東京大学史料編纂所

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所報―刊行物紹介

大日本古記録 二水記 四

 最終冊である本冊には、享禄四(一五三一)年正月から天文二(一五三三)年二月までの本文と、本文補遺・別記・逸文及び参考を収め、解題・略系・略年譜・補訂表・索引を附載した。
 本文のうち、享禄四年春夏記は原本が現存せず、写本により本文が伝わる。また、天文元年夏記も記事が伝わらないが、原本では目録を付ける準備と四月一日の日付まで書いた後が白紙のまま残されており、記主鷲尾隆康がもともと記さなかったことがわかる。本文の底本には内閣文庫所蔵隆康自筆原本を用い、享禄四年春夏記のみ東山御文庫本を用いた。享禄四年春夏記を含む写本は数多く存在するが、慶長書写禁裏本表紙の存在や六月三〇日条日付の脱落などの特徴が共通しており、すべて東山御文庫本と同系統のものであると認められる。内容は、相変わらず家業である雅楽や神楽についての記事も多いが、天文元年八月の山科本願寺滅亡など、一向宗徒と法華宗徒の動向を中心に京都及びその周辺の情勢を詳しく伝えている。隆康は天文二年三月六日に薨ずるが、日記は二月二五日に寒中行水が原因で発病した旨が記され、おそらく病床で記した二七日の記事を最後に終わっている。
 本文補遺には大永三年秋冬記を収めた。同五年春記までを収めた大日本古記録二水記第二冊が刊行された後、宮内庁書陵部所蔵の柳原七冊本に大永三年秋記の大部分(三〇日条を欠く)と一二月二五日条が、本所所蔵の『元服部類』に同月一九日条が、それぞれ含まれていることが判明し、その後、一九九二年一二月に京都大学附属図書館に出張した際、同館所蔵平松二五冊本に大永三年秋冬記が完全に存在することを発見した。柳原本と平松本の本文は系統が異なり、前者の方が脱字などが少ない。また、柳原本の一二月二五日条は同じく宮内庁書陵部所蔵柳原家旧蔵本の『大永三年十二月御灌頂記』の写しで、これにも平松本には見られない指図等がある。今のところ、大永三年秋冬記はこれら二系統の本文の存在しか知られていないため(宮内庁書陵部所蔵久世本や京都府立総合資料館所蔵広橋本の大永三年秋記は柳原本の写し)、底本には平松本を用い、柳原本及び『大永三年十二月御灌頂記』で脱字や指図等を補った。この大永三年秋冬記は、すでに笹野堅『幸若舞曲集』序説(一九四三年、第一書房)には八月三日条が八月二日条として引用されているが、管見の限りでは、これ以外の記事は従来ほとんど利用された形跡がなく、その在在すらあまり知られていなかったものである。
 別記には陽明文庫所蔵の『寓記』を収めた。従来これは持明院基孝の記録とされてきたが、実は隆康自筆の春日社神楽参向別記である。巻頭図版に掲げたように横長の小冊子であり、数多くの推敲の痕も見え、実際に携帯したものと考えられる。このほか、大永元年三月一七日条・二二日条、同年四月二七日条には「御即位叙位別記」「御即位別記」「御即位女叙位別記」というべきものが存在したことが見えるが、残念ながらこれらの所在は確認できない。
 逸文には永正一二年一一月一〇日条と同一五年一一月二五日条を収めた。ともに隆康の実父四辻季経の箏灌頂の記事である。前者は本所所蔵の『山科家断簡』に含まれ、隆康が永正二年以降、同一四年以前にも記録を残していたことを示す貴重な逸文である。後者は宮内庁書陵部所蔵の『御箏御灌頂事』(江戸時代の写本)に冒頭から約四分の三が、『山科家断簡』に残りの四分の一が、それぞれ含まれており、内容から見てこれらは接続すると思われる。『山科家断簡』の方は享禄二年に山科言継が書写したものであり、ある時に紙継ぎ目が離れて前の部分は山科家より流出し、それの写しが現在に伝わっているのであろう。
 参考には尊経閣文庫所蔵の二水記総目と慶長書写禁裏本関係表紙を収めた。前者は延宝七年に油小路隆真が作成した目録で、延宝当時の油小路家における二水記原本の存在状況が確認できる。後者は慶長六年春に禁裏で原本を書写した際に付けられた、書写分担者や墨付丁数等を記した表紙であり、東山御文庫本及び平松本から集成した。慶長当時の原本の存在状況や書写の実態を知ることができるうえ、諸写本の系統を判別するための有力な材料でもある。
なお、本冊に附載した索引の編纂には、元本所非常勤職員(現熊本大学文学部講師)小川剛生氏の四年間にわたる協力を得た。また、一九一頁略系中の「覚雅」に*を付け、三〇一頁索引二段目の参照項目中の「鳥←納蘇利」を「鳥 納蘇利」と分けるよう、訂正して頂きたい。
 大日本古記録としては、編纂が終了した二水記に代わり、新たに中山定親の薩戒記を一九九九年度より刊行する予定である。
(例言二頁、目次二頁、本文一一六員、本文補遺三〇頁、別記一〇頁、逸文五頁、参考九頁、解題七頁、略系二頁、略年譜一二頁、補訂表七九頁、索引一一九頁、詩歌索引四頁、巻頭図版一頁、岩波書店発行)
担当者 尾上陽介


『東京大学史料編纂所報』第32号p.23