東京大学史料編纂所

70.ロシア連邦サンクトペテルブルグ市所在日本関係史料の調査

二〇〇五年六月十八日から二六日にかけて、ロシア連邦サンクトペテルブルグ市を訪問し、ロシア国立海軍文書館・ロシア科学アカデミー東洋学研究所・ロシア国立歴史文書館・ロシア科学アカデミー文書館・砲兵軍事史博物館などが所蔵する日本関係史料の調査をおこなうとともに、調査事業に関する協力覚書の交換などをおこなった。サンクトペテルブルグ大学東洋学部ワジム・クリモフ教授に調査協力をあおいだ。
参加者は、保谷徹・横山伊徳・小野将・柗澤裕作・犬飼ほなみである。また、藤田覚教授(本学人文系研究科)、及び通訳のためオリガ・クリモワ氏(大阪外語大学院生)の同行を得た。
① ロシア国立海軍文書館(РГАВМФ/The Russian State Naval Archives)
ソボレフ(Vladimir S. Sobolev)館長・マレヴィンスカヤ副館長と面晤し、目録刊行準備等について話し合いをおこなった。
また、19世紀日本関係目録の続きを受領した(ПЕРЕЧЕНЬ №4 документов по российско-японским отношениям (по фондам РГАВМФ))。さらには、新たに作成された以下の所蔵目録をも受領した。
・1860年代日本方面航海日誌目録 Перечень кораблей, посещавших порты Яапонии в 60-ых годах XIXв. (с указанием номеров дел по коллекции вахтенных журналов, ф.870, оп.1)
・地図・海図目録 КАРТЫ ПО ЯПОНСКОЙ ТЕМАТИКЕ ф.1331
併せて、プチャーチン報告書類(ф.296/о.1/д. 75) の複製をも受領した。
閲覧・調査については、今回はフォンド1331の地図・海図類中心におこなった(これら地図・海図類の解説目録として「ロシア国立海軍中央文書館所蔵の16・17・18世紀および19世紀前半の古地図・絵図目録」(1958年)が閲覧室に備えられている)。
ф.1331/о.4/д.106 「ロシアのアジア部、クリルおよびアリューシャン列島、北アメリカ西岸、北海道」。1779年。メルカトル式地図、経緯表示あり。彩色。裏打ちあり。シベリア~アラスカにかけて描写。沿海州・サハリン欠如。中露国境表示あり、アムールは露領外。シベリア方面はシビル・イルクーツク・トボリスク管区表示。旧水路部蔵書票番号106番。
ф.1331/о.4/д.93 オホーツク海中心にチュコート・アリューシャン・カムチャツカ方面を描く水路図。1768年。サハリンは不精確。
ф.1331/о.3/д. 49 Admiralty Charts SectionⅩⅥ 18世紀末ヵ、横浜開港資料館所蔵とcf.
