東京大学史料編纂所

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刊行物紹介

大日本史料 第六編之四十五

 本冊には、南朝長慶天皇の天授元年=北朝後円融天皇の永和元年(一三七五)一二月、同年是歳、同年年末雑載のうち気象・災異、社寺、公家、武家、諸家、贈答・往来、学芸、死歿、荘園・諸職を収めた。
 編纂方針について。①雑載各項内の配列順は四十二に準拠しつつより明確化し、社寺項では板碑も含めて地域順とし、荘園・諸職項でもすべて地域順とした。配列順は吉田東伍『大日本地名辞書』に拠る。板碑は四十二と同様、銘文に特記事項があるものに限定し、種字と年月日だけのものなどは省略してある。②学芸項におおく収録した「東寺観智院金剛蔵聖教目録」は、可能な限り京都府立総合資料館所蔵の観智院聖教写真帳で校正した。醍醐寺所蔵聖教では、原本によった史料は醍醐寺文書として掲出しているが、「醍醐寺文書記録聖教目録」の記載と大差ない場合は、修正を加えつつ「目録」として掲出してある。なお、三九八頁以下に収録した「真言血脈」紙背文書は、上総国衙領の史料として知られているが、醍醐寺所蔵の原本が開披困難なため、影写本によった。③収録範囲を意識的にひろくしているため、検討を要する史料も含まれる点に留意されたい。とくに僧侶の事績に関わる史料で、「無著妙融行道記」「泉福寺草創記」(一四二頁・一四三頁)にみえる無著妙融の事績、「那須記」「法王能照禅師塔銘」(一八四・一八六頁)にみえる源翁心昭の事績、一部のみ掲出した「国阿上人絵伝」(一二七頁)の国阿の事績など。また、文学関係でも、「万葉詞」奥書(二一一頁)など注意を要するものがある。死歿項でもひろく収録を心がけたが、死歿年だけしか明らかでないうえに典拠史料の信憑性が低い場合や、活字史料で史料の典拠が明確でない場合は収録を見合わせた。④史料の収録箇所は節略に心がけた。是歳条の南朝「五百番歌合」は、本来ならば全文引用すべきであるが、他に翻刻がおおいため、冒頭と末尾のみにとどめた。底本は、良本とはいえないがあまり知られていない田中穣氏旧蔵の写本に拠った。
 社寺項や荘園・諸職項に分載した「会所目代引付」は、興福寺会所目代憲乗の引付で、維摩会をはじめ法会などの準備状況を伝えて興味深い。学芸項に収録したいわゆる「永和本太平記」巻末付載(二一一頁)は、嵯峨釈迦堂門前の立札に記されたとされる寓話。同書は最近、国文学研究資料館に収蔵された。一一九頁に収めた「高野山文書」は、幕府による紀州南党攻撃の関連史料で、七月二十五日・八月二十五日・九月是月各条と関わる。五二頁の「東寺学衆方引付」には、六条若宮修理のことがみえ、八月六日条と関わり、著名な造営注文の成立に関わる史料となる。
 他年の雑載と比較すると、諷誦文(社寺項、諸家項)や棟札(社寺項)の収録が目立つ。前者は、東大寺図書館所蔵の「智障断位短尺」紙背文書や「迎陽記」(迎陽文集)所収史料など。また矢野荘関係史料もおおい。編纂には『相生市史』史料編がたいへん参考になった。若干の史料を追補してある。東寺関係史料は、ほかにも死歿項などに多彩で、編纂にあたって高橋敏子氏に種々のご教示を得た。ほかに一五〇頁に収録した「肥前大宝寺鐘」につき、藤田明良・毛利美佐子両氏からご教示を受けた。あわせて謝意を表したい。
(目次六頁、本文四〇七頁、本体価格七五〇〇円)
担当者 山家浩樹・高橋典幸・本郷恵子


『東京大学史料編纂所報』第37号p.28-29