東京大学史料編纂所

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前橋市立図書館所蔵近世後期幕政関係史料の調査

 一九九六年三月八日から十日まで、前橋市立図書館に赴き、同館所蔵前橋藩松平家記録のうちの近世後期幕政関係史料の調査を行なった。とりわけ、天保十一年の三方領知替え関係、および海防関係の記録を重点的に調査したが、その概要は以下の通りである。
S010—松平—120 文政三—七年/相州御人数出記録/川越
 文政三年十二月二十八日に老中水野出羽守より、浦賀警備役とそれに伴う相模への領地替えを命じる御用状を受け取ったことから始まる。翌年正月には、忍び両名を派遣して相模の新領地の模様を取り調べさせている。以下は、江戸および浦賀よりの情報を、川越にて記録したもの。文政五年には、四月十日の記事に三宅島沖合いで異国船発見のことがみえ、また同年五月には、異国船(イギリス船)浦賀入港のため浦賀奉行よりの警備人数出張要請を受けた記事などがみられる。
S010—松平—130 文政七—天保九年/相州記録/相州
 内題には「相州御用記」とあり、年代は天保十三年までみられる。江戸および浦賀よりの情報を、川越にて記録したもの。文政八年二月十八日の記事に「此度異国船渡来之節鉄炮ニ而打払之儀」、すなわち異国船打払令の通達のこと、同月二十七日には奥州岩城沖で異国船発見のことがみえる。文政九年三月には、漂流日本人を乗せた唐商船が遠州榛原郡下吉田村に漂着し長崎に回漕された一件、同十一年四月には房州白子村沖へ異国船一艘出現一件、天保八年六月から七月にはイギリス船が浦賀に入り砲撃を受けて退去した一件、同九年には房州天津沖に異国船出現、御徒士目付の砲術見分のこと、同十三年八月から九月には異国船打払令の改正に伴う記事がみえる。
S010—松平—178 天保十一年/御所替別記録/川越
 天保十一年十月二十九日〜同十二年十二月二十四日、同十三年一月一日〜同年三月十七日、同十五年二月二十六日の記事がある。出羽庄内への転封(いわゆる三方領知替え)の発令から、これが中止となって代わりに二万石が加増されるまでの川越藩側の記録。
S010—松平—188 天保十四年(一)/記録/相州
 天保十四年二月二十六日条に、観音崎台場が浦賀奉行所から川越藩に引き渡された際に、同奉行組与力から同藩武具奉行兼普請奉行の伊藤久左衛門に手交された覚書(「観音崎御備場附大筒小筒并小道具類覚」)が書き留められている。
S010—松平—200 弘化二年/異国船渡来別記録/相州
 原題は「弘化二乙巳年ヨリ 異国船渡来御人数出別記録」。本史料は、川越藩相州大津陣屋の記録と思われ、以下の三件の記事が収録されている。
 �弘化二年二月十八日から同年五月一日まで。日本人漂流民の送還のために来航したアメリカ捕鯨船マンハタン号への対応記事など。
 �弘化三年閏五月二十七日から同年九月二十九日まで(アメリカ東インド艦隊司令長官ビッドル来航事件など)。
 �嘉永二年閏四月八日から十一月二十五日まで(イギリス軍艦マリナー号来航事件など)。
S010—松平—201 弘化二年/記録/相州
 弘化二年二月十八日条に、「異国船渡来取扱向之義、別記ニ有之ニ付略之」とあることから、前掲の(200)「弘化二年/異国船渡来別記録」が本史料の「別記」であろう。大津陣屋詰藩士の任免や勤務等に関する記事が多い。
S010—松平—207 弘化三年/記録/相州
 弘化三年閏五月二十七日条よりビッドル来航事件関係の記述が見られるが、前掲の(200)「弘化二年/異国船渡来別記録」にもほぼ同様の記事がある。弘化二・三年および嘉永二年の外国船渡来事件に関しては、「別記録」の方が内容的に詳細である。
                             (佐藤孝之・箱石 大)


『東京大学史料編纂所報』第31号p.32