東京大学史料編纂所

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所報―刊行物紹介

大日本古記録 中右記 二

 本冊には嘉保元(一〇九四)−二年を収めた。本冊の底本には、古写本では陽明文庫本及び宮内庁書陵部所蔵九条家旧蔵本、新写本では東山御文庫本を用いた。本冊で新たに底本に用いた九条本は、嘉保元年一冊のうち正月−九月である。鎌倉期の書写と思われるが、書写の程度が余りよくなく、奥書に「一校了、凡此巻字々狼籍不遑、悉直付耳」とある程である。しかしその校訂もよいとはいえない。その他の本については前冊で述べた。
 校合には、宮内庁書陵部所蔵九条家旧蔵古写本及び新写本・東山御文庫本・陽明文庫所蔵新写本・京都大学文学部国史研究室所蔵勧修寺家旧蔵本・国立公文書館内閣文庫所蔵百九冊本及び「中右記部類」を用いた。宮内庁書陵部所蔵九条家旧蔵新写本は、寛文一〇年(一六七〇)に九条兼晴が古写本を書写させた本が中心であり、当時古写本のなかった巻冊については、勧修寺本などの新写本の書写で補っている。本冊で用いた「中右記部類」は、東山御文庫収蔵『口言部類』『年中行事』、天理大学附属図書館所蔵『中右記部類』九、宮内庁書陵部所蔵『中右記部類』十、反町英作氏所蔵『中右記部類』十九である。いずれも鎌倉期書写の古写本で、『口言部類』『年中行事』は「中右記部類」一の一部にあたると思われるもの、その他は九条家旧蔵の『中右記部類』である。
 本冊の期間の宗忠は、年齢は三三−三四歳、位階は正四位下、官職は堀河天皇の侍従から、六月一三日に右中弁に任ぜられた。当日条には宗忠の感懐が述べられており、弁官という「才智之所任」に任ぜられたのは、「朝恩之深」と「稽古之力」であるとしている。近衛少将の後侍従にあったものが弁官になることは余り前例のない人事であったようだが、この後宗忠は「弁官ルート」をたどって実務官人として昇進してゆく。
 任官後まもなくの六月二三日、伊勢神宮(内宮)遷宮行事弁及び率分所勾当に任じられ、九月一五日豊受宮(外宮)遷宮行事弁も兼任することになる。この後嘉保二年九月に内宮、承徳元年(一〇九七)九月に外宮の遷宮が行われるが、その後の処理も含めて、遷宮に関する多くの記事が残されている。この間の二年三月二九日石清水社行幸と四月一五日賀茂社行幸では、ともに行事弁を勤めており、実務能力を買われてのことであろう。
 嘉保元年一〇月二四日の夜に、当時の皇居堀河院が焼亡し、天皇・中宮以下が避難するという事件があった。宗忠はその夜内裏で宿仕しており、出火にあたって天皇の命を受け中宮の退出を確認した後、重宝の搬出や天皇の避難に働いた。この日の記事は臨場感に満ち、緊迫した様子が手に取るようにわかる。その後も宗忠は焼失した神宝等の調査・制作など火事の事後処理にあたっている。
 このほかには、嘉保元年三月八日の陸奥守源義綱の入京、同九日に行われた関白師実から師通への移譲とその関連の記事、二年八月二八日白河上皇の鳥羽殿前栽合、同一〇月の延暦寺強訴(神輿入京の始め)などの記事が興味深い。
 (例言二頁、目次一頁、本文三〇〇頁、口絵二葉、岩波書店発行)
担当者 吉田早苗


『東京大学史料編纂所報』第31号p.21