東京大学史料編纂所

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所報―刊行物紹介

大日本古記録 小右記 十一

 この冊は小右記の最終冊である。小右記逸文を収め、更に解題・小右記編年目次・藤原実資年譜・藤原実資略系・索引を附した。
 小右記逸文は編纂終了の時点までに見出された小右記逸文の集成であって、桃裕行氏の調査の成果(「小右記諸本の研究」、本誌五号)を基礎に諸書を渉猟した結果をその後の諸研究によって補足したものである。ただ諸書の渉猟はなお甚だ不十分であるので、今後見出される逸文も少くないであろう。すでに知られている限りでも、例えば次のようなものがある。

  左相國以資平被示云、大宮院御書始、若治天下後歟、御座青宮之間歟、有所記可注送者、彼御書始者寛和二年十二月八日也、是治天下後也、即注奉之、華山院御東宮之間、於閑院有御書始、奉其記、(小右記長和三年十一月十四日条)

ここで実資は、藤原道長の求めに応じて自分の手許の記録の中から二条を書き抜いて提出している。その前者寛和二年十二月八日の記が実資自身の日記であることはこの冊に収めた同日非条文によって明らかであって、後者が同じく小右記であることもほとんど確実であるが、その記は内容によれば貞元三年三月二十八日のものでなければならない。即ちここに小右記同日条の逸文が得られるのである。この逸文の日附はこれまでに知られていた小右記の日附の上限を約八月溯らせるものであるが、同時に、小記目録の日附の上限を更に溯った日附であることによって、小記目録の日附が小右記の起筆時期の考察に及ぼして来た拘束を一挙に解くのであって、この点にこの逸文の大きな価値がある。解題に述べた小右記の起筆時期に関する推定は、これによって一段と確かさを増すとともに、そこで確言を保留した、北山抄によって知られる貞元二年八月一日の記もまた、ほゞ誤りなく小右記であると認められることになる。
 逸文に関連してもう一つふれておきたいのは、西宮記に引く小日記についてである。西宮記二一(前田本、史籍集覧本では二三)の与奪事の項に四箇条の引照または引用があり、それぞれ康保四年五月・長元五年五月二十五日・長暦元年十二月十六日・寛徳元年五月二十五日の日附をもつ。このうち康保四年のものは記載の形式から見て直ちにその日附の条の記載であるとは言えないので除くと、他はすべて小右記のそれぞれの日の条の逸文である可能性を生じ、その場合その最後のものは最下限の日附を四年近く引下げるのである(和田英松「西宮記考」(新訂増補故実叢書「西宮記」附収)では小日記に注して「小野宮実資カ」としている)。しかしこれらは何れも検非違使庁の庁務についての立入った記述を内容としていて、この時期の実資の記述としてはいかにも相応しくない。おそらく検非違使官人による公私いずれかの記録のうちにこの名をもつものがあったのであろう。
 解題は、書中に記した通り主に桃氏の論考(上掲)に依拠して執筆したものであるが、若干新考を加えたところがあり、その結果、題名・起筆擱筆の時期・古写本及び小記目録の成立過程・別記の性格・逸文蒐集の問題点・その他に関して桃氏の説と必ずしも一致しない見解が含まれることになった。但し、このうち古写本及び小記目録の成立過程について述べたことは、小記目録が小右記古写本Aには該当本文だけあって首附を欠く項目を含んでいることによって、撤回しなければならない。
(例言七頁、目次五頁、本文三九三頁、折込系図一葉、岩波書店発行)
担当者 龍福義友


『東京大学史料編纂所報』第21号p.43