大日本古文書 家わけ第十九 醍醐寺文書之十ニ

本冊には、前冊に引き続いて、醍醐寺文書(醍醐寺所蔵)の第十六函八十一号から第十八函九十号に相当する文書を、整理番号の順に収めた。本冊における文書番号は第二五五〇号から第二八三七号までである。第十八函は未了であり、次冊へ続くものである。
本冊所収文書の年代は、南北朝・室町時代のものを中心として、鎌倉時代から江戸時代まで及んでいる。
第十六函相当部分(第二五五〇号〜第二五七二号)は、結縁灌頂関係の文書や、文書本体と分離して包紙のみの形態で伝来しているものなど種々のものを含み、全体として内容のまとまりはあまり見られない。
第十七函相当部分では、内容的なまとまりがいくつか存在する。まず第一に、勝倶胝院関係(第二五七三号〜第二五八八号)があげられる。勝倶胝院は、平安末の醍醐寺座主実運が建立した子院で、後に九條家の管領するところとなった。したがって、九條家文書にも同内容の文書が含まれているが、醍醐寺文書のみに存する文書も存在する。
第二は、六條八幡宮および三條坊門八幡宮関係(第二五八九号〜第二六七〇号)である。両社は、足利将軍家が特に帰依する神社であるが、醍醐寺三宝院が別当を兼ねたため、醍醐寺文書中に関係史料が伝来している。とりわけ注目されるのが、室町期の四点の六條八幡宮地口銭免除文書(第二六〇六号〜第二六〇九号)である。地口銭免除申請のために、洛中所領の在所と間口などを書き上げた注文を作成したものであり、都市史研究に貴重な素材を提供するものと思われる。また、六條八幡宮領摂津山田庄、筑前若宮庄、三條坊門八幡宮領越中御服庄、同吉川東西などに関するものも含まれている。
第三には、遍智院領越中院林郷関係(第二六七一号〜第二六七八号)、第四には、醍醐寺の葬送を担っていた菩提寺の関係(第二六七九号〜第二六八七号)、第五に、伊勢法楽寺領関係(第二六八八号〜第二七〇五号)をまとまった内容のものとして指摘しうる。
第十八函相当部分(第二七三六号〜第二八三七号)の文書においては、以下のように所領単位のまとまりが見られる。
三宝院領讃岐長尾庄関係(第二七三六号〜第二七四九号)、報恩院領讃岐陶保関係(第二七五〇号〜第二七五三号)、三宝院領丹波篠村庄関係(第二七五四号〜第二七七〇号)、蓮蔵院領伯耆国延保関係(第二七七一号〜第二七八一号)、三宝院領越前河北庄関係(第二七八二号〜第二八二五号)、青蓮院領越前莇野(あぞの)保関係(第二八二六号〜第二八三七号)、となっている。青蓮院領莇野保に対して醍醐寺がどのような権益を有していたか、詳細は不明である。
なお、本冊より、諸般の事情により印刷形態を活版印刷から電算印刷へと変更したことを付記しておきたい。
(例言三頁、目次二五頁、本文三二五頁、花押・印章一覧七丁、花押・印章掲載頁一覧表一丁)
主担当者 高橋慎一朗

『東京大学史料編纂所報』第36号 p.33