東京大学史料編纂所

68.韓国所在日本関係史料の調査

二〇〇五年九月五日から九日まで大韓民国に出張し、国史編纂委員会(京畿道果川市中央洞二―六)を訪問して、同委員会所蔵の対馬島宗家文書及び朝鮮総督府修史事業関係史料について閲覧・調査を行なった(いずれも継続調査)。今回調査した史料の概要は、以下に記す通りである。
(1)対馬島宗家文書
 幕末期の露艦ポサードニク号事件など対外関係史料・日朝関係史料を中心にマイクロフィルムで閲覧、必要な史料につき同フィルムからの複製を入手した。
【記録類1432】安政七年庚申正月ヨリ毎日記 朝鮮方頭役・添役中(万延元~文久元年) (文久元年二月~八月分複写)
【記録類1436】万延二辛酉年毎日記 朝鮮方 (文久元年三月分複写)
【記録類2873】文久元辛酉年八月四日越後国之者拾壱人外ニ便乞弐人都合拾三人乗壱艘朝鮮国景尚道景州之内下西津と申所江漂着破船記録
【記録類2876】文久元辛酉年より同二壬戌年ニ至榊原式部大輔様御領内越後国頸城郡鬼舞浦船一艘拾壹人乗便乞共都拾三人乗組朝鮮国景尚道景州之内下西津江漂着大坂江被送返候記録 (複写は中途まで)
【記録類5780】文久元辛酉年十月より十一月ニ至 外国御奉行野々山丹後守様・御目付小笠原摂津守様以下御役々御下向八郷御廻村ニ付各中内御附廻日記 表書札方
【古文書3902】文久元年七月二十一日付宗義和宛長崎奉行岡部長常書翰
【古文書5378】〔包紙のみ〕「文久元辛酉年月日なし 御書付二通 外国御奉行野々山丹後守様以下御国御下向且神奈川より長崎・箱館江之海路測量之儀也、辛酉七月廿日外国御用御取扱御老中安藤對馬守様より御留守居御呼出ニ付山崎東介参上之処、公用人を以被成緒渡」
【古文書9812】文久元年七月 宗義和宛幕府達(英艦の箱館・長崎間の海路測量を許可した所以を布達)
【古文書10238】文久元年 宗義和宛幕府達(下部欠損)
【古文書10392】〔包紙のみ〕「文久二壬戌年月日なし 御書取一通 去酉年魯西亜人浅海芋崎江補理致し候家屋取崩候木材長崎奉行江引渡候様与之儀也、壬戌九月五日外国御用御取扱御老中水野和泉守様より御留守居御呼御渡」
【古文書3920】元治元年五月 大嶋友之丞宛老中書取三通(包紙入)
【古文書10183】慶応三年十二月晦日付 対馬藩年寄宛大島友之丞書翰
(2)朝鮮総督府修史事業関係史料
【中B14-62】朝鮮史編修会事務報告書(前回の続き)
《内容抜粋》
「  道知事会議ニ於ケル朝鮮史料保存ニ関スル協議
大正十二年五月十九日午前十時三十分、本府第一会議室ニ於テ開会、有吉政務総監・時実京畿以下各道知事・長野書記官長・深川書記官・金書記官・栢原嘱託出席、大塚内務局長・原土木部長・倉橋文書課長列席、
長野書記官長
昨年十二月、朝鮮史編纂ノ事業ヲ開始致シマシテ、今後十個年ヲ期シテ完全ナル歴史ヲ完成スルコトニ致シマシタノデアリマス、史料ノ蒐集トイフコトニ付テハ委員会ニ於テモ極力調査シテ居ルトコロデアリマスケレドモ、地方ニ於テモ有益ナル史料ガ随分アルコトヽ思ヒマスカラ、民間并ニ各官公署ニ属スル古記録・文書類ハ出来得ル限リ保存ノ途ヲ講ゼラレンコトヲ折入ッテ御願致シタイノデアリマス、
