大日本古文書 大徳寺文書別集三

本冊は、『大徳寺文書別集』真珠庵文書之三として、乙箱の文書、一四一点を収めた。
本冊の内容の特徴は、真珠庵の土地経営の様相が相対的によくうかがえることであろう。大徳寺文書本編は、大徳寺の諸塔頭による中世後期の京都およびその周辺の土地の経営、集積、売買の実態を示す史料として利用されてきた。しかし、本編の文書は、各塔頭の土地経営の全貌や組織を知る上では隔靴掻痒の感があった。それに対して、真珠庵文書は、個別の塔頭の土地経営の全体的様相をよく伝えており、その意味で、大徳寺文書本編の利用のためにも必須の位置をもっている。そして、三冊目にあたる本冊は、これまでの二冊に比して、真珠庵文書のこのような側面を典型的に示しているということができる。
その様相を何点かについて順不同に紹介すると、たとえば、第一に、一七九より一八二号文書に収めた四冊の祠堂銭納下帳は豊富な注記をもち、永正から天文年間の祠堂銭による土地の買得と経営を示したものとして利用価値が高い。祠堂銭の寄進者は京・畿内はもとより、近江、越前、若狭、駿河、伊豆などの諸国に広がっており、階層的にも、室町将軍家、奉行人層から守護家、地方武士にいたるまで極めて多様で、真珠庵を支えた教勢のあり方を知ることができる。また第二に、二一五号文書など真珠庵第十二世の化庵宗普の執筆にかかる三通の土地買得注文も、その内容といい、土地買得のあり方をきわめて具体的に示す点といい、興味深いものがある。さらに第三に、一七八号文書(六二・六三)の樋口富小路の屋地指図も京内の指図として注意をひくもので、特にこの土地の寄進者が一休宗純の賣扇庵の土地を提供した陶山氏であることは寺史の問題としても重要であろう。
なお、その他の寺史に関わる問題としては、第二〇九号文書により上記の化庵宗普が飯尾氏の出身であることが分かることが興味深い。また、第二二三号文書の前相国葦洲等縁の祠堂田寄進状、第三一一号文書紙背の真珠庵第八世・紀聞智庵言状なども注意を引くところである。
最後に本冊に収めた文書の中で、形式上注目するべきものについてはできる限り網版の図版として収めたが、特に第二七八号文書の賀茂大神宮政所下知状は奥上に年月日と署判のみを書いた、一種の判紙というべきものであろうと思われることを指摘しておきたい。
(目次一五頁、本文二八四頁、花押印章一覧一二頁)
担当者 保立道久

『東京大学史料編纂所報』第30号 p.17**-18