東京大学史料編纂所影印叢書平安鎌倉記録典籍集

影印叢書は史料編纂所が所蔵する原本史料等を精選し、影印によって刊行するものであるが、本冊には、「平安鎌倉記録典籍集」と題して、『和歌真字序集』『台記仁平三年冬記』『南無阿弥陀仏作善集』『後嵯峨院北面歴名』『大将歴名』『検非違使補任』『右衞門督補任』『拾芥抄』の七巻一帖を収めてある。本冊に於ける各書目の配列は、書写年代順を原則とし、各図版の配列は原本の現状に従い、表裏ともに紙数順を原則としたが、本来継紙であったと考えられる紙背文書等については、紙数と逆順に配列している。また、紙背については、原則として裏打ち・継手を外した状態で一紙ごとに撮影した図版を掲出している。紙数は、巻子装については、巻首から現状での紙の継目ごとに第一紙、第二紙と数え、図版の下欄、各紙右端にアラビア数字を括弧で囲んで、(1)、(2)のように、冊子装については、丁付けを図版の下欄右左に、(1ウ)、(2オ)のように標示した。なお、『和歌真字序集』については、図版の上欄、端作の当該箇所ごとに、〔一〕、〔二〕のように通番を注記している。本冊に収録した記録典籍類についての解説を要約すれば次下のようである。『和歌真字序集』(一巻、重要文化財)は、平安時代後期の漢文体の和歌序を類聚した書物の残簡で、鎌倉時代初期の書写と考えられる。原題は不詳で、その伝来も明かでなく、野口遵氏より本所に寄贈された際には「扶桑古文集」の名称が用いられていたようで、『国史大辞典』(吉川弘文館刊)は項目を「扶桑古文集」で立てている。本書は書状の紙背を利用して書写されたもので、後白河院の近臣とみられる藤原範綱の書状を中心に、建久年間の書状類二二通が収められている。『台記仁平三年冬記』(一巻、重要文化財)は、平安時代末期の公卿で保元の乱(一一五六)に敗れて矢傷を負い、落ちのびた奈良で歿した藤原頼長の日記である。鎌倉時代の書写と考えられる本書は、冒頭部分と下部を全般にわたって破損しているが、流布本に欠損している箇所の記事が多く含まれており貴重である。頼長はその「悪左府」の異名からも知られるように、冷酷な性向があったが、他方頭脳明晰で、自らも政務に励み、朝儀の復興に努めたが、学問にも非常な熱意を抱き、多数の和漢の書を閲読していた。日記には、頼長の個性がよく現れており、政治の動静のみならず、自身の学問や信条に関わる多彩な記述がみられる。『南無阿弥陀仏作善集』(一巻、重要文化財)は、南無阿弥陀仏と号した俊乗房重源の若年から晩年に至る種々の作善について記したもので、治承・寿永の内乱に伴って焼失した東大寺の復興を担った重源が、当該期において展開したユニークな宗教活動を詳細に知ることができる極めて重要な記録である。本書は「建仁三年七月日」の日付を有する「備前国麦進未并納所所下惣算用状」の紙背を利用して書写されており、恐らくは重源自身の手により、建仁三年(一二〇三)をあまり下らない時期に作成されたものと考えられる。『後嵯峨院北面歴名』(一巻)は、後嵯峨上皇に仕えた下北面を列記したもので、上皇の出家した翌年の文永六年(一二六九)に作成され、弘安年間に追記されたことが知られている。本書は書状の紙背を利用して書写されたもので、近衞家に仕えて筑前守となり越前国方上庄などの下司職を勤めた進藤為成宛の書状等を収めている。『大将歴名』(一帖)は、大同二年(八〇七)四月、それまでの近衞府を左近衞府に、中衞府を右近衞府に改編し、近衞大将であった右大臣藤原内麿が左近衛大将に、中衛大将であった中納言坂上田村麿が右近衛大将に任ぜられたが、本書はこの内麿以下、弘安二年(一二七九)正月に左大将に任ぜられた権大納言鷹司兼忠に至る一二一名に及ぶ大将を列記しており、その成立は鎌倉時代、恐らくは正応元年頃と推定されるものである。『検非違使補任』(一巻)は、検非違使別当以下府生に至る、検非違使庁の職員の氏名を年次ごとに記したもので、鎌倉時代後期の書写と考えられる。本書は冒頭部分と中間(建長三年後半~同四年前半)を欠くが、建長元年(一二四九)の後半から文永四年(一二六七)までを収めている。本書も書状の紙背等を利用して書写されたもので、『後嵯峨院北面歴名』にもみられた進藤為成宛のものを始めとして、近衞家の家政機関に集積されたと考えられる文書が収められている。『右衛門督補任』(一巻)は、正暦二年(九九一)の源時中から正中二年(一三二五)の藤原冬方までの右衛門督を列記したもので、勧修寺経顕の書写と考えらる。本書は京都大学総合博物館所蔵(勧修寺経雄氏旧蔵)の『左右衛門督補任』とは、一具のものであったと推測されるもので、元徳二年仮名暦や西園寺実俊書状等の紙背を利用して書写されている。『拾芥抄』(一巻、重要文化財)は、主として貴族が必要とする各種の知識を集成した百科全書の一種で、貴族の生活における先例や故実を記した有職書としての性格も備えており、別称に「略要抄」「拾芥略要抄」などがある。本書は首尾を欠き、原題・構成・筆者・伝来などは明らかでないが、鎌倉時代後期と推定される、書状・詩懐紙・和歌懐紙等の紙背を利用して書写されており、本書の書写も南北朝前期を下らないものと考えられ、現存する『拾芥抄』古写本としては最も古いものである。
(カラー図版二頁、目次一頁、図版三〇八頁、解説四一頁、本体価格二八〇〇〇円)
担当者厚谷和雄・尾上陽介・菊地大樹・西田友広・藤原重雄・本郷和人・山家浩樹・吉田早苗

『東京大学史料編纂所報』第43号 p.40*-41*