東京大学史料編纂所

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所報―刊行物紹介

大日本古記録 実躬卿記 三

この冊が収めるのは、永仁二(一二九四)年から正安二(一三〇〇)年までの日記と、その自筆本に依った部分の紙背文書である。これは、実躬三一歳から三七歳にいたる期間に相当するが、この間、永仁二年秋・冬記および、永仁四・五年の記事が、現在まったく伝わっていない。
まず、本冊の底本については、前田育徳会尊経閣文庫所蔵自筆本の他に、複数の写本を使用している。その主なものは、神宮文庫所蔵三条本であるが、同本内の各冊の性格は様々である。たとえば、永仁三年九月記は奥付により、自筆本からの直接の書写であることが知られ、他の部分と体裁を異にしている。一方、正安元年・二年のほとんどは「逍遥院内府抜書」すなわち三条西実隆による『実躬卿記』抜書の写本によっている。さらに、永仁二年一・二月記と同三年一・二月記は、体裁の上で一見酷似しているが、首附については前者が墨書のみであるのに対し、後者は朱書も交えている点で相違する。一方、本所所蔵自筆本のうち、永仁二年二月二九日断簡と写本の当該部分の首附(すべて墨書)は一致する。そこで、一応墨書の首附は自筆本に基づくものと判断して翻刻の際に残すこととし、朱書の首附のみを削除した。
次に、永仁六年一〇月記および正安元年一月五日条は、それぞれ後伏見天皇の即位及び元服後宴についての別記的性格を有するものであるが、平行する日次記が確認できない。前者には、いずれも新写本ながら、明らかに系統の異なる複数の写本が知られ、本冊ではこれらの本による自筆本原形態の復元を試みた、記事中には、西園寺公衡より送られた、安徳天皇即位の際の礼服着用次第の写が見えるが、最近西園寺家より学習院大学資料館に寄託された同家伝来の史料群中の『公衡公記』には、後伏見天皇即位関連記事が見えて興味深い。今後、比較検討の必要があろう。
さて、本冊の内容は、『実躬卿記』全体のなかでも、様々な意味で興味深い。それは、まず実躬の官位が大きく進む時期に当たっているためである。弘安八(一二八五)年以来、実躬は右近衛権中将・正四位下のままであったが、これは、自身の仕える大覚寺統が治世を退いたためであった。それでも実躬は、持明院統の伏見天皇親政下の正応四年ごろから蔵人頭を望む。その宿望に任せぬ様は前冊より見える通りであるが、特に、永仁二年三月に実躬を制して藤原為雄が蔵人頭に任じられた際には、伏見天皇の乳父として権勢を振るったことで有名な藤原(京極)為兼の跳梁と考え、もはや持明院統への奉仕を止めて出家したいといった心情を、日記に吐露している。ところが、ついに永仁三年六月には伏見天皇の蔵人頭に補される。これは、実躬が実は持明院統からも恩寵を受けていたことを示し、後に父公貫もまた、後伏見天皇元服後宴の上寿役を任され、権大納言に昇進したことも、本冊に見える通りである。かくして蔵人頭就任後、活発に政務に関与する記事が見えているものの、残念ながら、その中心となる時期については、欠失あるいは抜書作業等によって多くが失われている。この後、参議となり、公卿の座に連なる永仁六年ころより、再び日記が残されている。
この他に目に付く記事としては、やはりまず、御幸への供奉、杯酌御会の陪膳など、亀山法皇の近臣としての活発な活動である。一連の記事は、同法皇の近臣集団の分析を進める上で、今後注目されてゆくであろう。また、永仁三年を中心に見られる、正親町三条家家領である「江州所領」をめぐる、室町院との相論関連記事も興味深い。この過程で、実躬は西園寺公衡に度々取次を依頼する。実躬が西園寺家と密接な関係にあったことについて、本冊では、実躬男公秀の元服に際し、今出川第において西園寺実兼が加冠を勤めたことや、実躬が公衡から除目の作法を習ったことなどが見えている。蔵人頭昇進についても、度々公衡に助力を願っていた。この他に、前述の後伏見天皇即位関係記事も貴重である。
次に、紙背文書にも触れておきたい。まず、永仁二年三・四・五月記の紙背は、概ね永仁元年の文書を収めるようであるが、その多くを仮名暦断簡が占める。次に、具足の貸借についての文書が何通か見られるが、その差出人は、筆跡その他から、中御門為定(後に光方)に比定できそうである。また、母方の叔父である房性の書状や、実躬書状に房性が勘返したものも複数見られる。さらに、尼某の仮名消息には、極楽寺忍性の上洛や後深草法皇との交流、さらには実躬も忍性に受戒を請うていたらしいことなどが見えて興味深い。これらの文書には、いずれも様々な形態の封の墨引が残っているものもあり、古文書学的にも注目できる。
次に、永仁三年一〇月記には、正応五(一二九二)年に没した大宮院藤原〓子の中陰仏事の詳細を記した折紙や、連歌懐紙などが見え、いずれも興味深い。なかでも連歌懐紙は、現存するものとしてはもっとも初期に属し、注目に値する。
なお、本冊の編纂については、引き続き多くの底本所蔵者のご理解・ご協力をいただいた外、担当者の非力故、所外の複数の方のお手を煩わせた。記して深謝したい。
(例言一頁、目次二頁、本文二七一頁、口絵図版二頁、岩波書店発行)
担当者 菊地大樹


『東京大学史料編纂所報』第33号p.29