東京大学史料編纂所

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所報―刊行物紹介

大日本史料 第十二編之五十五

 本冊には、元和八年(一六ニニ)年末雑載のうち、学芸・遊戯の条および法制・訴訟・刑罰の条を収めた。

 学芸・遊戯の条では、まず最初に各種記録類から関係記事を抄出した。内容は多岐にわたるが、その一部を紹介すると、「春日社司祐範記」には度々催された連歌会や祐範による伊勢物語講釈等の記事があり、「舜旧記」には囲碁・将棋に関する記述が散見する。「本光国師日記」から引いたのは、ほとんどが諸方から依頼された墨跡の鑑定の記録である(なお、これと同種の史料に江月宗玩の「墨蹟之写」があるが、同書のうち元和九年までの部分は既に竹内尚次氏『江月宗玩墨蹟之写−禅林墨蹟鑑定日録−の研究』上巻〔一九七六年、国書刊行会〕に写真版・釈文が一括掲載されているので、本冊への採録は見送った)。日野資勝の日記「凉源院殿御記」には、和歌集など典籍の書写・貸借や資勝男光慶の屋敷を訪れた舞々の様子等が書き留められている。別本の「資勝卿記」は、冷泉為頼亭で催された茶会の記事が詳しい。武家日記では「梅津政景日記」に放鷹や刀装(金工)の記事が見える。またこの年江戸を訪れたイギリス商館長リチャード・コックスは、オランダ人らとともに歌舞伎を見物したと日記に記している。

 以上の記録類に続いて、和歌・連歌・連句・漢詩文・入木道・茶会・放鷹・絵画等に関する史料を配列し、条末には各種著述の刊記・奥書を収めた。

 第十二編では以前、国文学の奥田勲氏のご協力を得て連歌・連句の史料情報蒐集に努めたことがある。その後奥田氏をはじめとする多くの研究者の長年にわたる調査研究成果の集大成として連歌総目録編纂会編『連歌総目録』(一九九七年、明治書院)が刊行されたが、本条には同目録に収録された元和八年の連歌・連句二十四点に加えて、未収録の連歌六点を紹介した(一巡までと句上を抄出。なお上記記録類の中にも連歌会に関する記事が随所に含まれており、その他既刊本年正月二十日条および四月二十一日第一条にも連歌・連句が収載されている)。この連歌・連句史料の編纂に際しては、熊本大学文学部小川剛生氏より懇切なご教示をいただいた。

 刊記・奥書に関しては、諸寺に残る聖教奥書類を割愛したことを付記しておく。とくに醍醐寺には本年にかかる多数の聖教類が伝存しているが、同寺の史料は現在調査途上でもあるため、採録を見合わせることにした。

 続く法制・訴訟・刑罰の条も、冒頭に記録類からの抄出記事を収めた。「本光国師日記」は、金地院領山城北山村大工の訴訟が幕府の裁定によって決着したことを記しており、「梅津政景日記」に見える佐竹氏下野領の庄屋・百姓出入では、私領内の訴訟であるにもかかわらず幕府に対して裁決の伺いを立てている(結局幕府は佐竹側に処断を任せているが)。

 本条の過半を占めたのが、次に配列した永青文庫及び松井家文庫(いずれも熊本大学附属図書館寄託)を中心とする豊前小倉細川領関係の史料である。その第一は走り者に関する記録類である。元和・寛永期の北九州地域における走り者頻出状況とそれに対する支配の側の対応については宮崎克則氏『大名権力と走り者の研究』(一九九五年、校倉書房)に詳しいが、本条には本年中に発生した走りの実態と隣接他領との間で繰り返された返還交渉の経過に関する史料をまとめて翻刻した。各領主とも自領民の走り先の探索とその返還交渉に意を注いでおり、領内の労働力を確保するための重要な課題であったことが理解できる。

 続いて細川氏年寄等による裁判記録「立御耳工(公)事目安之写帳」「相済申工事目安之写帳」「元和年中之御帳」(永青文庫所蔵、史料名は所蔵機関作成の目録による)のうち、本年中の裁決にかかるものを採録した(一部は年貢・課役の条に分載する予定である)。

 「立御耳工事目安之写帳」からは、豊前京都郡延原村より同郡与原村に走った百姓少三郎の帰参をめぐる一件をはじめ、家中・領民らの訴訟・出入等の記録七件を採録した。同書は各事件ごとに、告発者の訴状、被告発者の弁明書、証人らの供述書等を順を追って並べ、最後に年寄等による裁決書を書き留めている。

この「立御耳…」が最終的に藩主細川忠利の裁可を仰ぐべき裁判の記録であるのに対して、「相済申工事目安之写帳」は年寄等の裁決で決着した事件のそれである。同書からは、長門から流転して来て豊前小倉にたどり着いたみやという女の身柄の帰属をめぐる出入をはじめ、計四件の裁判記録を収めた。みやの一件は、人身の売買・質入に関わる事例としても興味深い。

 「元和年中之御帳」は誅罰帳とも呼ばれる種類の史料で、細川氏年寄等が下した死罪判決の記録である。同書からは、豊後速見郡下依村与吉の殺人未遂・密通一件以下四件を採った。

 以上三点の記録は、この当時細川氏によって行われていた裁判の実態を伝える好個の史料である。またこれらを通読すると、元和六年末に家督を継いでまだ日の浅い忠利とその老臣らが、隠居して中津に移ったとはいえいまだに実際上の影響力を保持していた忠興の意向を常に意識せざるを得なかった状況を所々に見ることができて面白い。

 本条の最後には、各地の法令や諸集団による議定、境界や用水をめぐる争論等に関する史料を配列した。多くは地元自治体史等による史料発掘の成果であるが、当該期の法制・刑罰のあり方を全国的に通覧できる格好の材料が揃っている。

(目次一頁、本文四八九頁、欧文目次一頁、欧文本文二頁)

担当者 宮崎勝美・山口和夫・及川亘
欧文担当者 松井洋子・松方冬子


『東京大学史料編纂所報』第35号p.25