東京大学史料編纂所

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佐賀県下幕末維新期史料調査

 維新史料部は、一九七八年十月二十三日から三十日まで、佐賀県立図書館、佐賀大学附属図書館、武雄市文化会館において、幕末維新期史料の調査をおこなった。以下、その概要を報告する。
 一、佐賀県立図書館
 佐賀県立図書館では、佐賀本藩の鍋島家史料、支藩の一つである蓮池鍋島家史料、明治行政資料、江藤新平資料について、それぞれ幕末維新期に時期を限って閲覧した。
 〈A 鍋島家史料〉
 佐賀本藩の鍋島家史料については、佐賀県立図書館の発行した「鍋島家蔵書目録」(其の一は一九六四年三月、其の二は一九六六年三月)がある。調査は、この「目録」を手がかりにして、おこなった。以下、同館の分類にしたがって、調査結果を記す。数字は、すべて分類番号である。
 第一号の六 日記  

6/20 敬哉公日記 天保二年〜十二年                          一一冊
  佐賀鍋島藩家老鍋島敬哉(通称志摩)のお側日記。
  記載例を示す。
  「(九月)十五日
  一今日〓
   少将様長崎被遊御越上御家老御供但馬様被成御勤候事                 」
6/21 御蔵方日記 嘉永二〜六年                             四冊
  鍋島敬哉家の御蔵方の日記。目安方、目付方、知行地の庄屋などから、元〆役へ宛てた上申書を多く含む。6/22も同じ。
6/24 敬哉公御代日記 弘化二年〜四年                          三冊
  御側日記である。
  記載例を示す。
  「(弘化三年六月)十一日
  一自然長崎表異変之節、諸出勢用出夫千布村江□(ママ)人代官〓所割付相成候段、庄屋〓申達候、
(後略)                                           」
6/25 弘道館御頭人日記 嘉永六年                            一冊
  弘道館頭人である敬哉が、弘道館に出席した時の記事を記す。
6/25 御滞府日記 嘉永七年                               一冊
  敬哉の滞府中の公用日記。日記を記したのは御部屋御記録方。
6/25 敬哉公御代日記 嘉永六年                             一冊
6/25 御代日記    嘉永七年                             一冊
  共に敬哉の御側日記。
6/26 敬哉公御代日記 安政二〜三年                           一冊
  敬哉が御火術方を勤めていた時の日記。6/27〜6/29も同種の史料。6/29の中に、慶応四年
五月に野総御鎮撫御出陣方が記した成辰戦争時の日記がある。                  一冊
6/117 東京御上京日記 慶応四年辰八月ヨリ 張玄一 浜野源六              一冊
  道中日記。八月朔日江戸発駕以降、毎日の日記。
6/122 手控 万延元庚申九月ヨリ 保脩                         一冊

  これのみ横半帳。佐賀藩主の側にあった保脩なる人物の手控えで、万延元年九月より文久二年五月までの江戸・京都などの中央政局の動きがメモされている。
  (記載例)
  「(文久二年正月)
  同十五日御登城○御詰間より歩行目付参今朝閣老安藤対馬守殿出仕之途中浪人躰之者五六人程ニ而筒打懸候末、直ニ切懸供方よりも援合セ終ニ右五六人之者悉切伏候由、尤供方にも重手被負候者有之、足軽躰之者老人即死いたし、安藤侯ハ歩行ニ而登城為有候哉之由申達候。右は不容易次第……(後略)     」
6/124〜6/226 日記
  佐賀藩着座鍋島市佑家の御側日記で、享保年間から慶応三年まで、ほぼ全年代のものがあるが、政治上の記事はとぼしい。
6/227 仮日記 明治二年四月 司礼所                          一冊
  四月朔日〜二十九日の記録。諸藩・東京などからの書翰到来を知らせ、内容を留めている。
  (記載例)
  「弐品之内 口達
  石炭坑其外見調子之上堀方被相始候付而、長崎居留英モリス・リイツ両人於長崎県ニ六ヶ月雇人願済、伊万里連越居候得共条約五ヶ年限ニ候得者、迚も長崎ニ而は六ヶ月〓上聞済出来兼、曽々相願候内他藩〓高給金差出雇入之談判等取掛り申通ニ而者、御国益之道不相済ニ付於東京五ヶ年之處御雇切御願被差出申通有御座度、先達而於長崎山口判蔵江面会右之振合折合候處モリスニは諸藩〓懇望之向不少ニ付於東京御願立相成方可然被申聞置候振合も有之候付御願立之儀延々相成候而は何分可有御座哉相考、尤モリスニは諸藩〓相談有之候とも一往条約取替シ申上者、脇方〓相談有之申とも重銀銅鉄之類伊万里津取寄所々賑相生シ候杯与咄とも以序居候段ニ付御安心之儀とは奉存候得共、御願立之儀は一刻も東京被御申越置候様有御座度、此段致御達候条、尚宜被遂御吟味候以上、
   午四月    百武作右衛門                               」
  (記載例)
  「条約写
  支配所松浦郡伊万里郷ニおいて石炭堀働之為同所郡令百武作右衛門藩知事之命を受、英人モリスト盟約を取結事如左
   第一ヶ条
  坑山必用之諸器械職人等まて一切何品ニよらす郡令より相弁候事
   第二ヶ条
  モリス義右坑山堀働方之惣支配となし或は相当之代人を相用可申、自然右代人江郡令何哉故障之筋等有之節は何時モ取除別人相用可申事
   第三ヶ条
  右ニ付而は坑山出炭之十分一はモリス江相渡シ月末毎ニ勘定相整候事
   但十トン之石炭〓一トンにはモリス支配たるへし
   第四ヶ条
  右同郡令掛り所ニおいて何品ニよらすモリス見出候場所又は是迄堀来らさる砿物類は示来右之約定ニ而堀働可申事
   第五ヶ条
  此条約出炭之当日より五ケ年目ニ取止其間モリス并代人共坑山近所へ住居可致候事右之盟約を證する為皇暦明治三庚午三月廿五日洋暦千八百七十年第四月廿五日双方自筆自印を相据置候者也   

