東京大学史料編纂所

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所報―刊行物紹介

大日本古文書 家わけ第十七 大徳寺文書別集 真珠庵文書之一

本冊は、大徳寺文書別集真珠庵文書の第一冊である。同文書は巻軸に装丁されたもの、甲・乙・丙、以・呂・波などの重書箱の文書、およびその他の箱外文書に分けて保存されているが、本冊には甲箱の一部を採録した。編纂の体例は基本的に既刊「大徳寺文書」と同一であるが、本冊において若干改めた部分もあり、その詳細は本冊例言を参照されたい。
内容で特記すべきことは、本冊において一休派の初期の様相を示す基本史料の一定部分が収められたことであろう。一休宗純の十三年忌以下の年忌関係の奉行帳・出銭帳や毎年一休の忌日に行われた酬恩庵慈楊塔における衆評の事書は、一休派の禅僧などの人的構成を詳細に示すものとなっている。またコロタイプとして収めた祖心紹越の筆記になる一休宗純遷化記録は、一休の遷化に関する最も基礎的かつ詳細な記録として価値の高いものである。さらに祖心超越酬恩庵根本次第事書案も、南浦紹明を開祖とする山城国薪の妙勝寺の中興、および酬恩庵・虎丘庵の創建の事情を示す史料として興味深いものである(なお、この文書の正文は現在酬恩庵にあり、その調査にもとづき、両文書の異同を注記した)。
また一休派の末寺である近江国矢島の少林寺や、越前国福松の深岳寺の関係史料も重要であろう。前者の檀越が竜光院花山宗椿、つまり六角高頼であり、後者の檀越が壮嶽禅勇、つまり朝倉経景であることも、各々の史料から知ることができる。彼らが一休に帰依した人物であることは右の年忌関係史料からも明らかであり、これらは比較的知られていなかった一休と後援者の関係の実際を研究する上での便宜を提供するだろう。
いうまでもなく、既刊『大徳寺文書』は、本坊関係史料と、近世以降本坊に入ったと思われる幾つかの塔頭の史料からなっている。本坊の有に帰さず、いま発刊されることとなった真珠庵文書は、大徳寺の塔頭の史料としては量質ともに注目すべきものの一つである。本冊でも、上記のような真珠庵の創立期に属する諸史料や、その他、長文の衆議定書さらに近世における真珠庵庫裏修築の際の大工の支度伺(中井正朝裏判)などは、大徳寺の塔頭史料として特色あるものといってよい。
もとより、本冊にも一部収められた山城国市原野関係史料など、真珠庵文書には、その性格において本坊所蔵文書と類似する点、関連する文書も多く、利用の際には両者が勘案されるべきことはいうまでもない。
(例言四頁、目次一二頁、本文二八五頁、挿入図版一葉、花押一覧五頁)
担当者 保立道久


『東京大学史料編纂所報』第24号p.65