東京大学史料編纂所

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所報―刊行物紹介

正倉院文書目録 三 続修後集

 本冊は、一九八八年三月に刊行した『正倉院文書目録』二 続修に続く第三冊で、正倉院古文書の続修古文書後集(続修後集)四三巻の文書目録を収めた。
 正倉院文書は、正集が天保四〜七年(一八三三〜六)に穂井田忠友により編成された後、明治八年(一八七五)九月に東京の内務省浅草文庫に東南院文書と共に運ばれて、そこで内務省と教部省により続修五〇巻が編成された。引き続いて同文庫で明治十四年までに、続修別集五〇巻、続修後集五二巻が編成された。この過程で、続修から続修後集巻十七、巻四十二(現、巻三十三)に、続修別集から続修後集巻三十七(現、巻二十八)にそれぞれ文書の配置替えが行われている。明治一〇年には塵芥が運び出され明治十四年までに塵芥三九巻三冊に編成された。正倉院文書は、同十五年に、成巻された文書と未修古文書(後の続々修)と合せて正倉院に返納された。
 続修後集については、その後、編成の補正が二度にわたって行われた。明治十八年七月に正倉院宝庫が宮内省図書寮の所管となって以後、明治二二年までの間に、巻二十八〜三十六を東南院文書の混入と判断して、東南院文書に戻してその第七帙第一〜九巻とした。これが最初の補正である。なお、この東南院文書への移動の際に、本来の正倉院文書である宝亀三年四月奉写一切経司食口帳断簡(大日本古文書十九ノ一七一。紙背は神護景雲四年八月二日刑部広浜自進貢進文)が東南院文書第七帙四巻に混入することになった。残された巻三十七〜五十二の巻次は、明治二五年(一八九二)に設置され同三七年まで存続した宮内省正倉院御物整理掛において、明治二七年以後に、現状の巻二十八〜四十三に改められた。
 明治二五年(一八九二)以降、宮内省御物整理掛において、未修古文書の続々修への再編成が行われ、同時に明治二七年に続修後集の編成の二回目の補正が行われた。この二回目の編成の補正においては、「御物納目散帳」(北倉一七三)の輯集の作業(成巻された正倉院文書の所々に散在した正倉院御物出納文書を続修後集・塵芥・未修古文書等から抜出して「御物納目散帳」の題を附して成巻する作業)により、巻三から弘仁二年九月二十四日鏡注文(御物納目散帳�。二十五ノ附八九2−6)、巻四十八(現、巻三十九)より弘仁四年二月九日香薬出倉注文・弘仁五年六月十七日香薬出倉注文(御物納目散帳�(1)、二十五ノ附八六−八七12)と延暦十二年六月九日財物注文(御物納目散帳�(2)、二十五ノ附八八1−6)、巻五十(現、巻四十一)より弘仁二年九月二十四日財物注文(御物納目散帳�。二十五ノ附八八7−八九1)を外した(『大日本古文書』二十五附録正倉院御物出納文書所収の「御物納目散帳」の翻刻では、実物には新補紙に記載されている旧収の成巻文書の巻次の注記が省略されている)。しかし続修後集には、その後もなお、巻三の弘長元年九月五日御物納櫃目録(二十五ノ附一三七)や、(延暦十二年?)東大寺財物検定注文案などからなる巻四十一のように、正倉院御物出納文書群に所属する文書が数点残されている。
 次に、続修後集の編成の特徴を述べ、あわせてそのような様態に対応して本冊から採用した表記方法、用語などを解説する。
 第一の特徴は、続修後集には狭義の正倉院文書(東大寺の写経機関で作成・保管され一括して伝存してきたもの)ではない文書が混入していることである。上述の正倉院御物出納文書群に属するものの他に、巻四十三には正倉院宝物の鳥毛立女屏風下貼に使用された天平勝宝四年買新羅物解が数通収められている。
