東京大学史料編纂所

HOME > 編纂・研究・公開 > 所報 > 『東京大学史料編纂所報』第23号(1988年)

所報―刊行物紹介

大日本近世史料 幕府書物方日記十八

本冊には、内閣文庫所蔵の『御書物方日記』二十六(延享元年正月から六月まで)、同二十七(同年七月から十二月まで)、同二十八(延享二年正月から六月まで)、同二十九(延享二年七月から十二月まで)の四冊、計二ケ年分を収めた。
延享二年九月一日、将軍吉宗は政務を家重に譲り、続いて同二十五日に家重は本丸に移徙、吉宗は西丸に遜退し、十一月二日に家重への将軍宣下之儀が行われた。吉宗の西丸移徙にともない、書物方では西丸御用が増加し、閏十二月一日からは新に西丸への詰番書差出しも行われるようになる。また、代替に関連して老中より享保代替時の誓詞写(十一月六日)・万石以上御朱印長持(十二月六日)・寺社御朱印長持(十二月九日)が、徴されている。
延享元・二年における書物方の業務のうち特記すべきものとしては、�「甘蔗考」及び同増補の編修(延享元年十月、同二年三月)、�「和書記録年月号」の作成(同二年一月から七月)、�「類書小目録」の書替え(同年六月から閏十二月)があげられる。�は、書物奉行深見有隣をして、福建省の府志類等のうちから、庶物類纂未載の甘蔗栽培及び製糖についての記事を蒐集させたものである。有隣は、このほかにも「延享」改元に際しての年号出処の考御用(延享元年三月一日)、吹上における測〓御用(同年四月十八日から五月八日)等を命じられている。�は、「明月記」・「康富記」等の記録類の年数・月数考察を行ったもので、同二年二月十日に「年数考」が提出されたが、四月十六日に月数の書き加えを命じられ、七月十二日に完成した。書物奉行の川口信友が主に作業にあたっている。�は、御蔵御目録のうち類書小目録の書替えが命じられ、「説郛」・「津逮秘書」等の校合が行われている。
この他、延享元年九月には、老中より曹洞宗通幻派本末記二冊が徴され、翌年五月には諸宗末寺牒三十四冊が徴されていることが注目されるが、これは、延享元年九月の曹洞宗総寧寺と東昌寺・龍華院との本末争論と関連するものであろう。なおこれを一つの契機として、幕府は同二年七月十八日に全国に本末調査を命じている。
次に書物方同心の生活に関わる記事として、川出清大夫の揚り屋敷拝領願いが注目される。延享元年五月二十一日、伊賀小普請名村勝之助の牢死に伴い本郷丸山の拝領屋敷が上がり地になる見込みのため、清大夫は事件落着前で「差越」えたることであるのを承知の上で、奉行の川口信友を通じて若年寄板倉勝清宅に願書提出を試みた。このときは受け取りを拒否されるが、結局、九月二十二日には七一坪余の屋敷地拝領が認められたことの顛末が記されている。
この巻をもって御文庫の充実をはかった将軍吉宗の時代は終わり、書物方日記は一つの時代を画することになる。巻末には、人名一覧と書名一覧を付した。
(例言一頁、目次三頁、本文三六四頁、人名一覧三五頁、書名一覧二七頁)
担当者 橋本政宣・梅沢ふみ子・小宮木代良


『東京大学史料編纂所報』第23号p.47