東京大学史料編纂所

27.京都大学所蔵「滋野井公澄日記」の調査・撮影

 二〇〇六年二月一三日から一五日まで京都大学に出張し、藤井讓治氏等編『京都大学文学部日本史研究室関係日記目録』(二〇〇一年三月、八七頁)所載の「滋野井公澄日記」(総合博物館所蔵石井家文書一二・一三、原本三五冊)を調査し、マイクロ・フィルム四リールに撮影した。滋野井公澄(一六七〇―一七五六)は宝永二年(一七〇五)六月一三日から霊元院(上皇のち法皇)の評定を務めた江戸時代の公家で、日記が神宮文庫・天理図書館・東京大学史料編纂所に分蔵されることは知られていたが(山口和夫「滋野井公澄日記」『日本「日記」総覧』新人物往来社、一九九四年三月)、文学部古文書室早島大祐氏と総合博物館のご配慮を得、新出分を採訪することができた。
【撮影目録】(各冊の目録番号、記載年次、整理番号、注記事項を記す)
目録番号3以降の各冊には紙背文書があるが、綴の固い冊の撮影は断念し、記載年次の順に撮影した。
1 貞享四年(一月一日~一一月二八日)  (一二―二〇)紙背なし
2 貞享五年(一月一日~一〇月二一日)  (一二―二三)紙背なし
3 元禄一〇年(一一月一日~一二月六日) (一二―二一)紙背も撮影
4 元禄一二年(四月一日~六月三〇日)  (一二―二二)
24 宝永二年(一月一日~二月二九日)   (一三―六)
25 宝永二年(七月一日~九月二九日)   (一三―一三)
26 宝永四年(一月一日~二月三〇日)   (一三―七)
5 宝永五年(一月一日~一月三〇日)   (一二―一七)
6 宝永五年(三月一日~五月二〇日)   (一二―一八)
27 宝永五年(六月一日~九月二九日)   (一三―九)
28 宝永六年(一月一日~二月三〇日)   (一三―三三)
29 宝永六年(三月一日~四月二九日)   (一三―三四)
30 宝永六年(五月一日~六月三〇日)   (一三―八)   
31 宝永六年(七月一日~九月三〇日)   (一三―一二)
32 宝永六年(一二月一日~一二月三〇日) (一三―二八)
7 宝永七年(八月一日~九月三〇日)   (一二―一九)
33 宝永七年(一〇月一日~一二月三〇日) (一三―三二)
34 宝永八年(一月一日~二月三〇日)   (一三―三〇)
35 宝永八年(三月一日~四月二八日)   (一三―三一)
8 正徳一年(五月一日~七月三〇日)   (一二―一)
9 正徳一年(八月一日~一〇月三〇日)  (一二―二)
10 正徳二年(四月一日~五月三〇日)   (一二―三)
11 正徳三年(二月一日~三月三〇日)   (一二―四)
12 正徳三年(四月一日~閏五月二九日)  (一二―五)
13 正徳三年(六月一日~七月三〇日)   (一二―六)
14 正徳四年(五月一日~七月三〇日)   (一二―七)
15 正徳六年(三月一日~五月二九日)   (一二―八)
16 享保二年(九月一日~一一月三〇日)  (一二―九)
17 享保三年(一月一日~二月三〇日)   (一二―一〇)
18 享保三年(閏一〇月一日~一二月三〇日)(一二―一一)
19 享保四年(三月一日~五月二九日)   (一二―一二)
20 享保六年(一月一日~一月二九日)  (一二―一三)紙背一部撮影
21 享保六年(四月一日~七月三〇日)   (一二―一四)
22 享保六年(閏七月一日~八月三〇日) (一二―一五)
23 享保七年(四月一日~六月三〇日) (一二―一六)
【記事と本日記の概要】公澄等五名の「禁中(東山天皇)小番」から「仙洞(霊元上皇)之小番」「院参」への編成替(1、貞享四年五月二二日条)、京都所司代から武家伝奏・院伝奏・評定を介した院参衆への「家内并御知行所百性中切死丹耶蘇宗門」改め(2、貞享五年一〇月九日条)、「大樹(将軍綱吉)」の訃報(28、宝永六年正月一四日条)、家宣将軍宣下のための関東下向(29・30、宝永六年四月)、「新院(東山上皇)」の急病死(32、宝永六年一二月一七日条以降)、屋敷地拝借・役料手形請取(8、正徳元年六月二日・三日条)、霊元法皇から藤谷為信への「評定役」発令と仙洞御所の諸奉行交替、番頭・小番結改(23、享保七年四月一五日~一八日条)、仙洞御所での所司代への「本朝世紀」四六冊渡付(同二七日条)、院伝奏梅小路共方の病気辞任(同年六月九日~一一日条)等、朝廷内部の機構編成と伝達回路、朝幕関係の重要事項を把握することができる。
(山口和夫・尾上陽介)


『東京大学史料編纂所報』第41号