中野咸鏡北道知事
古記録・文書類ヲ一所ニ寄セ集メテ保存スルコトヽナレバ、経費ノコトモ考ヘナケレバナリマセンガ、此ノ点ハ如何ナモノデセウカ、
長野書記官長
史料トナルベキモノガアリマシタナラバ、唯ダ保存ヲシテ置イテ頂イテ委員会ノ方カラ調査ニ参リマシタ節ハ、出来得ル限リノ便宜ヲ御与ヘ下サランコトヲ御願致ス次第デアリマス、
金書記官
先日京畿道庁カラ、廃棄処分ヲスル古文書類ガアルガ中枢院ニ入用ノモノハアルマイカトノ親切ナル通知ニ接シマシテ、早速其ノ文書類ヲ調査シテ見マシタ所、史料トナルベキモノガ多クアリマスノデ、之ヲ譲受ケタコトガアリマスガ、各官公署ニ於テハ不用トシテ廃棄セラルヽ文書類デモ、歴史編纂ノ方ニハ大ニ参考トナルベキモノガ相当アリマスカラ、今後ハ苟モ古記録・文書等ハ先ヅ史料トシテ御保存ヲ願ヒタイト思ヒマス、尚ホ朝鮮人間ニ於テ、総督府当局ハ朝鮮人ヲシテ歴史観念ヲ去ラシムベク、過去ノ文化ヲ誇ルベキ貴重ナル史料ハ可成没収セントシツヽアルガ如ク誤解スルモノ尠ナカラサル状態デアリマス、此ノ朝鮮史編纂計画ハ只今長野書記官長カラノ御説明ノ通リデアリマシテ、最モ主眼トスル点ハ、漸次湮滅シツツアル史料ヲ一日モ早ク完全ニ蒐集シテ永久保存ノ途ヲ講ゼントスル学術的修史事業デアリマスカラ、古記録其ノ他史料トナルベキモノハ自ラ進ンデ提供シテ呉レルヤウ、此ノ趣旨ヲ十分御宣伝下サランコトヲ特ニ御願致ス次第デアリマス、
沢田慶尚北道知事
総督府デ本道安東郡ノ某両班家カラ古記録ヲ借リテ置イテ、遂ニ返ヘサナカッタトイフ事実ヲ聞イテ居リマスガ、此ノ点ニハ特ニ充分ノ注意ヲナサラナイト、民間ニ折角ノ史料トナルベキモノガアリナガラ、其レヲ借リ入レルコトノ出来ナイヤウナ不結果ヲ来スコトニナリハスマイカト思ヒマスカラ、一寸御参考マデニ申シ上ゲテ置キマス、
金書記官
今後中枢院ニ於テ借リ入レル場合ハ、決シテ不都合ナキヤウ責任ヲ以テ十分ノ注意ヲ払ヒ、迅速ニ返還ノ方法ヲ講スル積リデアリマスカラ、是レ亦安心シテ貸与スルヤウ御宣伝ヲ御願致シマス、
政務総監
大体ノ主意ガ史料保存ニ在ルノデアリマシテ、是ヲ是トシ非ヲ非トシテ、有ルト有ラユル材料ヲ提供シテ頂キタイノデアリマス、
金忠清南道知事
現ニ民間ニ李朝時代ノ史料トナルベキ古記録・文書類ガアリマスケレドモ、ソレヲ隠蔽シテ出サナイヤウナ有様デアリマスカラ、一般ノ誤解ヲ招カヌヤウ宣伝■(ビラ)デモ各地ニ配付サレタナラバ、必ズ効果ガアルデアラウト思ヒマス、
政務総監
宣伝■ヲ配付スル必要モアルマイト思ヒマス、
コレデ中枢院ノ朝鮮史料保存ニ関スル協議ハ終了致シマス(時ニ午前十一時)」
「   第五回朝鮮史編纂委員会会議録
(大正十三年十二月二十三日)
(中略)
九番(劉委員)
編纂事業ニ付テ一言申上ゲタイデスガ差支アリマセンカ、
委員長 *委員長=下岡
差支アリマセン、
九番(劉委員)
古孔子モ修史ノコトニ付テハ直書良史官トイフ教訓ヲ与ヘラレタノデアリマス、
