摂津国八部郡奥平野条里図(写)の調査

二〇〇六年六月一六日、神戸市立中央図書館(兵庫県神戸市中央区楠町)
において、同館所蔵の「摂津国八部郡奥平野条里図(写)」(登録番号・名称
33-C-213 奈良朝条理図断片写)について、『日本荘園絵図聚影』釈文編一・
古代(二〇〇七年度刊行)編纂のための調査を行い、合わせて写本である本
図のもととなった図の所在について情報の収集を行った。本図は、現在の神
戸市中央部の条里を描いたもので、「兵庫上庄」等の所在が書き込まれ、「応
保二年卯月吉日」の年紀が見られる。
同館の『神戸市立図書館所蔵神戸開港・居留地・神戸村資料目録』(一九
七〇年、以下『神戸村等資料目録』)によれば、本図は「神戸村文書」のう
ちの「神戸村地図」に分類されている。本図は、もととなった図の傷み等の
状態をそのままに写し取った影写本であり、もとの図は大正年間の神戸市史
編纂事業に際して発見・紹介され、『神戸市史附図』(一九二三年刊行)に
「兵庫条里図断簡旧奥平野村蔵」として写真図版が掲載されている。それ
によれば、もととなった図も写本である(原写本)。
一九三五年に湊川公園で開催された楠公六百年祭記念神戸観光博覧会の際
に設けられた歴史館の出品目録には、「奈良朝条里図断簡影写本神戸市立
図書館」と「奈良朝条里図断簡写神戸市平野協議会出陳」とが掲載されて
おり(同博覧会協会『楠公六百年祭記念神戸観光博覧会歴史館出品目録』一
九三五年)、前者が本図、後者が原写本であろう。したがって、本図の書写
の時期としては、大正末期~昭和初期の可能性がまず考えられよう(『日本
荘園絵図聚影』四)。本図が神戸市立図書館に所蔵されたのが何時かは、現
状では詳細不明とのことである。
なお、『神戸村等資料目録』によれば、「神戸村文書」を含めた神戸市立図
書館所蔵の古文書類の大部分は、私立の桃木書院図書館から移籍されたもの
という。桃木書院図書館は、桃木武平氏が収集した資料を公開したもので、
一九〇二年に開館、一九一〇年に閉館し、図書・備品類は、翌年設立された
神戸市立図書館に寄贈された(『神戸市立図書館60年史』、神戸市立図書館、
一九七一年)。もし仮に、本図が桃木書院図書館から移籍したものであれば、
その書写時期は明治時代あるいはそれ以前にさかのぼることとなるが、判然
としない。
原写本の図は所在不明で、戦災により失われたともされる。平野(地区)
協議会が保管していたことは、近年刊行された郷土史関係図書にも記述され
ている(落合重信『兵庫の歴史』一九九三年、兵庫区役所。前田章賀『平野
郷土史』一九九九年、私家版)。状況について未確認の点が多いが、この図
の所在が今後明らかになる可能性もないとはいえないと思われる。なお、調
査及び情報収集に際しては、神戸市立中央図書館、関西大学・西本昌弘氏、
関西大学図書館・浅井恒雄氏の協力をいただいた。ここに記して謝意を表す
る。
                              (山口英男・稲田奈津子)

『東京大学史料編纂所報』第42号