東京大学史料編纂所

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刊行物紹介

大日本古文書 家わけ第十七 大徳寺文書別集 真珠庵文書之五

 本冊は「大徳寺文書別集』真珠庵文書之五として、乙箱の文書を四九九号より六三五号までおさめ、さらに己箱の文書を六三六号より七五二号までおさめた。本冊の文書も前冊に引き続き興味深いものが多く、その時代も鎌倉後期より江戸時代におよんでいる。
 本冊の特徴は、何よりも大徳寺と真珠庵の歴史にとって重要な文書をふくんでいることであろう。その筆頭は「己箱」第七三〇号文書におさめた沙弥蘊頤墓地去状である。現在のところ、沙弥蘊頤なる人物の素性は不明であるが、この文書の内容からいって、彼の先祖が大徳寺開山宗峰妙超に「雲林院辺菩提講東塔中北寄貳拾丈」の土地、つまり創建時の大徳寺寺地の中心部分を寄進した人物であることは明らかである(参照本坊文書三二〇八号文書)。本冊例言に「己箱の文書はその真珠庵伝来の由来は旧時にさかのぼると雖も、その内容は多く既刊の大日本古文書家わけ第十七大徳寺文書本編の一部をなすものなり」と記したが、この文書が己箱におさめられていることは、そのような伝来関係をもっともよく示すものであるといってよい。
 当然のことながら真珠庵の歴史にかかわるものはさらに多く、ここで特定の文書をあげることはさけなけれぱならないが、延徳四年・明応三年の敷地渡状は、真珠庵寺地の形成を示すものとして根本的なものである。また、前冊との関係でいうと、室町末期からの酬恩庵納所算用状、西賀茂主水田の清原氏関係の文書、越前国深岳寺関係の文書などは、本冊で一応のまとまりをみせたので、利用に便宜であろう。
 以上、アトランダムに述べたが、最後に例によって、文書の形式などで興味を引くものをあげる。五四九号文書は大徳寺関係には例の少ない取名(安名)関係の文書であって、本別集九三号文書「処々道号取名留帳」に示されるような道号の付与が行われる具体相を知ることができる。また六三八号文書は、本坊文書一二二号文書作成の際におそらく徹翁義亭の手によって作成された包紙の一つである。最後に、五一〇・五一二号文書にあげた木製の升本は、その形状からして、箸を折り削って作成されたものと思われる。写真にて確認されたい。
(目次二三頁、本文二八四頁、花押一覧一二頁、印章一覧一頁、花押掲載頁一覧表二頁、印章掲載頁一覧表一頁、本体価格六、九〇〇円)
主担当者 保立道久


『東京大学史料編纂所報』第37号p.34