ф.1331/о.2/д. 170 「日本島の北西部および蝦夷島の西部」1805年。前年のクルーゼンシュテルンか。
ф.1331/о.4/д. 135 「日本の都市ヒライズミ(平泉)ノクニの図」。1809年のコピー。彩色。「タカチシロ」氏によるもの、「日本語教師九等文官ニコライ・コロトゥイギン翻訳」と記載。(→撮影)
ф.1331/о.4/д. 137 「長崎湾」。シーボルト作成図。
ф.1331/о.4/д. 138 1811年。メルカトル式図。根室周辺はラクスマン測図+西蝦夷地海岸線は1805年図(о.2/д. 170)からコンパイル。なお「朝鮮海」の記載あり。(→撮影)
ф.1331/о.4/д. 225 「蝦夷島各所の深度付き地図」。1903年。
ф.1331/о.10/д. 15 「1889年の情報による外国貿易に開かれた港の表示を伴う日本、朝鮮、中国沿岸の臨時海図」。
ф.1331/о.4/д. 709 「クルーゼンシュテルンの世界周航アトラス」。1813年。
ф.1331/о.4/д. 143 「カムチャツカ沿岸、サハリン、エゾ、クリル諸島図」
ф.1331/о.4/д. 898 「日本海図アトラス」。シーボルト作成図。
② ロシア国立歴史文書館(РГИА/The Russian State Historical Archives)
新館への移転作業中につき現在閉館中であったが、ソコロフ館長(Aleksandr R. Sokolov)と面晤でき、目録刊行準備等について話し合いをおこなった。また今回で、史料解説目録を末尾まで受領した(全384件)。なお特段の高配に預かり、移転先に建設中である新館設備についても見学することができた。
さらに、以下のファイルについて複製を入手した。
ф. 1374/оп. 1/д. 236「日本との通商の開始、露米会社の設立、および日本人漂流民15名の日本への送還について」
ф. 468 /оп. 43 /д. 466 「ラクスマンによって日本から持ち帰られた物品の目録」
ф. 18/оп. 5/д. 504 「ボアグ島に漂着した4人の日本人の本国への帰還に関する露米会社幹部会上申書について」1835~37年
ф. 994/оп. 2/д. 1620「ロシア遣日使節日誌、日本の港への入港と乗組員の上陸許可について、沿岸の権力に宛てた使節団の司令官の覚書添付」1792~93年。
ルギアでは、以下のファイルを請求・閲覧した。
ф. 469/оп. 2/д. 635 1862 (9点) 竹内使節団リストの露語訳あり。
ф. 469/оп. 2/д. 1296 1862-63 (12点)
ф. 469/оп. 8/д. 2173 Министерство Императорскго Двор Экспедиция Церемониальн(宮内省儀典局)のレターヘッドあり。1862.6/19から収録。印刷物Высочайший утверждениый церемониаль Вьеда в С. Петербургь Японскаго Посольства (日本使節のサンクト・ペテルブルグ入市勅許)も所収。Ambassade Japonaiseのリストあり(仏文)。
ф. 468/оп. 1/д. 2559 Министерство Императорскго Двор Канцеляия(宮内省官房)のレターヘッドあり。
В Кабинеты Его Императорскго 地図(кипрегельなど)や器具の選定に係わる皇帝への報告
ф.472/о.15/д. 4 「日本の使節のペテルブルグ到着について」。1862年1月~1863年2月。竹内使節団関係。内容は宮内省の担当者間(宮内大臣・三等宮内官・儀典局など)および宮内省と他機関(外務大臣ゴルチャコフ、外務省アジア局、外務省在ベルリン公使館、海軍省、陸軍省、大蔵省、国立銀行など)との往復書類。皇帝承認済の使節団謁見式次第などの印刷物も含まれる。また、日本使節への贈答品の領収書も綴じこまれ、その中に1862年8月2日付の、写真師A・N・シュパコフスキー(ヴァシリー島13条24番地)発行の領収書がある。台紙からこのシュパコフスキー撮影と確認される肖像写真が、柴田剛中旧蔵写真の中に二点存在する(斎藤大之進と「魯西亜附添士官之内 ゴルツヲコフ」)。
③東洋学研究所(サンクト・ペテルブルグ支部)(The St. Petersburg Branch of the Institute of Oriental Studies)ポポワ所長(Irina F. Popova)と面晤、今後の共同研究について協議した。架蔵のゴシケーヴィチ(初代駐日領事)・コレクションを対象とする共同研究について、合意した。
