東京大学史料編纂所

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所報―刊行物紹介

大日本古記録 民経記五

 本冊には、貞永元年二月より同年十月迄の日次記及び紙背文書と貞永改元定記とを収めた。記主藤原経光の二十一歳の時に当る。当時の経光は正五位下、治部権少輔、蔵人であり、十月四日迄は東宮権大進を兼ねていた。経光は五位蔵人として多忙な日々を過し、その活動を日次記に詳細に記している。
 十月四日に後堀河天皇が遜位し、四条天皇が践祚する。経光は新帝の蔵人となり、新院の判官代となる。この譲位は東宮の外祖父前関白九条道家が主導して実現したものである。経光はその経過につき、情報取得の不自由を歎きつつ、閏九月以降の記に載せている。又、譲位の次第を詳しく記している。
 さて、本冊の冒頭に貞永元年二月記裏書(断簡一紙分)を収めた。この断簡は国立歴史民俗博物館所蔵の広橋家旧蔵史料のうちの「室町殿山水地鎮祭申沙汰記外十五通」の表題を付した貼交帖に収められている。これは第四冊所収の二月記に付け加えるべきものであったが、第四冊刊行の後に本来の位置を確かめ得たので、遅ればせながら本冊に収めた。
 この裏書は年月を記していない(明治以後、おそらく大正期の整理時に作られたと思われる付簑に「貞永元(?)経光卿記裏書」とある)が、「京極中納言定家」参仕の記事が存することにより、貞永元年の記であることは確かである。又、筆蹟は紛れもなく経光のものである。これが本来は自筆本二月記第十六紙の紙背に存した(後年表裏が分れた)ことは、裏書及びそれと同じ面にある書状の墨付と第十六紙に残る墨痕との一致により確認できる。又、両者の間に認められる虫損の一致及び不一致により、或時期迄の表裏一体、及びその後の表裏分離という経過を窺うことができるのである。
 なお、本冊以前にも、紙背文書が剥ぎ取られてしまったのではないか、と想像し得る場合があった。その根拠は�紙が特に薄くなっている、�かすかな墨痕が存する、であった。今回は同じ広橋家旧蔵史料のうちに裏面を見出したことにより、紙背剥ぎ取りの事例を確認し得たのである。
(例言二頁、目次一頁、本文二八七頁、挿入図版一頁、岩波書店発行)
担当者 石田祐一


『東京大学史料編纂所報』第24号p.67