大日本古記録「小右記」十

この冊には、前冊を承けて小記目録の後半を収めるとともに、小記目録の現存する全頃目を年月日順に配列し直したものを編年小記目録と題して附載した。小記目録は第十一から第二十にいたる十篇であるが、第十一・第十三の全部と第十二の大半とを闕く。このうち第二十だけは先行の刊本に収められているが、他はここにはじめて刊行されるものである。すでに桃裕行氏によって論じられ(本誌五号)、前冊の紹介(同十四号)でもふれたように、小記目録には多様な史料価値が潜んでいるが、そのかなり多くが、その面に即して−たとえば、小右記本記あるいはその断簡・逸文の本文批判と解釈との参考資料として−これを用いようとすると、係けられた年時によって項目を検出する作業を必要とし、そのためには、これが分類目録であるという、他面では大きな意味を荷うその配列の形式がかえって著しい障碍となる。附載した編年小記目録は、この障碍を除くために、本所が編んだものである。その原形は、本所での小右記の校訂刊行の準備作業の一つとして、昭和二十五年頃、当時の所員桃裕行・山中裕両氏を主な担当者として作成され、爾来本書及び大日本史料第一編・第二編などの編纂校訂に用いられて来たものであるが、今あらたに、各項目に小記目録での項目番号を附してそれへの照合を容易にすると共に、小右記本記における該当する記述の有無及びその詳略の別を符号によって示し、更に全体に亙って小右記本記及び小記目録校訂の今日までの成果に基く補訂を加えた。その主な価値が小右記本記と小記目録とを使用するための工具となるところにあるのは勿論であるが、同時に、このあらたな配列自身が語るものにも注目する必要がある。いまその一つだけを挙げれば、その項目の属する年時が天元元年に始り長元五年に終る五十五箇年のすべての年に亙っており、その間属する項目の見られない月は、天元元年六月・長和五年七月−寛仁元年六月・長元元年一月−同三月・同十月−同十二月・長元三年十月−同十二月のあわせて二十二箇月に過ぎないという直ちに読みとられる事実があるが、これは小記目録自身の包含年時を示すとともに、依拠した小右記本記が具えていた年時がこれ以下ではなかったことを示すものと考えてよい。小記目録の依拠本がすくなくとも量的な面では完全に近いものであったことの証明が、おのずから得られること仁なるのである。
(例言三頁、目次七頁、本文四五〇頁、岩波書店発行)
担当者 龍福義友

『東京大学史料編纂所報』第17号 p.45*-46