 第二の特徴は、続修後集には、続修別集と共に文書の原形を保って成巻されているものが多数あることである。このような状態は、続々修の様態と同じである。正集や続修の大部分は、間に新補紙を挾んで断簡を貼り継ぐ編成、すなわち穂井田忠友以来の整理・成巻担当者がそれぞれ設定した主題の文書を正倉院文書の中から抜出して配列する編成である。それらに比較して、続修後集には、継文(文書の案文や正文を貼り継いだ巻子)・帳が、複数の文書や料紙が貼り継がれた原形のままに、あるいは複数の料紙からなる一文書が原形のままに、またはそれぞれ原形に近い状態で、新補表紙を装着して成巻されている巻が多い。左端あるいは右端に往来軸を巻附けた状態で反対側の端に新補表紙を装着した巻(右端に往来軸を装着した場合、左表紙の巻子となる−巻四・七・九・十一・十三・十四・十八・十九・二十一・三十・三十一・三十二。なお、本来は右軸であったのに現在は軸が外れて別の巻に装着されたり、同じ巻の別の場所に附けられたりしている巻あるいは文書には巻六・八・十(4)・四十�がある)、原表紙に題簽を貼り附けて新補表紙を加えずに編成されている巻(巻二十七)などがある。したがって、間に新補紙を挾まず料紙が直接に貼り継がれている状態を表す(1)(2)…を附した断簡(一点ごとに独立した文書の場合が多い)が続修後集には多い。貼り継がれた断簡においては、糊代が活きていて端の状態がよく見えないので、続修後集編成時の貼り継ぎか八世紀の貼り継ぎか判定が難しい事例が少なくない。
 原形を保っていることから派生して、続修後集には、文書や継文・帳を作成する過程での料紙や文書の切除・貼り直し・継ぎ直しなどの痕跡が、料紙の端や継目に保存されている事例が多数ある。このような文書の形状・様態に関する観察所見は、各断簡目録の末尾に小字の按文で記述した(巻七・九・十二・十三・十四・二十一・二十五・二十七・二十九・三十四・三十五・三十九)。
 文書の料紙が、巻尾で軸や新補軸に直接に巻き附けられている例が少なくない。このような事例の多くは巻き附け部分の長さを正確に計測できない(右軸の場合は巻き附け部分が少ないので計測しやすい)。そのような場合には巻き附け部分の長さを除外して料紙の長さに*を附し、巻き附け部分の長さの推定値は端の状態の項に記した(例言第一一項。巻三・十五・二十三・二十四・二十七・三十五・三十七・四十一)。
 断簡分けされていない料紙の糊代下の部分は紙長に加えないことを原則とするが(同前。個別の料紙長の合計から全長を計算するため)、文書や帳の作成過程における料紙の編成に時間の経過がうかがわれたり、前後で全く異なった規格・紙質の料紙が使用されているような場合には、必要に応じて糊代下の部分の長さを記した(巻四・七・十二・十三・二十一・二十二・二十九・三十八)。
 第三の特徴は、これまでの正集・続修に収載された文書にもまま見られたことではあるが、続修後集には、正文・案文を問わず、一点一点の文書にその成立過程や機能過程を示す判や文が奥の余白や文面に附加されているものが少なくないことである。文書の袖の空白や奥の余白の存在とそこに追記された文言は、貼り継がれている文書が、正文、案文を限らず、独立した文書として機能したことを示す重要な情報である。その故に、本冊からは特に、文書の成立・機能過程に関する観察所見も、客観的根拠を明示できる範囲で記述することにした。
 端の状態の項に記した空白・余白の長さは、原記載と識別できる部分よりそれぞれ右側、左側の部分の長さとし、文書の原記載が成立した後に空白・余白に追筆が附加されていても、空白・余白の長さを減じることはしなかった。
 追記された判や文は、「断簡の首尾の字句等」の項(例言第三項)に記述した。附加された文(追筆)には、端裏書や奥裏書(巻十二。右軸・右芯の文書の場合、端裏書に相当する題が左端上の裏に書かれる。これを奥裏書と表記する)のほかに、表の右端(袖)に書かれる題や年紀(巻二十九・三十・三十二)、上級機関からの物品・銭の支給を示す文言(巻六・十二)、月借銭解の充銭・収納・恩免の文(巻二十)などがある。
 第四の特徴は、続修後集には、巻四十三の買新羅物解、巻三十八・四十三の経疏出納帳、巻三十五・四十二の奉写一切経所解(案)のように、料紙の破損、断片化が甚だしい文書、四周が不整形な形状の断簡が含まれることである。そのために、全面に及ぶ裏打ちや多量の補修紙を当てられた文書、あるいは買新羅物解のように台紙に断簡が貼り込まれているものがある。そこで、本冊から、台紙を[1][2]……で表記することにし(例言第五項)、巻四十三の断簡番号に使用した。また、断簡と称するには不適切な微小片は紙片と称することにした(例言第五項)。
