東京大学史料編纂所

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刊行物紹介

大日本史料 第十一編之二十三

 本冊には天正十三年十一月二十一日条から同月二十九日条までを収録した。
最も多くの紙数を要したのは、羽柴秀吉による京都周辺の検地の条(二十一日)である。なお、この条は前冊三三一頁から始まっており、引き続き本冊に及ぶものである。綱文に「(承前)」と注記して、そのことを示した。
前冊にはこの検地に関する基本史料である「兼見卿記」、および検地後に一斉に発給された秀吉の知行宛行状を収録したが、本冊ではまず前冊以後に見出された宛行状三通を配した。なお、校了間際にさらに一通の存在を知ったが(愛宕山長床坊宛朱印状、『潮音堂書蹟典籍目録』二所収)、収録することができなかった。他日を期したい。
続いて、「兼見卿記」を除く記録類、宛行状を除く文書類を配した。後者は①検地に先立つ諸領主の動向、②秀吉および検地奉行の施策、③検地以後の諸領主の動向、の三項目を立てて整理した。①・③によれば、相国寺・青蓮院などでは、この検地を契機として、本寺・門跡の末寺・坊官に対する地位が向上したようである。また②では、前田玄以以下五名の検地奉行が、各領主と様々な文書をやり取りしながら、検地の実務を処理していった様子を見ることができる。
最後に、各種の帳簿類を、①指出帳・指出目録類、②検地帳類、③算用帳類の順序で配した。①には各領主が検地奉行に提出したものと、それを作るために郷村や塔頭から徴したものとが混在しており、また時期や様式にもかなりの幅がある。②も検地奉行が署名・捺印して各領主に交付したものと、下級役人の名前のみを記した野帳かと思われるものとを含む。さらに二三八頁以下の二点は、表題に「検地帳」という文字がなく、内容も田畑の品等を記さない点で、ほかの検地帳とは異なっている。③は各領主の検地に関わる出費を集計したもので、妙心寺と東寺のものを収録したが、前者はこれまであまり知られていないと思われる。出費の理由を示すため、寺僧がいつ、誰のもとに出かけたかを記録しており、検地の事実経過をつかむための史料として有効である。なお、①の一部および②の多くは非常に長大であったので、字を小さくし、一ページ二〇行組みとして収録した。また、『大日本古文書』に収録済みの史料二点については、その旨の按文を付し、要所を摘録するに留めた。そのほか、既存の刊本から引用した史料のうち、原本または写真と対照して、一部を訂正したものがある。「久我家領指出帳案」の五四頁九行目「升」、同五七頁一七行目「二」、同六〇頁一七行目「被」、「仙翁寺村指出」の一〇〇頁二行目「闍門」、同三行目「雲」、同四行目「九」、以上がそれに当たる。
検地以外の二十一日の動向として、中国地方における毛利氏の活動を収めた。豊前の国人門司氏の家督相続を認めたものである。関連として収めた天正十年と想定される史料から、毛利氏の行動が九州諸氏の動向に気を配りつつなされていたものであることがわかる。
二十二日・二十八日条には、同月の十三日に、重臣石川数正の出奔という衝撃的な事件に直面した徳川家康関係の史料を収めた。北条氏との絆を深めつつも、同じく二十八日には、秀吉から使者が送られるなど、両者の和睦に向けた胎動も窺うことができる。
 関東においては、その家康と結んだ北条氏の千葉氏重臣原氏に対する誘降策を示す史料を二十五日条に収めた。千葉氏は五月に、当主千葉邦胤を失っており(同月七日条)、北条氏の千葉氏切り崩し工作と見ることができる。北条氏政の硬軟取り混ぜた説得が興味深い。また、北条氏以外の関東における動きとしては、常陸江戸氏の配下の国人衆に対する指示(大塚氏・小幡氏)と官途授与(五上氏)がわかる史料を二十四日条に収めた。
一方九州においては、二十四日に龍造寺政家が筑後国人安武氏に誓紙を提出させ、また二十八日には大友義統がその臣佐田氏の家督を安堵するなど、それぞれ国人衆との結びつきを強める行動をとっている点が注目される。
二十七日条には、十二日の春日祭の記事に続き、春日若宮祭関連の史料を収めた。中心は興福寺関係の史料であるが、〔参考〕として、祭の具体的な背景を窺うため、当時のものではないが「春日大宮若宮御祭礼図」の記事を載せた。
 東北地方に目を向けると、この頃伊達氏は陸奥の蘆名氏と交戦中であったが、二十七日条には、両者の勢力の境界地域であった陸奥耶麻郡の檜原城防衛を、伊達政宗が後藤信康に命じる史料を収めた。この城は以前から伊達氏が重視している城で、六月にも守備命令を出している(同月二十八日条)。
 二十九日条には、未明に起きた大地震の史料を収めた。「兼見卿記」などの中央の記録を中心に、震源地であったと思われる飛騨・北近江など中部地方の史料を、家譜・伝記などの二次史料も含めて、できるだけ収載するように努めた。また、当時在日していたヨーロッパの宣教師の記録も、原文・訳文併せて収めた。一つの山が完全に崩壊した飛騨国だけでなく、京都においても、寺院の山門がゆがむなど、大きな被害が出たことが窺える。
 以上で天正十三年十一月分の編纂は完了した。次冊では同年十二月分および年末雑載へ進むことになる。
 なお、前冊『大日本史料第十一編之二十二』に若干の誤りがあったので、この場を借りて訂正しておきたい。九六頁一行目の傍注「鎌臼杵郡」は「西臼杵郡」に、一三二頁五行目および二四一頁九行目の傍注「宝飯郡」は「額田郡」に、三三七頁一三行目の傍注「末安」は「直次」に、それぞれ訂正する。
(目次二頁、本文三八一頁、欧文目次一頁、欧文八頁、本体価格七、〇〇〇円)
担当者 酒井信彦・鴨川達夫・村井祐樹


『東京大学史料編纂所報』第37号p.29-30