正倉院文書調査

継続事業の昭和五十四年度の正倉院文書調査は、十一月五日より十日まで六日間、例年の如く奈良市正倉院事務所に出張し、その修理室に於て原本調査を行なった。以下、調査の一端を報告する。
○写一切経所宝亀三年食口案帳の接続と月の大小
 正倉院文書を扱う場合に、その基本が断簡相互の接続関係の検討に在ることは、いうまでもない。今回は宝亀年間の写一切経所食口帳の一つについて、現在までに知り得た接続の状況を報告する。
 写一切経所食口帳は、当時行われた一切経書写の事業に従事した経師・校生以下、仕丁に至る数十人に対する支給米(時により異るが、経師・装〓・校生は一升二合〜一升六合〜二升、仕丁等は一升二合)の毎日の総量と内別けを記した長大な帳簿で、記帳者は一貫して案主上馬養であったと見られる。この食口帳は宝亀年間のもの五グループが現存するが、その中の一つ、宝亀三年二月〜十二月の食口帳を採り上げてみる。
 この食口帳は宝亀三年二月一日に始まり、同年十二月三十日に至るもので、その首部は続々修三十九ノ四に存し(巻首往来軸に「宝亀三年二月」「食口案」とある)、以下、正集・続修・続修別集・続修後集・続々修・東南院文書などの十六巻の中に、大小三十九箇の断簡に分れて散在し、そのほか佐佐木信綱旧藏の四箇の小断簡(「天平餘光」所収)が天理図書館に収藏されている。
 この食口帳は、日付が連続していること、一日の記事が途中で切れていても、記載された人員や米の数量を計算して接続を推定し得ること、などの利点があって、その接続関係の整理は比較的容易であり、現在、四箇所、合計九日分の空白を除いては、二月から十二月末までを並べることが可能と思われる。但し、常に起る問題であるが、断簡の中には、接続を確認する上で最も重要な両端の部分が断簡相互をつないである白紙の下に隠れているものが多い。その部分は写真には現れないから、接続を確認するには各断簡の両端部をすかして、その状態を観察することが必要である。
 次に各断簡の配列順序を掲げる。
  写一切経所宝亀三年食口案帳

『東京大学史料編纂所報』第15号