東京大学史料編纂所

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所報―刊行物紹介

日本関係海外史料 イギリス商館長日記 原文編之下

 本冊は『日本関係海外史料』第二の収載史料であるイギリス商館長日記原文編三分冊中の第三冊で、原文編之下(自元和六年十一月、至元和八年二月)Original Texts, Selection II, VolumeIII (December 5, 1620-March 24, 1622) として、大英図書館所蔵の商館長リチャード・コックス在職期間中の公務日記 Diary of Richard Cocks, 1615-1622 原本AM第三一三〇一号の後半、一六二〇年十二月五日(新暦十二月十五日)より一六二二年三月二十四日(新暦四月三日)に及ぶ一年半の記事(一−二五八頁)を収め、これに、第二冊と第三冊の間の日記闕損期間の史実を伝えるコックス発信書翰一三通(大英図書館所蔵六通、旧インド省図書館所蔵七通、一六一九年二月二十一日=新暦三月三日より一六二〇年十二月十六日=新暦十二月二十六日まで)及びその他二点(後述)を附録(二五九〜三二七頁)として加えている。
 順序として、附録二のコックスの書翰(ロンドンの東インド会社宛公式報告三通、ロンドン向け私信二通、平戸商館員宛業務連絡文八通)によって日記闕損部分を見よう。中巻末尾で、朱印状下付を待たずに江戸を去ったコックスは、やがて逓送されてきた東京行きの朱印状をエドモンド・セイヤーに与え、長崎の日本人バルナルドの船で三浦按針をつけて長崎から出帆させ、同船は目的を達して八月ごろ長崎に戻る。一六一九年八月ごろ、エンゲル号以下蘭船四隻、一〇月にはバンタム号以下蘭船三隻がそれぞれ平戸に入港するが、イギリス本国からの船はまったく来著せず、しかもオランダ船隊は海上でイギリス船を攻略又は捕獲して来著したから、平戸における英蘭両国民の確執は極度に達する。蘭船逃亡英人水夫の奪還を求めるイギリス商館攻撃、バルナルド船との連絡に当ったイギリス人の囚禁、第四回航海に出たスィー・アドヴェンチュア号の代替船でシャムから戻ったイートン一行の曳舟の銃撃など、オランダ人の非法を訴えるため、コックスは九月ごろ伏見滞在中の将軍秀忠を訪問したが、幕閣は事の解決を松浦氏に委ねるだけであった。十月渡来の蘭司令官ウェスターウッド(アダム・ウェステルウォルト)はコックス以下英商館員の生命に賞を懸けさえしたが、さらに佐川氏家来との口論によってセイヤーは長崎へ所払いとなり、中国貿易開拓のため頼りにしてきた甲必丹華宇が年末もしくは新年のころ死去し、二〇年三月には商館設置以来の商務員ニールソンが結核で斃れ、五月十六日(元和六年四月二十四日)には三浦按針が平戸で死去し、加えてこの年二月艤装されたジャンク船ゴッドスピード号(セイヤー等乗組)は三月中旬長崎を出帆したが、南海への旅に失敗して六・七月のころ平戸に戻る、という不幸が続いた。この「屈辱」を救ったのは、七月二十三日英船ロイヤル・ジェイムズ号が平戸に齎した英蘭両会杜の防衛同盟の成立の報で、英船五隻、蘭船七隻から成る防衛船隊の来着は、御用鉛の調達ひとつをめぐっても、両商館の協調を回復させた。セイヤーの所払いも解除された。英船エリザベス号の捕獲した平山常陳船の貨物の帰属と密航宣教師スー二ガ及びフローレスの身分をめぐる国法上の問題では、コックスの威信が回復されてゆく。
 その防衛船隊が、平戸で第一回マニラ遠征のための準備に忙しい一六二〇年十二月に、本冊の本文は始まるのである。一六二一年一月三日(元和六年師走二十一日)船隊出帆後は御用鉛の調達と平山船の処遇をめぐる幕府との折衝、コックス自身の東京向け朱印状による伊丹屋ミゲル治右衛門のジャンク船派遣の仕事、そして、四か月にわたる商館施設の増築工事がコックスの身辺を活溌にした。新婚の松浦隆信は八月二十八日下国して同じ問題の処理に当る。一六二一年六月末から七月にかけて帰航した防衛船隊が、前オランダ商館長スペックスを伴なって十一月二十二日第二回マニラ遠征のため出帆すると、コックスとオランダの新商館長カムプスとはそれぞれ十一月三十日に、江戸参府に向かう。平山船一件の処理、朱印状の更新、日本人による虐待の解消などがその目的であった。日記はしかし、その帰途吉田までの記事で後を絶つ。
 附録の一は、近年英国官公記録局の遺言検認登録簿中で発見された旧暦一六一一年四月十一日(慶長十六年三月九日)コックスが東洋への旅に出る以前に作成し、その死後旧暦一六二七年五月二十九日(寛永四年五月二十五日)に執行されたリチャード・コックスの遺言状(Prob. 11-151, 1626-29, ff. 458v.-459r.)でその伝記史料として重要である。また、附録の三は、旧インド省図書館所蔵東インド会社商館記録中の、原本はすでに散佚した平戸商館終末期のコックスの日記一六二三年十二月十九日(元和九年十一月八日)から、六日間の記事の要約(Supplement to China Materials. Book I, pp. 428-429)で、本冊本文で二一年末に南下した第二回防衛船隊が、二二年夏平戸に帰航して、前年八月の防衛同盟解消と商館縮少の決定を伝えて以来、急速に進んだ商館閉鎖への動きのしめくくりとして、平戸を去るイギリス人一行の動静を伝える逸文である。
 これらの附録収載史料の翻字及び翻訳に当っては、それぞれ一九七九年六月四日付の照会に対して、附録の一については、官公記録局の図版とも使用異存なき旨の六月八日付返答(Ms. Ann Mentar, Search Department, Public Record Office. Chancery Lane, London, WC2A 1LR, England, Ref. SL 9/5, dated 8.6.79)を、附録の二の内七通と三については旧インド省図書館の七月十三日付の許可状(Dr. A. J. Farrington,Assistant Keeper, India Office Records, India Office Library and Records, Foreign and Commonwealth Office, 197 Blackfairs Road, London, SE 1, 8NG. Ref. FL3/I/809, dated 13, July 1979)を、また附録の二の内六通については使用異存なき旨の大英図書館の六月八日付の返答(Dr. M. A. E. Nickson, Assistant Keeper, Department of Manuscript, The British Library, Great Russell Street, London, WC1B 3DG, England. Ref. MAEN/LAE, dated 8, June 1979)を得た。
 本冊の末尾に、上・下両巻の本文及び附録についての索引を附した。人名索引を主とし、船の発着と度量衡についての索引を添えるにとどめたが、人名索引には名の記載を闕き、地名を冠した人物(王、ボンギュー、フランス人など)や職業で呼ばれる個人や集団(大工、火薬商人、カブキなど)も広く収載している。
 本冊の翻字は、本文の三〜一三五、二二三〜二五八頁、附録一、二の一・二・六・九・一一〜一三、及び三を金井が、本文の一三五〜二二二頁、附録二の三・四・五・七・八・一〇を非常勤職員吉川裕子が担当し、索引は金井が作成した。校正は、右のほか非常勤職員高木尚子・武中明子も分担した。
(目次一頁、例言二頁、本文三二七頁、索引四八頁、第二・三冊の正誤表四頁、図版一葉、他に第三冊の追加正誤表投込一頁)
担当者 金井圓


『東京大学史料編纂所報』第15号p.61