東京大学史料編纂所

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所報―刊行物紹介

大日本近世史料 幕府書物方日記十七

 本冊には、内閣文庫所蔵の『御書物方日記』二十二(寛保二年正月から六月まで)、同二十三(同年七月から十二月まで)、同二十四(寛保三年正月から六月まで)、同二十五(同年七月から十二月まで)の四冊、計ニヶ年分を収めた。
 まず書物奉行の異動について触れておくと、水原保氏が寛保三年二月十四日病死し、後任として近藤舜政が三月十日、西丸右筆より就任した。これに関する日記の記事から、奉行が在職中に死亡した際に同僚として行うべき諸手続等が具体的に知られる。水原保氏重態の報を受けると直ちに奉行のうち二人が保氏宅へ赴き、同人の養子保明への家督相続を支配筋へ出願するようにと同僚の奉行四人に依頼する趣旨の覚書に、保氏本人の捺印を取り置いた。翌日、保氏死去の報を受けると、奉行衆は四人連名の保明家督相続願書を、前日に調えておいた保氏の覚書とともに、支配筋である若年寄に提出した。同日、奉行衆はまた、同心の切米・扶持請取手形から保氏の裏印を消却し、その事実を勘定奉行等関係筋に通知するよう、若年寄に願い出た。また、城門四カ所に対して、保氏の御門印鑑の消印を、目付を通じて連絡した。さらに三ヶ所の書物蔵の封印も、その日のうちに改めて付け替えた。次に同月二十九日、奉行四人は連名で保氏の跡役補充を若年寄に願い出、その結果三月十日、前述の通り近藤舜政が書物奉行に任ぜられた。なおそれ以外に、二月から三月にかけ、奉行衆は保氏の養子保明の身分等に関する家督方右筆からの問合せに回答したり、さらに、保氏が幕府から拝借金をした際の証文を、遺族に代わって処理していることが、日記にみられる。すなわち、書物方の公務に関する事柄は言うまでもなく、家督相続の出願や拝借金証文の処理など、死亡した同僚の遺族のために、奉行衆は種々の手続きを行なっていたことがうかがわれる。次に同心の異動については、欠員が一名あったところへ、寛保三年九月十二日、大塚弥市が留守居滝川元長の配下より補充された。
 寛保二・三年における書物方の業務として特記すべきは、「大坂陣始末記」の編修である。徳川家創業の事蹟についての官撰の記録としては、貞享三年に林信篤・人見友元・木下順庵の撰により完成した「武徳大成記」があったが、寛保二年七月二十日、吉宗はこの編纂の仕方に不備があるとして、「武徳大成記」を火中に投ずべき旨を命ずるいっぽう、書物奉行桂山義樹に対し、林大学頭信充父子とともに、新たに諸家書付に基き大坂冬夏両陣に関する法令・記録・文書・系譜等を編修するように命じた。桂山義樹はこの事業に専心するため、同月二十五日、記録編修中の詰番を免除され、また書物蔵の書物を自由に借出すことを許された。この編修は翌寛保三年八月二十五日にひととおりの完成をみるに至り、桂山義樹と林父子は「天正十八年御知行割之記」、「冬大阪御陣付御触仰出之記」等七部を撰し、その中書十冊を内覧のため上呈した。なお『御文庫始末記』の同日条に「上意ヨリ、ナヲ校正精覈スヘキヨシナリ、」と記されていることから、この編修事業はその後も継続して行なわれたことがうかがわれる。これに関連して、同年十月十四日条には、桂山義樹に対して、記録編修中は林大学頭邸内に住居し往来の労を省くべき旨の命が下り、転居費用として金二十両が与えられたこと、また同月十九日条には、桂山義樹が麻布の自宅より八重洲河岸の私邸に移住したことが記されている。なお、桂山義樹・林信充父子等の撰によるこの記録は、現在『御撰大坂記』十九巻十九冊として内閣文庫に所蔵されている。
 最後に社会史的事象に言及すると、寛保二年八月一日の豪雨と同月八日の暴風雨により、二度にわたって引起された水害に関する記事が注目される。一日の豪雨で浅草川が氾濫し、本所・深川が水害を蒙り、新大橋は壊れ永代橋も不通となった。つづいて八日の暴風雨により再び洪水が起り、浅草・下谷一帯が冠水した。このときは江戸ばかりでなく、関東諸国や信濃でも大規模な被害があった。書物奉行・同心の被災に関する記事をみると、一度目の洪水で奉行水原保氏の本所の自宅が床上浸水を蒙り、また同心浜野藤蔵は、二日から五日まで浅草川にかかる橋が不通だったため、欠勤した。二度目の洪水では、根津周辺の同心四名の自宅が床上浸水にみまわれた。これに対し、八月十日と十二日に、床上浸水以上の被害を受けた者の長期休暇が許された。また十三日、幕府は本所筋に居住し床上浸水以上の被害を受けた切米取りの幕臣に対し、年末の切米で返済するという条件で金を貸与する旨を通達した。これに該当する水原保氏は災後の休暇で欠勤中だったため、他の奉行四人が連名で水原への拝借金貸与を願い出、十九日に二十両を受領した。この他にも日記の中には、知行取りの幕臣にも拝借金が貸与されることになったこと(八月十九日条)、水害によって関東諸国で米が払底したため他の諸国からの廻米を命ずる触が出たこと(九月十七日条)、水害で破損した関東の河堤はすべて幕府が修築する旨触れられたこと(十月七日条)など、災後救済に関する記事が見られる。
 巻末には、人名一覧と書名一覧を付した。人名一覧は前冊に続き、検索の便宜のため五十音順とし、初出の年月日を氏名の下に記した。
(例言一頁、目次三頁、本文三三三頁、人名一覧三一頁、書名一覧二八頁)
担当者 橋本政宣・梅沢ふみ子・山本博文


『東京大学史料編纂所報』第21号p.41