東京大学史料編纂所

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刊行物紹介

大日本古文書 家わけ第二十二 益田家文書之三

 本冊には、益田家文書什書第五十五軸より第六十九軸までの十五巻分、文書番号で五三五号より八二二号に至る二八八点の文書を収載している。時期的には、14世紀末から17世紀末に及ぶ史料である。
このうち、五十五軸より六十七軸に至る部分は、前冊収録の五十三軸から始まる全十五軸のまとまりに含まれるもので、各々の題簽には「古書簡二百九十二通十五軸之内」第何番目の巻子かを示す番号が付されている。刊行済みの一軸~五十一軸の部分も、時代を降る形の整理がなされていたが、それは「義満公御自筆所領安堵袖御判」といった題簽の文言が示すように、上部権力を中心とした整理であり、その内容は所領の安堵状など益田家にとって最も重要とされる文書群であった。これに対し、第一次整理分以外の「古書簡」を、当主の時代ごとにまとめようとしたものがこの十五軸部分である。したがって、内容的には五十一軸までの部分と関係するものが多いが、年次も内容もよくわからない書状などを、便宜、時代を推定して整理したものもあり、なかには収めるべき巻を誤っている文書もある。刊行にあたっては、当主名の比定について、題簽・押紙によらずに再検討を行ったほか、無年号文書についてはできるだけ年次の比定を試みた。その結果、例えば五四一号文書は、従来不明とされている差出が、『大徳寺文書之十一』に文書が収載されている細川頼秋であることが花押形の一致によって判明した。そして充所も、頼秋が南北朝末期に文書を残していることから、益田兼堯ではなく、当時その通称を名乗っていた益田兼弘である可能性の高いことがわかった。また、六一八号文書は、その花押の形状および内容から醍醐寺三宝院満済の書状と考えられ、『満済准后日記』との記事の対応関係から正長二年であることも推定できた。このように新たに差出がわかった文書には、六○九号および七○四号~七○六号の大内政弘母書状、七四七号~七五一号文書の陶晴賢書状などもあるが、これらの比定については、その根拠等を別稿にて詳述する予定である。
 さて、次に本冊収録文書について、注目できる特徴などを指摘しつつ、概略を紹介しよう。
まず益田氏と関係の深い陶氏関係の文書が多数収録されている点があげられる。応仁文明の乱時の陶弘護(五九七~六一七号他)、その子陶興明・興房、そして陶晴賢(七二七~七三○号、七四七~七五一号他)の文書類は、他の大内氏重臣、たとえば杉武道書状(六五五~六五七号他)などとともに興味深い内容を示し、大内氏研究にとって大変重要な史料といえよう。なお陶氏関係文書のうち六三二・六五四号文書の傍注に誤りがあったので、この場を借りて訂正を加えたい。六五四号文書で「今度陶宗景所行」とある事件は、『晴富宿禰記』明応四年三月二一日条に見える、宗景(陶武護)が弟の陶氏家督興明を討った陶氏の内訌を指す。したがって、六五四号文書は明応四年のものと推定でき、「屋形両所」の傍注「大内義興・同義隆」は誤りで「大内政弘・同義興」が正しい。また陶興房が兄興明に替わって家督となるのは上記内訌の後なので、明応二年の文書である六三二号「陶殿」の傍注及び標出に「興房」とあるのは誤りで、「興明」が正しい。以上の点についてご教示をいただいた山口県文書館和田秀作氏に深く感謝申し上げると共に、上記のように訂正する。
第二に、領主間の盟約によって作成された起請文・契約状が多く収載されている点がある。この地域ではこうした文書を「書違状」と呼ぶが、料紙に用いられた多様な牛王宝印も含めて、注目すべき史料群である。益田氏と盟約を交わしている相手には、上記陶氏のほか、その重要性に比較して残存史料の少ない吉見氏(五四四号他)、高橋氏(六七五号)、石見小笠原氏(六三九号)など近隣他氏、あるいは益田氏と同族の周布・三隅・福屋氏などがおり、さらには、陶、三隅・吉見各氏家臣団から提出された起請文なども含まれていて貴重である。また牛王宝印は、初期の「熊野山牛王宝印」がある他、「満福寺」・「大麻山」など地方的特徴を示すものもみられ重要である
さて、第三に室町幕府の将軍近臣からの書状類が多数含まれていることも注目できよう。伊勢貞遠からの書状は十通(六八一~六八四号他)に上るほか、他の伊勢氏(貞宗、貞陸、貞就(貞堅)、貞久等)、細川氏(誠久・尹経等)、蜷川氏(親元、親順、親孝)などがある。特に益田宗兼が大内義興に従って上洛在京していた時のつながりを示す書状類が、六十二・六十三軸の宗兼関係の巻に多数存在する。また文明年間、参陣催促のために中国地方に下向してきた幕府奉行人飯尾清房・中沢之綱の書状類(五七三~五七九号他)、あるいは幕府奉公衆西山妙盛の書状(五五一・五五三号)などが、奉行人・奉公衆のあり方を示していて興味深い。これに関連して御所修理料段銭関係史料(五八〇~五八四号他)も、類例の少ない史料として貴重である。
戦国~近世初期では、兵糧輸送と温泉津の関係を示す七三八号など重要な史料が多いが、なかには七三四・五号の元芳書状、あるいは七六三・四号仮名書状のように、差出の確定できないものもあり、後考を期したい。
最後になったが、毛利綱広世子吉就の誕生(七七○~七八一号)および松平光通の死去(七八七~七九五号)に関連する一連の書状類は、近世大名家間の通行関係を具体的に示す事例として興味深いといえよう。
(例言三頁、目次二二頁、本文二八六頁、花押一覧一九丁、花押・印章掲載頁一覧四頁、挿入図版一葉(網版)、本体価格七,七〇〇〇円)
担当者 久留島典子


『東京大学史料編纂所報』第41号p.38-40