大日本史料第九編之二十四

本冊には、後柏原天皇大永三(一五二三)年年末雑載のうち、所領、年貢・諸役に関する史料を収録した。
 『大日本史料』は、歴史上の事件を年月日順に掲げ、これに関連する史料を排列するという体裁をとる史料集であるが、年月日が明らかであってもこの体裁になじみにくい史料は、「雑載」と称して年末に一括掲載している。利用の便も考慮して、史料の内容によって項目に分けてはいるものの、必ずしも厳密とはいえない。本冊の編纂にあたっては、「所領」の項目に、所領所職そのものの存在・不存在、および所領所職の内容に関する史料を収録し、「年貢・諸役」の項目に、所領所職の存在を前提とした成果の収取に関する史料を収録する、という方針によった。具体的にいえば、「所領」には安堵・補任・検注等に関する史料を、「年貢・諸役」には年貢・諸役の徴収・算用等に関する史料を収録した。また、各項目内については、まず、所領所職を有する主体によって神社・仏寺・禁中・幕府・諸家に分類排列し、各分類内は主体の所在する国により、同一主体内は、所領所職の種類で分類した上で、その所在する国によって排列し、同一所領所職内は編年順とした。なお、国の排列については、当該期の情勢を考慮して、以下の通りとした。
山城・大和・摂津・河内・和泉・近江・丹波・丹後・但馬・播磨・淡路・
紀伊・志摩・伊勢・伊賀・尾張・若狭・越前・加賀・能登・越中・越後・
佐渡・美濃・飛騨・信濃・三河・遠江・駿河・甲斐・伊豆・相模・武蔵・
安房・上総・下総・上野・下野・常陸・陸奥・出羽・因幡・伯耆・出雲・
隠岐・石見・備前・美作・備中・備後・安芸・周防・長門・阿波・讃岐・
伊予・土佐・筑前・筑後・壱岐・対馬・肥前・肥後・豊前・豊後・日向・
薩摩・大隅
 本冊掲載史料の中心は京都および南都寺院の史料である。特に、「所領」の項は法隆寺の「寺領段銭本帳」が(五四~一四二頁)、「年貢・諸役」の項は算用状を中心とした東寺関係史料が多くを占める(二〇一~三四八頁)。これらの史料には、墨や朱による書き込み・抹消・訂正・合点などの多様な記述がみられ、掲載に際しては、それらも忠実に表現するよう努めた。しかし、典拠として本所架蔵の写真帳(モノクロ)を用いざるをえず、体裁・組版上の制限もあるため、表現しきれなかった部分も多い。
 興福寺別当経尋の日記「経尋記」からも多くの記事を採録した。越前河口・坪江両荘段銭未進に対して、松林院貞雅を通じて伊勢貞忠・細川高国に働きかけ、朝倉孝景に催促を命ずることに成功している(四〇五~四一二頁)。大和・山城の諸荘園の年貢・段銭未進等に対しては「籠名」「高札」の刑罰を適用し、井殿荘段銭の場合は、あわせて幕府に「制札」を求め、ある程度の収取を実現している。寺領荘園維持に苦闘する姿とともに、宗教的・呪術的刑罰とされる「籠名」が、いまだ大和の国人等に対しては有効に機能している状況を伝え興味深い。
 寺院以外では、九条家領山城東九条荘の田地売却取り消しをめぐる事件がある(一五三~一七六頁)。永正一五年、代官石井在利による売却に起因するもので、永正一八年には在利を不義によって誅殺したが、その後も九条家は売却自体の取り消しを求めていた。本年閏三月に至って細川高国の下知を獲得、四月には在利跡の代官を補任し、名請人から指出を受け、一応の決着をみたようである。
(目次一頁、本文四六〇頁、本体価格九、八〇〇円)
担当者 渡邉正男・山家浩樹・須田牧子

『東京大学史料編纂所報』第41号 p.34*-35