69 韓国所在日本関係史料の調査

二〇〇四年一〇月一〇日から一六日までの日程で大韓民国に出張し、釜山広域市・木浦市・京畿道果川市の史料保存研究機関を訪問して、前近代日本関係史料の所在状況、及び周辺の関連史跡の調査を行ってきた。なお、今回の出張調査では東京大学研究生の高銀美氏に通訳担当として同行をお願いし、また、釜山大学校人文大学史学科の金光玉副教授、国立海洋遺物展示館の金炳菫学芸研究員、国史編纂委員会の田美姫編史研究士には各調査先に於いて多大な御助力を賜った。記して厚く感謝申し上げたい。
 各機関ごとの調査概要は以下の通りである。
一,釜山大学校図書館古典資料室(釜山広域市金井区長箭洞山)
 同室所蔵図書の多くは朝鮮時代の漢籍であるが、日本関係の書籍も含んでいる。今回は、朝鮮総督府朝鮮史編修会の修史官であった中村栄孝の旧蔵と伝えられる、朝鮮王朝実録から日本関係記事を抜粋した筆写本の一部を調査した。その後、金光玉氏の御案内により、釜山広域市内における旧冨山浦関係史跡、及び倭城跡の現地調査を行った。
二、国立海洋遺物展示館(全羅南道木浦市龍塘洞)
 釜山から約三〇〇キロ離れた木浦市まで、熊川と晋州を経由して移動した。熊川は三浦の一つ薺浦ゆかりの地であり、すぐ近くにある、小西行長が籠城した倭城からは浦全体を眼下に見渡すことができる。熊川では釜山新港建設に向けた湾の埋め立て事業が進行しており、近い将来、薺浦の光景が失われてしまうのは残念である。晋州にある国立晋州博物館は壬辰・丁酉倭乱(文禄・慶長の役)を主なテーマとした博物館である。
 国立海洋遺物展示館は、木浦市郊外の新安沖で発見された沈没船をはじめとする、韓国水中考古学の研究拠点である。新安沖沈没船は、一四世紀前期、中国の慶元(寧波)から日本に向かう航行中に沈没したものと推定され、日元貿易の実態を伝える膨大な出土品の中には、荷札など多数の文字史料を含んでおり、同館に復元された船体は圧巻である。同館学芸研究員金炳菫氏には、展示品について丁寧に解説をしていただいた。
三,国史編纂委員会(京畿道果川市中央洞)
 国史編纂委員会所蔵の対馬島宗家文書について、中世・近世初期史料を中心にマイクロフィルムで閲覧し、必要な史料についてはマイクロフィルムからの複製を入手した。同委員会で所蔵している対馬島宗家文書には、中世文書の原本は少ないものの、近世期に作成された写本類の中に写し取られた中世文書は多数存在する。このうち大部分を占めるのが、近世対馬藩が宗氏発給の判物を書き写した「御判物写」と称される記録類であり、その点数は膨大であるため、今後も継続的な調査が必要である。

(榎原雅治、及川亘、岡美穂子、川本慎自、黒嶋敏、高橋慎一朗、西田友広、渡邊正男)

『東京大学史料編纂所報』第40号