東京大学史料編纂所

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所報―刊行物紹介

日本関係海外史科 オランダ商館長日記 訳文編之八(上)

 本冊は、原文編之八に収載した、ヤン・ファン・エルセラックの日記のうち一六四三年十一月八日より一六四四年七月末日までの記事、及び附録の一 一六四四年五月二日付エルセラック充て、二 同日付長崎奉行山崎正信充て、三 同日付出島乙名海老屋四郎右衛門充て、四 五月末日付エルセラック充て、五 七月四日付エルセラック充ての五点の東インド総督アントニオ・ファン・ディーメンの書翰を全文翻訳したものである。収載史料の書誌的解説については、『所報』二八号七九〜八〇頁を参照されたい。
 日記本文は、一六四三年十一月八日、商館長エルセラック一行の江戸参府への出発に始まる。十二月一日に江戸に到着したエルセラックは、同年七月二十九日南部領山田浦で捕縛された、オランダ東インド会社のヤハト船ブレスケンス号の十人の乗組員の江戸での取り調べと平行して、井上筑後守、牧野佐渡守等による審問を受ける。十二月三、六、十四日の条には、幕閣との間の問答の内容が詳述され、日本側の対外認識と関心のありようを如実に物語っている。結局、商館長の証言は捕縛されたオランダ人たちの供述と合致すると認められ、商館長として彼らの身分、行動、供述内容を保証することで、十二月八日十人は釈放となった。
 その後、十二月十一日に商館長は将軍家光に拝礼し、銅製灯籠そのほかを献上、十七日に下賜品と暇を与えられるとともに、今後オランダ人が守るべき命令として、一、家康以来の通航許可の更新、長崎以外の港に入港した場合もオランダ人であることを明示すれば必要な援助を与えられる、一、投錨せず不審な行動をとることは厳禁、特に発砲は死罪、一、宣教師密入国など、スペイン・ポルトガルによる悪事の企てがあれば注進すること、との内容を読み聞かせられた。二十一日には同内容の書付(大目付並びに両長崎奉行充年寄衆連署下知状の写し)を与えられた。これは長崎移転後もオランダ船の全国諸浦への寄港を認めることをはじめて確認したものである。エルセラックは十二月二十四日に江戸を発ち、一六四四年一月二十四日に長崎に帰るが、その前後幕閣そのほかの日本人から、捕縛されたオランダ人の釈放、将軍本人への拝礼、将軍及び世子からの下賜品拝領などの点で、この年の参府はオランダ人にとって大成功であり、大きな幸運、名誉を得たのである、と繰り返し聞かされている。
 帰着後の長崎での日々は比較的平穏であったが、七月末には、前年七月に梶目大島で捕らえられたイエズス会士等が、オランダ人の中にもローマ・カトリック教徒が多数おり、東インド会社の船にも乗り込んでいると供述したことから、商館在留のオランダ人は一人ずつローマ教徒でないか調べられた。商館長は、今後の来航船及びその積荷についても充分な注意が必要であることをあらためて肝に命じている。
 附録のうち、一、四、五の商館長充ての東インド総督書翰は、相次いで別便で日本商館へ送られたものであり、重複もあるが、バタフィアに於いて各地からの連絡をもとに行われた情勢分析に基づき、必要な情報が伝達されるとともに、幕府との応対や日本貿易の運営についての指示が記された興味深い史料である。
 本冊の翻訳には、ルドルフ・バホフネル氏、本所外国人研究員レイニアー・H・ヘスリンク氏から多大な協力を受けた。編集・校正については非常勤職員石田千尋・大橋明子・行武和博の各氏の協力を得た。なお、索引については、訳文編之八(下)に合わせて収録する予定である。
(例言三頁、目次三頁、図版三葉、本文二一二頁)
担当者 松井洋子・松方冬子


『東京大学史料編纂所報』第30号p.19