大日本古文書 幕末外国関係文書四十二

本冊には万延元年九月一日より翌十月五日迄の外国関係文書一〇四点、並びに関連文書四十五点を収めた。
 編纂方法に関しては、本冊以降は新方式を採用した。その概略は次の通りである。
(1)収載文書は、本所所蔵外務省引継書類所収文書を主とし、併せて、国内各地文書館・図書館所蔵の神奈川・長崎・箱館各奉行所並びに蝦夷地警衛関係の主要文書を収め、必要に応じて外国公文書館所蔵文書の訳文をも収載する。
(2)国内所在文書の内欧文文書は、同文書の日本語訳文書の校訂に利用し、また対応する日本語訳文書の存在しない場合にのみ、新たに訳文を作成して収載するにとどめ、表題の下に(訳文)と明記する。
(3)外国公文書館所蔵文書に関しては、主として在日外交団の本国宛公文書を選び、その原文を国内所在日本文文書の校訂に利用し、且つ必要なものについては、所蔵者の了解を得て翻訳し、訳文のみを収載し、表題の下に(訳文)と明記する。
(4)本文中に校訂註を施し、年月日等参考註を付すが、人名及び船艦名に関しては巻末索引の中で必要な註記をおこなう。
 尚、本冊において使用した外国公文書館文書は、a.英国官公記録局、b.米国国立文書館、c.仏国外務省文書館、d.蘭国国立中央文書館の所蔵文書であり、プロイセンに関しては故慶応義塾大学教授今宮新氏が戦前に採訪したプロイセン枢密文書館所蔵対日関係文書集に依拠した。
 本冊所収の外国関係文書は多岐にわたるが、九月十七日に発生した仏国公使館旗番ナタールの負傷事件に関する彼我のやりとりは極めて興味深いものがあり、仏国代理公使ド・ベルクールが在日外国代表団中最強硬派であることが判明するとともに、この種の事件に関するオールコックの基本的立場は第五五号文書から明白となる。
 居留地問題は長崎の場合にはほぽ解決するが(第六六号文書参照)、横浜.箱館では未だに一向進展しないことは、第一〇号文書・第八七号文書等から伺うことが出来る。
 日本を取りまく東アジアの政情の急変に関しても、第五六号文書の老中に対する英仏連合軍の北京攻略の報知や、第六九号文書のロシア海軍士官やシーボルトによる英仏両国対馬借受についての長崎奉行への内密申立等から幕閣は十分に知る立場に置かれていたのである。
(目次一八頁、本文三八六頁、索引一一頁、価五、六〇〇円)
担当者 宮地正人・横山伊徳・保谷徹

『東京大学史料編纂所報』第24号 p.66**-67