東京大学史料編纂所

69.韓国所在日本関係史料の調査

 二〇〇五年一〇月六日から一二日までの日程で大韓民国に出張し、慶州市・果川市の史料保存研究機関を訪問して、前近代日本関係史料の所在状況、及び周辺の関連史跡の調査を行ってきた。なお、今回の出張調査では東京大学研究生の高銀美氏に通訳担当として同行をお願いし、また、国立慶州博物館の兪炳夏学芸室長、徐羅伐大学の李鎮洛招聘教授、国史編纂委員会の田美姫編史研究士には各調査先において多大な御助力を賜った。記して厚く感謝申し上げたい。
 各機関ごとの調査概要は以下の通りである。
一、国立慶州博物館(慶尚北道慶州市仁旺洞)
 ソウルから慶州までの移動の途中、慶尚南道陝川郡にある海印寺を経由した。同寺には日本とも関わりが深い高麗版八万大蔵経の版木が保管されており、蔵経板殿において見学できるようになっている。
 国立慶州博物館は、新羅の都であった慶州の文物を集積した、慶州に関する研究拠点である。同館の成り立ちや展示品について、兪炳夏氏に解説していただいた。
 その後、李鎮洛氏にご案内いただきながら、慶州九政里古墳から、旧塩浦関係史跡、周辺の倭城を調査してまわった。九政里古墳は、その周囲に十二支像の刻まれた護石が配置されており、日本古代のいわゆる隼人石やキトラ古墳壁画等へとつながる、中国文化の周辺地域への波及状況を示す事例として注目される。現在は石室内部が復元公開されている。
三浦の一つであった塩浦は、工業都市蔚山の出荷港として埋め立てがかなり進行しているものの、複雑な海岸線に囲まれた浦の面影を残している。慶長の役で加藤清正らが籠城したことで有名な蔚山倭城は、現在公園化されているが、石垣などの遺構が一部残存しており、塩浦とも指呼の距離であることが確認できた。蔚山近郊にある西生浦倭城は、浦を見下ろす尾根に築かれた城郭という景観と、山中に築かれた石垣が、今も見事に保存されている倭城である。石垣の保存状態は良好で、石のなかには刻印を打たれたものがあり、記号・文字と表面観察できるものもあり、本格的な調査が待たれるところである。
二、国史編纂委員会(京畿道果川市中央洞)
 国史編纂委員会所蔵の対馬島宗家文書について、中世・近世初期史料を中心にマイクロフィルムで閲覧し、必要な史料についてはマイクロフィルムからの複製を入手した。前年度からの継続調査であり、今回は近世対馬藩で作成された、宗氏発給の判物を書き写した「御判物写」を中心に調査を行った。対馬藩の「御判物写」およびその付属情報としての系図史料は膨大な点数が残されているため、今後も継続的な調査が必要である。
(稲田奈津子・榎原雅治・及川 亘・黒嶋 敏・高橋慎一朗・藤原重雄)


『東京大学史料編纂所報』第41号