東京大学史料編纂所

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所報―刊行物紹介

大日本古文書 家わけ第十 東寺文書之八

 前冊に引続き、東寺百合文書「わ函」のうち文明十九年より永正十六年までの文書を収載した。本冊の「わ函」は、若干の久世方、廿一口方文書の外は、大部分が東寺造営方関係の文書群であり、その内訳は、造営方算用状と造営料所である女御田・大巷所・八條町澳殿の算用状、女御田内の深草・下鳥羽舟津・谷車塚の内検帳、その他の注文類である。同じ女御田領内でも深草以下三箇所領のみの内検帳が多く残っているのは、たとえば、嘉吉二年東西九條田地等指出注文(『教王護國寺文書』一三五七号)の深草方田地の記載に、「一反別四斗二升充云々、此上ニ毎年内検地云々、前々内検帳在之、」等とあることによるものであろう。
 さて、本冊の多くを占める造営方算用状は、収入支出に関する断片的な項目内容の中に造営方の果していた様々な役割が書き込まれているが、それらについてはひとまず措くとして、ここでは算用状作成の過程にかかわる興味深い点について指摘しておきたい。残されている算用状から推定される算用の手続きは、まず造営方預所が、年度途中に作られる中算用状を総決算する形でその年度の算用状を作成し、供僧が務める造営方の構成員がそれを算用監査する。問題がなければ、算用状の奥に造営方奉行が日付と勘定した旨を記して、以下構成員が連署する。さらに奉行は、継目裏毎に花押を据え、端裏に表題とやはり勘定した旨を書き込むのである。ここで、第五五号の造営方算用状の付箋にある「此内六貫文余、依相論不決之間、算用状之銘無之、」という文言に注目したい。これによれば、算用に故障がある場合は、「算用状の銘」は書かれないことになる。五五号文書には、朱の書き込みはあるが、裏判、連署、端裏書がみえないので、「算用状の銘」とは、おそらく算用状の裏判、奥書と連署および端裏書とを指していると解釈できる。銘を書くことが、その年の算用の完了を意味することになるのである。(造営方算用状とほぼ同様の作成過程をとる、わ函一〇三号大巷所夏冬地子銭納足散用状〔『東寺百合文書目録』による〕の端裏書に、「算用状之趣、就非本式、算用無之、仍名(銘)不書之、裏判計加之、」とあるから、裏判には、また別の機能があるとも考えられる。ただし、この文書には実際には裏判がない。)なお、造営方算用状が以上のような形を整えてくるのは、永享年間以降のことである(第三回東寺百合文書展図録『東寺の造営』〔京都府立総合資料館〕参照)。
(例言三頁、目次六頁、本文三六三頁、花押一覧九丁、花押掲載頁一覧表一頁)
担当者 高橋敏子


『東京大学史料編纂所報』第22号p.37