東京大学史料編纂所

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京都大学附属図書飴・大阪府立中之島図書館所蔵古記録諸本の調査

 二〇〇二年一月二十八日から三十日にかけて、京都市・大阪市に出張し、中世古記録諸本の調査を行った。
 京都大学附属図書館においては、以下の「薩戒記」原本を閲覧調査した。
・薩戒記 嘉吉元秋中 (嘉吉元年八月記)  菊亭文庫 巻四〇  一巻
・定親卿記 (文安四年七月記の一部)    菊亭文庫 巻一〇五 一巻
・不知記 (文安四年九月記断簡)      菊亭文庫 巻一一五  二紙
 また大阪府立中之島図書館において、吉見幸和旧蔵の古記録写本の調査を行った。吉見孝和(一六七三~一七六一)は名古屋東照宮の祠官で、神道学者として多くの著作をのこし、門人を育成した。神道・古典・儒学・有職等について諸方面に師事し、幅広い蔵書を形成したことでも知られる。そのなかには「薩戒記」の善本も含まれており、「吉見文庫」の形成過程および写本の系統等の検討が必要と考える所以である。中之島図書館の大阪資料・古典籍室には「吉見文庫」旧蔵の古記録写本が多く所蔵されているが、図書カードの記載によれば、明治三十六年十二月二十二日にまとめて購入されたらしく(それぞれの価格と思われる数字も記されている)、明治四十二年刊『大阪府立図書館和漢図書目録』で十一函に収められているものに相当するようである。
 「吉見文庫」 の蔵書印がある、もしくは奥書によって確実に幸和の旧蔵書と知られる古記録写本は、管見のかぎりでは以下のとおりである。
(略)
 さて幸和旧蔵書は現在では各所に散逸してしまっているが(阿部秋生氏『吉見幸和』-春陽堂書店一九四四年-参照)、その本来の姿を伝える史料として「吉見家書目録」九巻、および「吉見家蔵秘書写本目録」一巻がある。前者は蓬左文庫所蔵で、第二巻の「秘書部 公家記録」の項には、五十書目、五百六十巻が記載されている。
 後者は名古屋市立鶴舞中央図書館所蔵である。同館は大正十二(一九二三)年に市立名古屋図書館として開館したが、設立準備の段階で吉見家をはじめとする名古屋周辺の名家の蔵書の買い入れを行った。同館所蔵の「吉見文庫」に孝和の著述や神道関係史料が多く含まれていたことは、森銑三氏編『市立名古屋図書館別置図書目録』(一九二四年)から知ることができる。ただし同館は昭和二十年三月の大空襲によって、本館全焼、書庫半焼の被害を受け、「吉見文庫」 の書物もすべて焼失した。「吉見家蔵秘書写本目録」も、このとき焼失したが、さいわい明治四十四(一九一一)年に 『名古屋市史』(大正五年に完成)編纂のために作成された写本がのこっている(『名古屋市史編纂資料』市一-三二)。
 「吉見家蔵秘書写本目録」の「公家記録書目」には、たくさんの書目があげられているが、なかに親本についての注記がついているものがある。以下に適宜あげてみよう。
(略)
 親本の所蔵者としては、公家では正親町・小川坊城・日野・中山の四家が判明する。なかでも正親町公通は幸和の垂加神道の師であり、彼を猶子として遇するなど、非常に関係の深い人物であった。ただし、公通からの「玉葉」「玉蘂」の借用は、礼銀二十枚ないし三十枚という代価をもってなされたものだったらしい。  また古記録にかぎらず、幸和が多くの書物の提供をうけたのは、国学や故実などの師匠筋からであった。鴨 梨木)祐之・壷井義知・松下見林などがあげられている(〝松崎〟は〝松崎多介″とみえるが不明、あるいは松岡多助-仲良、幸和の門人-の誤か。〝松木″も不明)。もっとも多数を借り受けている梨木祐之は賀茂社の神官で、神道家・国学者。梨木家の蔵本を書写した場合には、奥書に明記されており、その点がぼかされているものと、どのような相違があるのか問題となろう。壷井義知は故実家で、有職故実研究の民間学者の基礎を築いた人物といわれる。「薩戒記」の提供者である松下見林は医者・歴史家で「異称日本伝」などの著作がある。蔵書家としても著明で、毎年長崎に人を遣し舶来の書籍の購入を行った。また、中之島図書館蔵の「三長記」奥書にみえる紀(高橋)宗直は、御厨子所預を家職とする家柄で、故実家として多くの成果をのこした。
 吉見幸和旧蔵古記録写本の多くは、国学・神道・故実などの学問を通じての交流圏に由来していた。彼らの交際の詳細や中世史料に対する興味関心の性格を検討するとともに、各写本の伝来や書写の方針について、さらに追求していくことが必要である。
                              (本郷恵子)


『東京大学史料編纂所報』第37号p.55