大日本古記録「建内記十」

最終冊にあたる本冊には、前冊のあとをうけて、記主万里小路時房五十四歳の文安四年(一四四八)十一月十一日より六十二歳の康正元年(一四五五)八月までと、年月日未詳の記事二条(一条は、宝徳元年十一月十九日〜康正元年六月二十一日の間の記事と推定される)とを収めたが、その大半は、文安四年の記事であり、他は宝徳二年七月(義政公直衣始記)、享徳元年五月〜七月(改元記)と康正元年八月下旬(義政任征夷大将軍記)の三部にすぎない。
さらに各冊刊行後に気づいた逸文を集めて本文補遺とし、京都大学文学部国史研究室所蔵の勧修寺本建内記目録を参考のため収めた。解題でも触れておいたが、建内記は、別記は暫く措くとして、日記本文は、正長元年〜永享三年の四年間、永享十一年〜嘉吉元年の三年間、嘉吉三年〜文安元年の二年間、それに文安四年と、僅か十年間に偏在して遺っている。しかも、時房の曽孫にあたる惟房が抄出した建内御記抜書も、この範囲を出ない抄出であり、また、この建内記目録(室町時代後期の目録を写したもの)も、この範囲を出ていない。そう見てくると、建内記は、早い時期にこれら十年分以外の巻々は散逸してしまっていた、と考えることができるのではなかろうか。しかも、この十年分のなかでも、さらにその後散逸した月々の巻があり、その内容は、この建内記目録の事書によって知ることができる。新写本の目録ながら、貴重な価値を有しているといえよう。(翻字するに際しては、後人が施した朱校は省略した。)建内記年紀一覧として収めた表は、現在知られる建内記本文を各年月ごとに、原本か写本か、日記か別記かを明示し、かつ現存の日付とその所蔵とを示したものに、目録や外題の表記から推測できる巻(月)を参考として補った一覧であり、今後、散逸した巻や逸文を探し出す上に便利であろう。
なお、解題中に引用した浄蓮華院興隆条々は、第五条以下の原文書が現在東洋文庫所蔵の浄蓮華院文書の中に収められていることを付記しよう。
大日本古記録としては、終了した建内記のあとに、鷲尾隆康の二水記(全三冊)を昭和六十二年度から刊行する予定である。
(例言二頁、目次二頁、本文二一二頁、解題その他二四頁、索引一三二頁、挿入図版一葉、岩波書店)
担当者 益田宗

『東京大学史料編纂所報』第21号 p.44*