東京大学史料編纂所

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慶光院文書の調査・撮影

 昭和六十二年一月十九日より二十四日までの六日間、伊勢市倉田山に所在する神宮徴古館に出張し、慶光院文書の調査・撮影を行なった。
 慶光院は、伊勢市宇治浦田町にあった尼寺で、明治維新のときに廃寺となったが、その主殿はいま神宮祭主職舎に充てられている。戦国期に諸国に勧進し、神宮の式年造替復興のために尽力した初代院主の守悦及び三代院主の清順の事蹟・由緒により、近世を通し代々上人号・紫衣を勅許され、伊勢上人、遷宮上人とも称され、寺領三百石を有していた。
 慶光院文書は、時代的には室町期より明治期に及び、約千七百点存する。神宮徴古館の有に帰したのは、昭和廿九年三月の由で、同館には罫紙書きの『慶光院文書目録』(その一〜三)三冊があり、このうち主なものは、『神宮徴古館列品総目録』(昭和四十六年刊)に掲載されている。慶光院文書は、多くが未表装のままで伝来していて、古文書の形態の研究上にも貴重なものとなっているといえよう。『慶光院文書目録』三冊のうち、その一には貴重文書が収録されており、全体が四五一七番であり、一より五九二の枝番が付されている。またその二は、全体が四五一八番(青ラベル)、枝番は一〜二〇九、三〇〇〜五三五、その三は、全体が四五一九番(赤ラベル)、枝番は一〜五五〇となっている。今回は、前回の採訪(昭和六十年三月)に引続き、その一の四五一番以下の調査・撮影を行ない、その一はほぼ全部を、その二・三は選択して撮影し、マイクロフイルム十函に収めた。折りしも神宮徴古館では「遷宮上人慶光院展」と題して特別展が開催されていて、該文書の中からも多数出品中であったが、格別の御高配により架番号順の撮影を行なうことができたこと、関連史料の撮影も併せて行なうこともできたことは望外の幸せであった。
 (加藤秀幸・橋本政宣・針生邦男)


『東京大学史料編纂所報』第22号p.105