 買新羅物解の料紙は、屏風料紙作成時に塗布された糊に起因すると推定される硬化が顕著であり、屏風に貼り付けられていた段階からの、あるいは屏風からの剥し取りの際に生じた、紙面の直線状の断裂が見られる。そこで、紙面の直線状の断裂を「干割れ」と表記し、天地左右の紙辺の直線状の欠損を「破断」と表記した(このような破断の状態の中には、剥し取りや成巻の際の整形による調整のために切除されたものもあろう)。
 断簡・紙片の天地左右の辺が、一般の断簡のように料紙の切断や継目剥し取りの状態ではなく、腐朽・破断により破損している場合、それらの相互の接続は、継目で接続したり切断線でツキ合セで接続したりするのではなく、左右、上下の位置関係にあるそれらが、重なりなく一点あるいは辺で接触して連続することになる。このような接続の状態を「接合」という概念で表現することにした(例言第一二項)。また、断簡が、台紙に貼り継がれている状態は「接着」という概念で表現した(巻四十三)。
 巻四十三の断簡・紙片の台紙への貼り込み状態を明示し、断簡番号・紙片番号の同定を容易にするために「断簡模式図」を、また復原した文書の釈文と断簡の配列を提示するために「某家買物解復原模式図」を参考の部に掲載した。
 第五の特徴は、続修後集には、紙製品、本来は文書ではない目的に使用された紙を文書料紙に転用したものなど、素材としての紙として使用されたもの(杉本一樹「端継・式敷・裹紙」『正倉院年報』十三号、一九九一年、参照)が多数収載されていることである。
 巻十一(2)裏は緑青裹紙を、巻十二(5)第5紙は経巻裹紙を使用している。
 巻二十二では、経典の装〓過程における「打」作業の際に巻子を包むために経巻本紙の奥に貼り継がれた継ぎ紙(後述の「端継」に準じて「奥ノ端継紙」と表記)や、経典の装〓・校正過程に経巻本紙の端に貼り継がれた「端継」が文書の料紙に使用されている。奥ノ端継紙の「某打」は、装?過程における「打」の担当者を表示するもので、文書の文言ではない。また端継と共に経巻から切除された経巻本紙第一紙の端裏に注記された写経に関わる書入れや、端継の裏に書かれた校正に関する書入れも文書の文言ではない。参考の部に「奥ノ端継紙模式図」「端継模式図」を掲げた。
 巻二十八には、紙で作成された経帙の模型(経帙様)、写経の際に文字位置のあたりをつけ墨を吸取るための下纒の使用品と未使用品が収載されている。
 本冊には特殊な形状、断簡配列などを図示するために参考を設けた。また、前冊に続いて本冊での情報を取入れた「大日本古文書対照目録」を収載した。さらに、巻末に補遺を設けて、本書一・二の記載を訂正すべき断簡の目録を掲載した。補遺に収録したのは、二・三の編纂に伴い生じた断簡番号の変更、一・二刊行後の調査で判明した接続情報の変更に限定し、従来の目録の誤記・誤植、文書名・記述内容の変更のみに関わる訂正は記載しなかった。
 本目録の編纂は、川崎庸之・故土田直鎮・皆川完一・故鈴木茂男・石井正敏の原本調査の成果をとり入れ、一九八八〜九二年度に岡田・石上・加藤・山口が目録編纂のための体系的調査を行い、さらに一九九三年度には厚谷も参加して目録原稿の原本校正を行うことにより進めた。また、宮内庁正倉院事務所の杉本一樹氏による正倉院古文書調査報告(『正倉院年報』八〜一〇号、一九八六〜八八年)の調査成果にも依拠した。さらに、杉本一樹氏を一九八八年度前期・後期、一九九二年度後期、一九九三年度前期に本所非常勤講師として招聘し、続修後集目録編纂について共同研究を行った。また、校正段階で、正倉院文書複製事業を進めている国立歴史民俗博物館において歴史研究部平川南教授・仁藤敦史助手の協力を得て、同館所蔵正倉院文書続修後集の原寸大モノクロ写真を利用することができた。なお、正倉院文書研究動向の資料整理、調査成果及び原稿の整理、対照目録の作成、校正には西洋子の協力を得た。本冊より、本書の担当部室を古代史料部門編年第一とし、古代史料部を中心にしたプロジェクトグループを編成して編纂に当ることにした。
 正倉院文書の調査を許可され、本書の刊行に格別のご配慮を賜わった宮内庁及び同正倉院事務所に対し、厚く感謝の意を表する。
(例言四頁、目次四頁、本文三六〇頁、参考六頁、対照目録一四三頁、補遺一三頁)
(石上英一・山口英男・岡田隆夫・加藤友康・厚谷和雄)


『東京大学史料編纂所報』第29号p.12