大日本古記録 民経記 八

本冊には、嘉禎元(一二三五)年十月から建長元(一二四九)年三月までを収めた。記主経光の二十四歳から三十八歳にあたり、位階は正五位下から従二位に、官職は右少弁から中弁・大弁・蔵人頭・参議等を歴任して権中納言に至る。嘉禎二年には父頼資が亡くなっており、まさに当主として活躍する時期である。記事の内容では、勅使として参向した嘉禎元年・三年の維摩会や、仁治三年正月の叙位、同年三月の後嵯峨天皇即位に至る経過、寛元・宝治・建長改元などについて特に詳しい。また、天皇即位後の源定通の台頭と藤原道家の動向、仁治三年六月に没する北条泰時に対する両極端の評価についてなど、興味深い記事も多い。
 『民経記』は、既刊の第七冊までに収められた嘉禄二年から文暦元年に至る時期については、ほぼ完全に原本が現存しているが、それ以降は部分的にしか伝わらない。このため、本冊では原本のほかに写本や抄出本、別記・部類記、雑記などを底本としながら、記事を日記の書かれた当初の形態に復元することに努めた。本冊で底本に用いた原本(すべて国立歴史民俗博物館所蔵)は以下の諸本である。
まず、原本のうち日記執筆当初のものであると考えられるものは、『経光卿暦記』寛元四年記一巻のみであり、巻頭図版に一部分を掲げた。これは間空き一行、一年分一巻の具注暦に記入されており、裏面にまで記事を書いている箇所もあるが、記事の内容は概して簡略である。なお、経光は以前から暦記と通常の日次記を同時並行で書いているが、寛元四年日次記と称すべきものも、部類記や抄出本により僅かな記事のみ伝わる。
 次に、経光自筆の原本ではあるが、後になって自分の当初の日記から記事の一部を自らの手で抜粋し作成した別記がある。本冊では、�『経光卿維摩会参向記』(自嘉禎元年十月八日至十六日)、�『経光卿維摩会参向記』(自嘉禎元年十月十六日至十九日、自同三年十月八日至十八日)、�『大納言拝賀著陣部類記』(嘉禄・嘉禎・正嘉年中)、�『経光卿改元定記』(寛元・宝治・建長)、�『経光卿大仁王会参仕記』(自寛元三年十一月廿八日至十二月廿二日)を底本に用いた。このうち、�と�は嘉禎元年十月十六日条の途中を欠いており、そこを境に現在は別々の二巻に分かれているが、本来は一連のものであったと思われる。また、�には別にもう一巻、やはり経光自筆の『経光卿大仁王会参仕記』(寛元三年十二月廿二日)もあり、こちらは校訂に用いた。さらに、『広橋家家記抄』三という表題で本所に所蔵される影写本は、昭和三十一年七月に京都市平楽寺書店井上四郎氏所蔵の経光自筆原本『春日経供養家記抄』を忠実に影写したものであるが、現在は原本の所在が確認できないため、この影写本を底本に用いた。
 このほか、仁治二年・三年記の全部と、寛元元年・四年記の一部は写本などを底本として本文を作成した。その際、諸書にみえる記事をすべて日付順に配列することとし、同日条で同内容の記事は、比較検討して最も詳しいものを採用し、あるいは一部分を他本から補い、同日条で別内容の記事は、種々勘案して順序を定めた。また、日付未詳の記事は原則として想定しうる最下限の箇所に配列した。但し、仁治三年正月五日叙位記のように完全な別記としてまとまっているものは別に収めた。底本として用いた写本それぞれの詳細については、最終冊に収める解題や別稿に譲ることとし、ここでは若干の問題点についてのみ触れておきたい。
 国立歴史民俗博物館所蔵の(ア)『経光卿記抄』(自仁治三年正月一日至寛元元年九月十八日)・(イ)『経光卿記抄』(自仁治三年正月十一日至廿三日)・(ウ)『経光卿記抄』(寛元元年七月廿八日、同九月十三日・十四日)や、広橋興光氏所蔵の(エ)『民経記』(仁治三年自四月至八月、原題経光卿御記)・(オ)『民経記』(仁治三年五月、断簡)は明らかに同一人の筆跡になるものと考えられる。(ア)・(イ)・(ウ)は題簽に広橋守光筆であると註記されているが、(ア)には「永正六、四月二、一覧」、(エ)には「永正六、三、廿五、一覧」という識語がみえることや、『守光公記』・『守光公雑記』などの筆跡と似ていることから、これらの写本が永正六年に当主であった守光の手になることは間違いないと判断できる。『守光公雑記』下にみえる寛元元年十二月五日・七日・二十二日条は、はたして『民経記』の記事であるか確定し難いものであるが、右のような『民経記』仁治・寛元年間記と守光との密接な関係、また『守光公雑記』下の別の箇所には明白に『民経記』と断定できる記事が含まれていることから、本冊ではその旨を註記して収録することとした。
 また、国立歴史民俗博物館所蔵『大嘗会雑事日限勘例』には仁治度・寛元度の大嘗会に関する記事の目録がみえるが、現在記事本文が伝わらないものについて、やはり目録である旨を註記した上で収録した。
(例言三頁、目次二頁、本文三五九頁、巻頭図版一頁、岩波書店発行)
担当者 尾上陽介

『東京大学史料編纂所報』第36号 p.33*-34