御承知ノ通リ、朝鮮ノ史料ハ各地ニ散乱シテ居リマスルガ、幸ニ好成績ヲ以テ貴重ナ史料ヲ蒐集セラルルコトハ喜バシイコトデアリマス、例ヘバ実録ノ如キモ原稿ト対照スレバ相違シタ点ガ種々アルノデアリマス、是レハ何レガ正シイカハ慎重且ツ公平ニ審査ヲセネバナラヌノデアリマスガ、編纂ニ当ラルル方方ハ充分ノ注意ヲ払ハネバナラヌコトト思ヒマス、又三百年以来ノ歴史ハ党争ガ因ヲ為シテ居リマス、而シテ此等ノコトヲ審査シ一面史料ヲ蒐集スルニハ、充分地位ト職権トヲ与ヘラレ、勅任官以下ノ職員ヲ置キ権威アルモノトシ、以テ完全ナル歴史ヲ編纂セラレンコトヲ希望致シマス、
委員長
其ノ点ニ付テハ、第四回委員会ニ於テモ劉委員カラノ御希望ニ対シテ御答シタト記憶シテ居リマス、即チ官制ノ上カラ一段重ク見ルトイフコトハ、委員長トシテハ勿論、総督府トシテモ同意デアリマス、是ニ就テハ内地ニ於ケル関係権衡モアリマスガ、現在ヨリ一歩進ンダモノニシタイトイフ考デ、其ノ案ハ東京ノ方ヘ齎シテ交渉スルコトニナツテ居リマスガ、官制ヲ見ルトシテモ明年四月以後デアラウト思ヒマス、
(下略)                          」
【中B14-75】昭和五年十二月 編修打合会議事録 朝鮮史編修会    一冊
《件名目録》
○第一号 編修打合会開催ノ件
○第二号 編修体裁ニ関スル件
○第三号 朝鮮史編修会編修打合会議事録
○(無番号) 編修打合会(昭和六年六月二十五日)
○(無番号) 編修打合会(昭和十年七月十日)
○(無番号) 朝鮮史進行打合決議書(九月三十日) *昭和十年
《内容抜粋》
○第三号 昭和五年十二月五日 朝鮮史編修会編修打合会議事録
  *本文はタイプ印字。
「  朝鮮史編修会編修打合会出欠席表
出席 会  長  児玉 秀雄
出席 顧  問  朴 泳 孝
欠席 同     権 重 顕
欠席 同     服部 宇之吉
欠席 同     黒板 勝美
欠席 同     内藤 虎次郎
欠席 委  員  篠田 治策
出席 同     武部 欽一
出席 同     今村 武志
出席 委  員  小田 省吾
出席 同     今西 龍
欠席 同     林 繁蔵
出席 同     魚 允 迪
出席 委  員  張間 源四郎
幹  事
出席 委  員  李 能 和
出席 同     鄭 万 朝
出席 同     李 秉 韶
出席 同     尹 寗 求
出席 同     崔 南 善
出席 幹  事  厳 昌 燮
出席 幹  事  稲葉 岩吉
修史官
出席 修史官   洪   憙
出席 同     中村 栄孝
出席 修史官補  葛城 末治
書  記
出席 修史官補  末松 保和
出席 同     申 奭 鎬
出席 書  記  金 容 迪
出席 書  記  玄 陽 燮          」
   *「出席」は朱印、「欠席」は青印。
「     編修打合会議事録
会長 本日皆ナ様ニオ集リヲ願ツタノハ、朝鮮史編修ノ体裁、特ニ第一編ノ体裁ニツイテ少シ御相談シタイコトガアルノデアリマス、其ノ詳細ハ担任ノ今西委員カラ説明ガアル筈デアリマス、今日ノ会合ハ可成打寛ケテ懇談的ニ御打合下サルコトヲ希望致シマス、
