書が提出されている(第八件)。また、角屋敷所持町人への対処も検討されている(第九件)。弘化二年には、土蔵造・塗家造が進捗していないとして対応策が検討され(第一〇件)、改めて土蔵造・塗家造の促進が命じられるとともに、その旨が勘定奉行・目付・遠国奉行に通達されている(第一一件)。
火消人足之部には、天保十五年(一八四四)正月から嘉永元年(一八四八)三月までの七件を収める。第一件は、町火消六番組の内ゐ組の町抱鳶人足雇頭について、火事場行事がゐ組頭取に無断で任命したために、ゐ組頭取らが訴え出た一件である。第二件は、大伝馬町一丁目・二丁目の家主たちが玄蕃桶を拵えて置き、出火の際に持ち出して消火に努めたことに対する褒賞に関する一件である。第三件は、町火消人足頭取の寄合場所に水茶屋が使われていることが問題とされた一件である。奉行所では自身番屋か名主宅での寄合を指示しているが、町火消側は、頭取人数が多い一・二番組は自身番屋では不適当、他組でも場合によっては多人数の寄合もあり、また消防に際し怪我人が多数出たときには広い場所が必要などと申し立てている。第四件では、め組町々の抱人足の任免が株になり、不適当な者が就任していることなどが問題になっている。第五件は、大伝馬町・小伝馬町・亀井町が申合わせて火消道具を用意し消防に当たりたいと願い出た一件で、町入用に響かないか、町火消と競合し争論が起きるのではないか、といった点が懸念されている。第六件は、五番組の内ゑ組人足の入用渡方をめぐる一件で、ゑ組人足たちが道具持給分の支給や半天・股引等の増方を要求したところ、家主たちの承諾を得られなかったために、人足一同が暇を取ると言い出し、奉行所で取調べが行われた。最後の第七件は、将軍徳川家斉の女末姫が浅野斉堅の中屋敷に引き移るのに際し、同屋敷周辺の火の元入念を触れ渡した一件である。
上水番等之部には、天保十三年(一八四二)八月から嘉永元年(一八四八)十一月までの九件を収める。第一件は、神田上水水道橋外掛樋等の見守番人の商番屋地代上納をめぐる一件で、町奉行所の冥加金廃止に応じて、普請方持商番屋の地代金をどうするかが問題になっている。第二件は、赤坂溜池外水道番人等の身分の取扱に関する一件で、普請方持の床店・番屋等の扱いについては、以後見守持場・番屋間数に関しては普請方持、身分に関しては町奉行持とし、地所の受け渡しが行われた。第三件は、飯倉的場屋敷的場守の交替に関する一件である。第四件は、水道橋上水掛樋番人・赤坂溜池端上水番人に対し、番人勤方助成のため町方人別に組み入れ、商売を認めた一件である。第五件は、江戸橋広小路河岸の普請方持木置場に付属した商床番屋の取払跡地を町奉行から普請奉行に引渡し、番人の助成のため商売を許可したいとの普請奉行の掛合に関する一件である。第六件は元飯田町俎橋見守番人の交替、第七件は飯倉的場守の交替に関する一件である。第八件は、神田上水白堀通除地見守商番屋外五ヶ所の復活願いを取扱った一件である。これより以前に赤坂御門外等三ヶ所の湯茶商床店の復活が認められたのを受け、右の五ヶ所が復活を願い出たのである。最後の第九件は、麹町三丁目・四丁目裏火除明地大的場見守番人の交替に関する一件である。
(例言一頁、目次二〇頁、本文三八〇頁、本体価格八、一〇〇円)
担当者佐藤孝之・松本良太


『東京大学史料編纂所報』第43号p.34