東京大学史料編纂所

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秋田県公文書館所蔵史料の調査・撮影

二〇〇六年一〇月二六日から二九日にかけ、秋田県公文書館(秋田県秋田
市山王新町一四―三一)に出張し、同館所蔵史料の調査およびマイクロフィ
ルムによる撮影を行った。撮影したのは左記の史料である(以下〔〕内は
同館の整理番号)。
一、土屋氏文書写〔県A―一四七〕                一冊
一、古文書写小野寺・六郷〔県A―一四八〕            一冊
一、高屋氏文書〔県A―一四九〕                 一冊
一、近進并以下庶民文書〔県A―一五〇〕             一冊
一、南家人文書伝来之子孫〔県A―一五四〕            一冊
一、康応記録写〔AS二八八―二〕                一冊
一、元禄家伝文書〔A二八八・二―六八七~一〇三五―二〕   三五〇点
本所にはすでに『秋田県公文書館所蔵文書』(本所架番号六一七一・二四―
五)として一七冊の写真帳が架蔵されており(細目は本所所報三二号参照)、
右に掲げたうち『元禄家伝文書』を除く史料はこれらに引き続き同じタイト
ルで収めるものである。
『土屋氏文書写』から『南家人文書伝来之子孫』までの五冊は、同館所蔵
のいわゆる『秋田藩家蔵文書』と同様の性格を持つと推測される、秋田藩家
中伝来の戦国期から近世前期にかけての文書を臨写した古文書集であり、な
ぜこれらが『秋田藩家蔵文書』と別に伝来したのか、慎重な検討を要する。
『康応記録(写)』は、康応元年(一三八九)七月十四日に佐竹氏惣領義宣
が他界して以後における佐竹氏の家臣団編成の様子やその動向を書きとめた
記録である。元禄・宝永期の秋田藩の修史事業の過程で収集された古文書な
どをまとめた「御文書并御書物目録」〔AS〇二九―一〕には、「旧本分」と
して、元禄一一年に提出された青柳五左衛門吉直所蔵本、「書本分」として、
天文三年三月九日の書写奥書を有し、それをさらに後年写した岡本元朝所蔵
本の記載があるほか、今回撮影した写本とおぼしき記事が「雑書之分」のな
かに見える。
青柳本は現在財団法人千秋文庫が所蔵し(同編『佐竹文書目録―古文書・
古記録―』古記録2)、また本所謄写本『佐竹家旧記』七(架番号二〇七五―
一一五〇―七)にも収められている。本所謄写本は、岡本元朝本などと対校
されているとみられる。千秋文庫には青柳本のほか田崎宗句献上本も所蔵さ
れている(前記目録参照)。
「御文書并御書物目録」の記載によれば、今回撮影した写本は秋田藩主佐
竹義処の弟で秋田新田藩初代藩主義長の臣小林兵右衛門なる人物が常陸より
持参したものだという。本書には奥書として、「天正三年乙亥五月六日」の
日付と書写者「日光山教城坊天維」に加え、「右文字配等本書之通写申也」
という文言が記されている。現在秋田県公文書館には小林本一冊のほか、佐
竹宗家文庫中にも一冊が所蔵されている〔未見、AS三一二―七六〕。
『元禄家伝文書』と総称され伝来する史料群は、元禄年間の修史事業のさ
い、家中諸家から提出された系図・由緒書・所蔵文書の写であり、提出され
た史料のうち原本は藩の記録所で吟味のうえ所蔵者に返却されたが、写は藩
にとどめられ、このようなかたちで伝来した。所蔵者に返却された原本とあ
わせ、これらをもとに『秋田藩家蔵文書』『諸士系図』などが編纂されるこ
とになる。
写しとはいえ、いかなる判断があったのか『秋田藩家蔵文書』に収録され
なかった文書や、『諸士系図』編纂のおり省かれた由緒書など、なお東国・
東北の戦国史に資する記事を含む史料に富み、一定の価値を有するものであ
る。
現在苗字の五十音順で整理され、総数で約二五〇〇点にのぼる『元禄家伝
文書』のうち、今年度は「相沢家先祖申伝之覚」〔A二八八・二―六八七〕
から「出右近宛書状写」〔同A二八八・二―一〇三五―二〕まで計三五〇点
の撮影を行った。今後継続的に調査・撮影をしてゆく予定である。
所蔵史料撮影の許可を与えられ、調査についての便宜をお図りいただいた
秋田県公文書館、同館古文書班畑中康博氏に厚く謝意を表する。

                              (金子拓・黒嶋敏)


『東京大学史料編纂所報』第42号p.57