今西委員 愈々第一・二編ヲ印刷スルコトニナリマスト、其ノ体裁ニツイテ少シ欠点ヲ発見シマシタ、綱領第九条(第一編ハ、特ニ旧来編纂撰録セラレタル記録・史籍其他ノ史料ヲ原文ノマヽ類聚収載シ、特ニ編年ノ体トナサズ)ヲ見マスト、ツマリ第一編ハ編年体トシナイデ、書物ヲソノマヽ収録スルコトニナツテヲリマス、コレハ最初カラ第一編ハ編年体トスルコトガ出来ナイト思ツタカラデアリマスガ、併シソレニ依ツテ編纂シタモノヲ見マスト、体裁ヲ為サナイバカリデナク、同一ノ記事ガ畳出シ、同シ事項ヲ一々繰返シテ要領文ヲツケネバナリマセン、シテ見ルト要領文ガ却テ本文ヨリ長クナルコトニナリマス、シカシナガラコレヲ編年体ニスルコトニシマスト、余程纏リガツクヤウニナリマス、勿論最初ノ檀君・箕子・衛満ノ朝鮮及ビ三韓等ハ編年体ニスルコトハ出来マセンガ、ソノ後ニナリマスト左程六ヶ敷クハアリマセン、其方針デ編纂シタモノヲ見本トシテ出シテオキマシタカラ、御一覧ノ上御意見ヲ承リタイト存ジマス、
朝鮮側ノ史料デアル三国史記・三国遺事モ亦ソノマヽニ収録シテヲリマスガ、コノ体裁ヲ改メテ編年体ニシタイト思ヒマス、即チ三国史記ハ新羅・高句麗・百済ヲ別々ニ収メテ居リマスガ、三国史節要ノヤウニ一緒ニ収録シ、編年体トシテ編纂シタイノデアリマス、コレニツイテモ併セテ御意見ヲ承リタイノデアリマス、
尚ホオ断リシタイコトハ、日本及支那史料ニツイテハ、記事ノ示ス通リニ其侭要領ヲ掲ケテ収録シヨウト考ヘマス、例ヘバ日本書紀ノ垂仁天皇紀ニ「新羅王子天日搶来ル」トアルモノヲ収録スル場合ニ、朝鮮ヲ主トスレバ天日搶行クト書カナケレバナリマセンガ、シカシ日本ノ側ノ史料ダケカラ見テ書クノデアリマスカラ、天日搶来ルト書クノデアリマス、
崔委員 後人ノ説ヲオ採リニナリマスカ、
今西委員 ソレホドノ余裕ハアリマセン、
崔委員 編年体ノ中ニ収マリ切ラナイモノハ別編トシテ収録シマスカ、
今西委員 ソウデス、濊・貊・沃沮等ハ皆ナ別ニ収録シマス、
崔委員 ソレハ各々関係事件ノ下ニ分註トシテ取リ入レテ、又タ別ニ伝ヲ立テテハ如何デスカ、
今西委員 ソレハ宜シイデセウ、
崔委員 書紀ノ中デ日本ト朝鮮トノ間ニ何々ガ朝貢ストアレバ、ソレモソノマヽ取リ入レマスカ、
今西委員 ソウデス、朝貢ハ問題デアリマスカラ、唯何々ノ使来ルトイフヤウニ書カウト思ヒマス、
鄭委員 只今編纂サレタ支那史料ノ稿本ヲ見マスト、元封六年ニ玄菟城ヲ築クトアリマス、コレハ朝鮮ノ何年ニ当ルカ之ニ依ツテハ判リマセンガ、朝鮮史デアル以上、朝鮮何王ノ何年ニ玄菟城ヲ築クト書イテ、ソレニ分註トシテ支那ノ年号ヲ書クヘキデハアリマセンカ、
今西委員 ソレハ出来マセン、古代ノ朝鮮歴史ハ年代ガ不明デアリ、又玄菟城ヲ築イタノハ支那側デアツテ朝鮮デハアリマセン、朝鮮側カラ見レバ築カレタノデアリマス、先程申シマシタ通リニ日本・支那史料ハソレヲ主トシテソノマヽニ収録スルノデアリマス、
崔委員 採録スル古典ノ範囲ハ如何ナルモノデスカ、
今西委員 新羅統一時代マデノモノデアリマシテ、殊ニ書紀・新撰姓氏録等ノ以外ニハ疑ハシイモノハ取リマセン、
崔委員 万葉集ハドウシマスカ、
今西委員 コレハ大底統一後ノモノニナツテヲリマス、
崔委員 神社ノ史料ハドウシマスカ、
今西委員 ソレモ採リマセン、
李能和委員 九夷ハドウ云フ風ニ取扱ヒマスカ、
今西委員 ソレハ一ツノ言葉デアツテ歴史的事実デナイカラ採リマセン、
李能和委員 箕子ハドウシマスカ、
