日本関係海外史料「オランダ商館長日記」訳文編之五

本冊は、オランダ商館長日記譯文編の第九回配本に当り、さきに『日本関係海外史料』オランダ商館長日記原文編之五として刊行したオランダ商館長マクシミリアーン・ル・メール在職期間中の公務日記(一六四一年二月十四日−同年十月三十一日、すなわち寛永十八年正月五日−同年九月二十七日)の邦訳であり、本文中にはル・メールの江戸参府中に上級商務員ヤン・ファン・エルセラックの記した留守日記が含まれており、巻末にはル・メールに与えた前任者フランソワ・カロンの訓令(一六四一年二月〔十〕日附)及び総督アントニオ・ファン・ディーメンがル・メールに与えた書翰二通(一六四一年五月十六日及び六月二十六日附)を収め、総じて、一六四一年六月二十五日(寛永十八年五月十七日)のオランダ商館の平戸から長崎への移転とその前後の史実を知る重要な外国文史料を学界に提供したこととなる。すなわち、長崎移転前の一一四頁については永積洋子訳『平戸オランダ商館の日記』第四輯(岩波書店、一九七〇年刊)四六一〜五二四頁、カロンの訓令については同書五三五〜五四二頁の邦訳があり、これを参考として訳述したが、移転後の四か月余の訳文一八八頁と総督書翰二通三六頁の訳文は、このたび初めて完訳を公にしたのである。この四か月余の日記(本訳書では約一二万字)は、村上直次郎の二度の抄訳、すなわち『出島蘭館日誌』(文明協会、一九三八年刊)一〜一五八頁(約六万八千字)及び『長崎オランダ商館の日記』第一輯(岩波書店、一九六六年刊)四九〜一二一頁(約五万三千字)があって、もちろん訳述の参考にしたが、同じ原文による逐語訳としてはまったく新しい訳文であり、このことは、今後刊行される訳文編之六についても言える。
 本冊に描かれる鎖国完成期の日蘭関係の矢つぎ早の経過や、家光治世の政情・世相の一端、ならびに本冊の底本としたオランダ語原本についての書誌的事項については、本誌前号(第十九号)五七〜五八頁の「原文編之五」の紹介文に讓る。口絵の趣旨、出典についても同様である。索引は原文編のそれとは別個に、人名索引、地名索引、事項索引、船名索引に分けてそれぞれの間の交互参照をも含めて新たに編成し、前例にならって日記所引及附録文書索引及び平戸長崎商館決議記事索引を添えた。
 扉の裏面には、前例に従って原文編との併行刊行の旨と原本所蔵者たるオランダ国立中央文書館 Het Algemeen Rijksarchief との協定により刊行された原文編の訳文であることを英文で明記してある。
 本冊の翻訳は金井が行い、原稿浄書には非常勤職員大橋(旧姓武中)明子が当り、校正にさいして加藤が訳文を校閲した。編集・索引作成には金井が当り、校正には上記三名のほか、非常勤職員岡奈津子が分担して当った。
(口絵二頁、例言四頁、目次三頁、本文三五三頁、索引三六頁)
担当者 金井圓・加藤榮一

『東京大学史料編纂所報』第20号 p.63**-64