東京大学史料編纂所

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所報―刊行物紹介

大日本古文書 家わけ第十 東寺文書之十

 東寺文書は、京都府立総合資料館所蔵の「東寺百合文書」を各函ごとに概ね年月日順に排列しているが、本冊に収めたのは「わ函」の天文八年より永禄五年まで、および年月日未詳(含推定分)の文書である。これで、東寺文書之七より続いた「わ函」はすべて終了した。
 「わ函」は造営方の函とでも称すべき文書群を納めている。作事に関する料足や人夫の注文、その他折紙代や損免等の注文類、料足の引替日記、造営方奉行の交替にともなって旧奉行から新奉行に送付される手文箱等送進状、造営料所の内検注文や指出、河成や盗人刈による損を知らせた百姓等の注進状等々がみられるが、しかしなんといっても圧倒的分量を占めるのは、造営方算用状および造営料所である山城東西九条、洛中の大巷所・澳殿などの算用状と未進徴符である。
 それらのなかでも東西九条女御田の算用状は前半に長大な坪付けをともなった特徴的なものである。女御田算用状のこのような形が整ったのは文安の頃、南北朝期に東寺領となった東西九条が、応永三年青蓮院門跡に付けられた後、嘉吉元年にふたたび東寺に返付され支配体制が整ってきた時期である。紀伊郡に散在し、諸家寺社領・諸官司領・幕府直領と入り組んでいた東西九条の田地を毎年把握確認する中から生み出された、田地の散在性ゆえに生まれた算用状の形式といえるだろう。
 また算用状の中にしばしばみえる「庄未進」(料所の未進)と「蔵未進」(代官の管理運営する蔵からの下行滞留)の区別、「過上」(料所からの収入を超えた蔵の支出)などの文言や、庄未進を代官前の未進として扱っているなどのことは、東寺の財政における蔵の独自の活動を窺わせて興味深い。
 「わ函」の造営方以外でまとまったものとしては、摂津垂水荘の康永二年の内検取帳とその時期の預所(給主代官)の申状(三・一三三号)、同荘寛正四年の浜見関係の文書(一五〜一九・一三六号)、大和檜牧荘の文書(二・六・一四・一三七号)、弘法大師長日生身供料関係の申状(一・一三五号)、その他山城久世・播磨矢野・丹波大山各荘の文書等がある。また一三八〜一四〇号は大和河原城荘、一四一号は神泉苑に関する文書の封紙である。
(例言三頁、目次五頁、本文三〇二頁、花押一覧三丁、花押掲載頁一覧表一頁)
担当者 高橋敏子


『東京大学史料編纂所報』第29号p.20