大日本古文書 家わけ第二十一「蜷川家文書之三」

蜷川家文書は大むね年月日順に編集することに務め、前冊を承けた本冊では大永末年から永禄十二年までを収載した。冒頭四九六号は大永六年の文書であり、前冊に収めるべきものであった。また五〇八・五〇九号及び七〇〇・七〇一号はそれぞれ按文に記したごとく、明瞭に順序を乱している。四九八号の按文は標題と前後しているが、編者の犯した誤りである。
既刊蜷川家文書三冊を通じて、焼損と注した欠損部分は、按ずるに線香様のもので文字を焼却した作為的なものであり、その箇所の多くに主人伊勢氏の名、あるいはその意嚮を示す言葉があることを指摘できる(例、二五六・二五八・二五九号、一七〇・五八八・六〇八号等)。伊勢貞孝の敗死と関係があるのかも知れないが、理由を明かにしない。
料紙の名称について、昭和五十九年田中稔氏が、これまで古文書学上「礼紙」と称していたものは、礼紙と重紙とに別けるべきであることを提唱された(『奈良平安時代史論集下』所収の「礼紙について」)。本冊ではその提言を容れるべく努力をしたのであるが、「重紙」という呼称は「裏紙」の誤りか、或は少くとも平安末期以降「裏紙」の方が一般的名称であると思われるけれども、公表の機会を得ていなかったこと、蜷川家文書の如く、端裏書や本紙以外の料紙の表書その他墨付部分を小片として台紙に貼合わせてある現状では、右の区分が困難であるものが少くないこと等により、従来通りの礼紙という名称のみを使用した。
前冊同様本冊でも、無年号文書の年代推定、断簡文書の接合、欠損部分や難解文字の解読に、佐藤進一・池内義資両氏編『中世法制史料集第二巻室町幕府法』より多大の恩恵を受けた。また公帖符案等禅宗資料で玉村竹二・今枝愛眞両氏、武家人名で設楽薫氏の御教示を得た。伊勢因幡守の諱調査に当っては、山本信吉氏・西本願寺山村宗浩氏に特別の御配慮をたまわった。記して感謝の意を表したい。
(例言四頁、目次二八頁、本文三六三頁、花押一覧八丁、挿入図版二葉)
担当者百瀬今朝雄

『東京大学史料編纂所報』第22号 p.36*