今西委員 ソレハ収録シマスガ、シカシ勿論箕子ソノモノノ伝デハナクシテ、ソノ朝鮮ニ関スル伝説ノミデアリマス、
会長 今西委員ニオ尋ネシマス、幼稚ナ質問デハアルガ、前ノモノヲ今回ハドウイフ風ニ改メルトイフコトニナルワケデスカ、
今西委員 前ニハ第一編ハ編年ニスルコトガ出来ナイト考ヘテ、史料ヲ書物別ニ其ノマヽ収録スルコトニシテアリマシタ、コレマデハ其方針ニ依ツテ草稿ヲ進メテ来タノデアリマスガ、ソノ出来上ツタモノヲ見マスト思ハシクナイ点ガ多イノデアリマス、即チ記事一々ニ見出シヲ附ネバナリマセン、ソレガ本文ヨリモ反ツテ長クナリ、同一ノ記事ガ幾度モ繰返シテ出ルコトニナリマス、ソレデ色々考ヘマシタ結果、今之ヲ編年体ニ書キ改メタイノデアリマス、
会長 前ノ方針デ進行シテヰルモノヲ変更スルト余計ナ時日ヲ要シマセンカ、
今村委員 実際仕事ヲ進メル上ニ、ソレデ予定ノ期限ニ間ニアヒマスカ、
末松修史官補 左程ノ面倒ハナイヤウデスカラ、予定ノ期限内ニ十分出来ルト思ヒマス、
会長 欠席ノ顧問・委員等ニ此ノ意見ヲ諮ツタコトガアリマスカ、
今西委員 アリマセン、
会長 黒板顧問ノ意見ヲ聞イタラドウデスカ、
今西委員 コレガ最善ノ方法デアリマスカラ、黒板顧問ニモ別ニ異議ハ無イト思ヒマス、
会長 少シ圧迫的ニナリハシマセンカ、
今西委員 ソンナコトハナイデセウガ、一応書面デ伺ヒマセウ、
小田委員 私ハ今、今西委員ノ提案ト旧ノ方法トヲ比較シテ見ルニ、今ノ方ガ学術的デアルト思ヒマス、若シコレガタメニ余計ナ時間ヲ費ストスレバ問題デアリマスガ、今、末松官補ノ話ニ依レバ期限内ニ十分出来ルト云フコトデスカラ、別ニ問題ハナカラウト思ヒマス、私トシテハ、コレカラコノ新シイ方式ニ依ツテ編纂セラレルコトヲ望ミマス、
朴顧問 今コノ稿本ヲ見マスト、支那ノ年号ヲ書イテ朝鮮ノ年次ハ書イテアリマセン、コレハ支那史デアツテ朝鮮史デハナイト感シマス、私ハコノ書キ方ニ就イテハ賛成致シカネマス、
今西委員 コレハ支那史料デアルカラソウデアリマス、朝鮮史料ニハカウイフコトハ見エナイカラデアリマス、
朴顧問 ソレニシテモコヽデ編纂スルモノハ朝鮮史デアルカラ、朝鮮史ラシク編纂シナケレバナリマセンガ、コレヲ見マスト全ク支那史デアツテ朝鮮史デハアリマセン、私ノ考ヘデハ年次ヲ表ハス場合ニ支那ノ年号ヲ以テシナイデ、干支ヲ用ヒ、ソレニ支那ノ何年ト註シタナラバ朝鮮史ノ体裁ヲ為スモノト考ヘマス、
今西委員 ソレハ誠ニ結構デス、
会長 別ニ御意見ガナケレバ今日ノ打合会ハ是ヲ以テ閉会トスルコトトシ、尚欠席ノ顧問・委員ニハ提案ノ趣旨ヲ書イテ意見ヲ求メタ上決定セラレルコトヲ希望致シマス、皆様御苦労デシタ(終リ)、
以 上                       」
【M981.11■53■】朝鮮史料所蔵者分布図
地図。原題は「図表一 朝鮮史料所蔵者分布図」。「朝鮮総督府地図」(縮尺・一五〇万分の一、昭和九年一月一日現在)を原図とした白地図に、史料所蔵者の所在地を赤丸で表記したもの。各道の境界線は緑色、海は青色の色鉛筆で彩色されている。道名は「忠北」「忠南」等と略し墨書されている。なお、史料所蔵者は京畿道以南に集中している。
(小野 将・鶴田 啓・箱石 大・保立道久)


『東京大学史料編纂所報』第41号