東京大学史料編纂所

所報―刊行物紹介

日本関係海外史料オランダ商館長日記原文編之十一

本冊は、オランダ商館長日記原文編之十一(自正保四年十月至慶安二年十月OriginalTextsSelectionI,VolumeXI.3November,1647-5November,1649)として、フレデリック・コイエットFrederikCoyet(一六四七年十一月三日から一六四八年十二月八日まで)、ディルク・スヌークDirkSnoek(一六四八年十二月九日から一六四九年十一月五日まで)の両商館長在任中の公務日記を翻字翻刻したものである。両日記は比較的短いため、一冊に収めた。
フレデリック・コイエットはストックホルム生まれのスウェーデン人で、一六四三年にオランダ東インド会社の職員としてバタフィアに到着し、同地で勤務した。日本へは一六四七年に商館長に任命され初めて赴任した。ディルク・スヌークは一六四一年に上級商務員として東インドに来て、一六四五年に法務委員会のメンバーになった後、日本商館長に任命され、一六四八年九月十八日に日本に到着した。彼も初めての来日であった。
一六四七年十二月に江戸へ参府したコイエットは、一六四三年に南部に入港して捕縛されたブレスケンス号の乗員の釈放に対して、いまだに感謝を表明する大使が派遣されていないこと、一六四七年来航のポルトガル使節に対して、バタフィアで彼等に舵手及び水夫を貸与したことを理由に拝礼献上を許されず、翌年スヌークは参府することさえ許されぬ事態に立ち至った。この間の日本側とのやりとりが、本冊の内容の大きな特徴となっている。
一六四九年九月十九日、ついに待望の大使を乗せたオランダ船ロベインRobijn号が到着し、事態の好転が期待されたが、スヌークはその実現を見る前に、この年の取引を終え本冊収録の日記を閉じている。
本冊の底本は、オランダ国ハーグ市、オランダ国立中央文書館(かつてはAlgemeen Rijksarchief(ARA)と称されていたが、二〇〇二年に組織改変が行なわれ、現在の公式名称はNationaalArchiefとなっている。)所蔵、『日本商館文書』ArchiefNederlandseFactorijJapan(NFJ)のうち
〔A本〕Daghregister des Comp[toir]Nangasacky't sedert 3e NovemberAo. 1647 tot 8en December 1648(第六一号、旧番号KA一一六八七号)及び
〔C本〕Daghregister des Comptoirs Nangasacky zedert 9 December Ao. 1648 tot 5en December Ao. 1649 & 1650(第六二号、旧番号KA一一六八七号)である。翻刻に際しては本所所蔵マイクロフィルム複本(本所架蔵マイクロフィルム六九九八―一―四―八及び四、同焼付本七五九八―二―九~十)に拠った。右の底本(〔A本〕、〔C本〕)に対して、同文書館所蔵『オランダ東インド会社文書』(VOC)のうち『東インドよりの到着文書集』Overgekomen Brieven en Papieren uit Indië(OB)に含まれる次の異本により校合を行なった。
〔B本〕Dagelijckse aanteekeninge gedaen op't Compt. Nangasacky 3 Nov. 1647 tot 9 Dec. 1648.(VOC1169, KA1067; OB: Jaar 1649. LLL Boek II)(本所マイクロフィルム六九九八―五―八―五〇、同焼付本七五九八―六〇―五九(b))
〔D本〕Copie Dagregister sedert 9 Dec. 1648 tot 24 Oct. 1649.(VOC 1171, KA1068; OB: Jaar 1650. MMM Boek I)(本所マイクロフィルム六九九八―五―九―二、同焼付本七五九八―六〇―六一)
これらの写本はバタフィアへ送られ、同地からさらに『東インドよりの到着文書集』に収録され、オランダ本国へ送られた。A本とB本、C本とD本の間には、僅かな単語の脱漏や挿入、語順の相違、特に日本語の表記における綴字の相違が散見するほかは、決定的な相違は見られない。
本冊には、本文の日記に関係する四点の文書を附録一~四として掲載した。附録一、「商館長フレデリック・コイエット充東インド総督并評議会書翰」一六四八年七月十四日付
Missive van de Gouverneur-Generaal Cornelis van der Lijn en de Raden van Indië aan de opperkoopman Frederik Coyet. Batavia, 14 Juli, 1648.
附録二、「長崎町年寄等充東インド総督并評議会書翰」一六四八年七月十二日付
Translaat brief van de Gouverneur-Generaal Cornelis van der Lijn aan de burgermeesters van Nagasaki. Batavia, 12 Juli 1648.
附録三、「フレデリック・コイエットよりディルク・スヌークに対する訓令書」一六四八年十二月八日付
Instructie opgesteld door Frederik Coyet voor Dirk Snoek. Nagasaki, 8 December 1648.
附録四、「商館長ディルク・スヌーク充東インド総督并評議会書翰」一六四九年七月二十七日付
Missive van de Gouverneur-Generaal Cornelis van der Lijnen Radenvan Indië aan de opperkoopman Dirk Snoek. Batavia, 27 Juli 1649.
このうち、附録一及び二は『バタフィア発信書翰控簿』一六四八年分Batavia's Uitgaand Briefboek 1648(VOC 872,KA775)を、附録四は『同』一六四九年分(VOC873,KA776)(いずれも本所マイクロフィルム六九九八―二三―六、未焼付)を底本とした。附録一及び四については、『長崎商館受発信書翰控』一六四八―一六四九年Affgegaene als aengecomene missiven des comptoirs Nangasacquy van de jaeren ao. 1648 en 1649(NFJ282, KA11723)(本所マイクロフィルム六九九八―一―三一―七、同焼付本七五九八―九―六)によって校訂した。附録三は『東インドよりの到着文書集』(VOC1171, KA1068; OB: Jaar 1650. MMM BoekI)(本所マイクロフィルム六九九八―五―九―九、同焼付本七五九八―六〇―六二(g))を底本とした。
なお、本冊の巻頭には口絵として、日記底本Aの表紙、日記底本Cの第一頁、コイエットとスヌークそれぞれの署名、の四枚を白黒で掲載した。
本冊の本文の校訂に関しては、レイニアー・H・ヘスリンクReinierH.Hesselink氏、ワウテル・エリアス・ミルデWouterEliasMilde氏、イサベル・田中・ファン・ダーレンIsabelvanDaalen氏から、序説の英文の校閲についてはアダム・クルロAdam Clulow氏から多大の協力を得た。編集・校正については、非常勤職員大橋明子氏も参加した。和修氏のご教示に預かった。記して謝意を表するものである。
(解説・例言一五頁、目次一頁、図版二頁、本文二五六頁、索引一九頁、本体価格一一、五〇〇円)
担当者松井洋子・松方冬子


『東京大学史料編纂所報』第42号p.45