大日本古文書 家わけ第十九「醍醐寺文書別集 満済准后日記紙背文書之二」

前冊に引きつづき、醍醐寺所蔵満済准后日記正長二年四月より永享四年九月に至る分の紙背文書を復刻刊行した。本冊も、満済自身の書状土代、宝池院義賢書状が大きな部分を占めたほか、実相院増詮・竹内良什・如意寺満意・随心院祐厳らの将軍義教護持僧グループの書状の比重が高いことは前冊と同様であるが、当時の南都の状勢を伝える大乗院経覚の書状が内容的には興味をもたれる。また春林周藤・星岩俊列ら、他には余り見出すことの出来ない禅僧の自筆書状が、その意味では貴重な存在となっている。
本冊のうち、とくに注目されるのは、永享三年三月紙背のうちに挿入されていた応永卅五年二月一日より十日に至る満済自筆の日記一紙(以下これを「日記」とする)で、これをその部分の日記と比較対照してみると、両者重複する部分が多いのは当然であるが、「日記」にあって日記にみえない部分、逆に日記にはあるが「日記」にはない文言がある。つまり「日記」は日記の単純な抄本でもなく、また「日記」のみを素材としては日記を作成することは出来ない関係にあることがわかる。今は、「日記」のような数日分のメモを材料にして、それを取捨し、さらに別種の材料や記憶によって日記が作成されたのではないか、という推測を加えておくほかはない。前冊例言にも記したように、日記とは別に応永卅年正月一日より五月廿一日に至る一巻(本所架蔵)もあり、これもまた「日記」とほぼ同様の性質をもっている。「日記」の発見は、これと併せて日記成立のプロセスを考える上で、一つの素材を提供するものといえよう。
なおこの別集は次回三をもって完結する。
(目次三〇頁、本文三一〇頁)
担当者 笠松宏至・新田英治

『東京大学史料編纂所報』第21号 p.43*