閲覧・調査の成果としては、樺太(北蝦夷地)場所請負商人の帳簿を検討することができた。
*「大福帳」(A47):横帳6冊合綴、上部にアイヌ人名184名、横部に地名25箇所記載。
*「簾貸帳」(A48):横帳、「すだれ」とヨむ、場所の各単位ごと、個人別に記載あり。
「  九月
丑秋 チ内ボ
一、煙草 一わ    ウトンナ
一、夷椀 弐ツ
 〆  簾 弐拾枚 受取 」
なお「簾貸帳」と「大福帳」には部分的対応関係が認められる。
※「簾貸帳」:「サラハアイノ」の項
「一、下たはこ 三把    亥とし かし
    但■■■■  寅入 
     大福帳ニ入           」
  ↓
※「大福帳」:「サランバアイノ」の項
「一、たはこ  三把    亥とし 壱口かし」
今後とも研究を要する貴重史料と評価できよう。
④ クンストカーメラ(人類学・民族学博物館)(Kunstkamera/MAE)
以下のコレクションについて解説をいただいた。
*ポシェトによる写真コレクション:116枚
明治初年が多く、神田孝平(露文で「兵庫の知事」とあり)、榎本武揚(1881年)、伊達宗城(「呈旧知己ポセット閣下 従三位勲二等伊達宗城」と裏書あり)、志賀親朋(1872年東京)など。
 幕府使節小出・石川肖像(ボリシャヤ・モルスカーヤ29番地撮影)
* ポリヤコフ写真コレクション 526枚。日本出張の動物学者。日本関係400枚程度か。被写体アイヌ人など
*所蔵アルヒーフ
 フヴォストフ・ダヴィドフ招来品(アレクサンドル1世勅令で博物館編入のリストあり)。
*川原慶賀筆絵画(オーフェルメール=フィッセル招来で、科学アカデミーアジア博物館経由)。山梨絵美子「研究資料 クンストカーメラ所蔵フィッセル・コレクションの日本絵画――川原慶賀作品を中心に」(『美術研究』378, 2003)参看のこと。
⑤砲兵軍事史博物館 (Military History Museum of the Artillery, Corps of Engineers, and Signal Corps/ VIMAIViVS)
日露戦争関係資料や日本産武器コレクションについて解説をいただいた。
⑥ロシア科学アカデミー文書館(サンクト・ペテルブルグ支部)
(PFA RAN, St.Petersburg Branch of the Archive of the Russian Academy of Sciences)
トゥンキナ館長Irina V. Tunkinaと面晤した。日本関係史料目録(部分)を受領した(Материалы к составлению перечня документов из архивного фонда ПФА РАН по теме «Россия-Япония»)。
また、以下を閲覧・調査した。
ф.1/о.3/д. 70 「受信書簡1787-1790」所収の、科学アカデミー宛エリク・ラクスマン書簡(独文)。1790年3月24日。商人大黒屋光大夫が作成した日本地図の送附について。エリク(キリル、1737-96)はアダムの父、フィンランド出身の博物学者。
ф.1/о.2―1795/д. 1より、蘭医ステュッツェル関係資料(仏文)、1795年。(→デジタル画像で収集)。科学アカデミーが招聘し、東洋医学(鍼灸・指圧)について報告を行わせた、その内容について。なお、ф.1は「科学アカデミーの会議(конференция)」
ф.3/о.8/д. 45 「科学アカデミー官房から図書館およびクンストカーメラに送付された図書及び物品の目録」より、ステュッツェル寄贈品の移管に関する文書。1795年。江戸・大坂の地図などのリストふくむ。
ф.3/о.1/д. 2245より、大黒屋光大夫より受け取った日本物品のリスト。1791年。(→デジタル画像で収集)。
ф.82/о.1/д. 8 マキシモヴィッチ日記(Reise-Tagebuch, 独文)1860年8月~同9月 箱館(→冒頭部分のデジタル画像を収集)。カール・ヨハン・マキシモヴィッチ(1827-91)は植物学者、1860-63年来日。
ф.82/о.1/д. 9 同日記(独文) 1861年5月19日~10月11日 箱館
Р. II, оп. 1, д.206 より、正教に改宗した日本人コズマとダミアンについての短い報告(→デジタル画像で収集)。
⑦エルミタージュ美術館分館(旧帝国大蔵省・外務省)(State Hemitage/GE)
もと外務大臣執務室、皇帝アレクサンドル1世関係展示などをみることができた。
(小野 将・保谷 徹・柗澤裕作・横山伊徳)


『東京大学史料編纂所報』第41号