   明治三年    佐嘉藩有田郡令
    庚午三月廿五日    百武作右衛門
     エスヂモリス君    佐嘉藩石丸信五郎證之                     」
6/228 仮日記 明治二年巳四月 司礼局 御在国御留守                  一冊
  四月一日〜廿九日の記録で、内容は東京・神戸・他領などよりの書翰写しが中心である。
6/229 東京〓御下国御道中日記 明治二年七月十八日〓 司礼局              一冊
  東京→横浜蒸気船乗船→伊万里→佐賀間の旅程・費用等を記す。司礼局は、貢献・客使等、諸々の礼式を掌る。
6/230 日記 家事職 明治三年正月より                         一冊
6/231 日記 家事職 明治三年七月より                         一冊
6/232 御上京日記 家事職 明治三年七月〜九月                     一冊
  右の三冊は、いずれも本藩鍋島家の家政日記である。
 第一号の七 法制・政治・財政
1−7/46 京摂其外聞合偖又来状等 慶応四年                       一冊
  1−8にまとまっている「内密書付并聞合書」と同じもので、京都からの書状を多く収録している。
 第一号の八 法令
1−8/238 内密書                                   一冊
  佐賀の乱の時のものである。
1−8/324〜1−8/330 内密書附並聞合書                     一三冊

  京都、江戸、長崎などへ派遣されている佐賀藩士が、その地で得た情報を本藩へ伝えた書状を、御仕組所で留めたもの。文久二年、三年、慶応元〜三年のものがある。幕末期の佐賀藩が、どこから、どのような形で、どのような情報を入手し得たかがわかる好史料である。
1−8/333 請御意下 文久二年戌正月より同年十二月迄 御備立方 三拾八番
  次の如き様式で案件を藩主の上聞に達し、許可を得て年寄から下達される。
  「達
  上聞候
  今般飛雲丸運用ニ付而医師人柄無御座候付左之者儀当一順御雇にして乗組被仰付方ニ可有御座と吟味仕共取計仕儀ニ御座候
   手明鑓中山次郎作弟    中山雲仙
  右は可奉伺趣之処差遣候儀ニ付此段達
  上聞候
   被遊御下候由ニ而文久二年戌二月廿五日御年寄鍋嶋隼人殿〓石井小介江被相渡候」
  上聞に達し、下達する内容は軍備役職配置に関するものが多い。   

1−8/334 請御意下 万延二年酉正月〓文久元年酉十二月迄 御備立方 三拾七番      一冊
1−8/337 請御意下 慶応元年丑正月より同年十二月迄 御備立方 四拾壱番        一冊
1−8/339 請御意下貫之 慶応四年辰正月より 御備立方                 一冊
  右三冊は、1−8/333と同種史料。
1−8/335 仰出請御意附御聞届 文久三年亥正月 御仕組所                一冊
1−8/336 請御意御聞届等 元治元年子正月〓 御仕組所                 一冊
1−8/338 請御意 慶応三丁卯年 御仕組所                       一冊

  右三冊は他藩の御用部屋に相当する行政府の中心である御仕組所の記録。従って内容は藩政の動向を追える重要な記載が多い。
  1−8/335 の記載例を左に示す。
  (文久三年)
  「亥四月廿三日、河内殿上総殿被御聞置旨列席御年寄鍋嶋市佑殿・鍋嶋隼人殿・大御目附石井勘ヶ由殿・納富右膳殿・相談人原田丈右衛門殿・中野数馬殿・伊東外記殿・相談人格深江助右衛門
  今度大坂銀主共江大金調達御申渡相成候付早速役々被差出取組相整義候處御返済之目計相居候半而迚も御請仕問敷ニ付、弘化四未年以来御側御取納相成居候丑年以来揚り地新御小物成品其外当秋〓外向被差出度……證文差入相成〓外有之間敷哉、
  右之振合今一往被遂御急評候様有之度此段致御達候已上、
    亥正月          御蔵方
  亥正月廿九日上総殿御聞届下付紙之分当六月迄一順相増候様                  」
1−8/362 明治二年朝廷より御渡之御書付貫之 司礼局                  一冊
  明治元年十二月より同二年三月に至る、主として行政官から佐賀藩に充てた廻達を控えたもの。刑法官・軍務官・東京駅逓司・議員幹事・議長・会計官からの廻達も若干ある。
 第一号の十 交通・軍事・外交    

1−10/74 長崎御備一件                                一冊
  前半は「文化六年御書取写」、後半は「長崎往来 安政丙辰年」で、本書の冒頭には高木氏蔵本と記してある。
1−10/77 水府老公御密書                               一冊
  「海防愚存十ヶ条」と「浦賀表上書」との合綴本。
1−10/78 献策                                    一冊
  嘉永六年、ペリー来航に際し、大名や旗本が幕府に差出した建白書の写。
1−10/80 下田応接問答                                一冊
  安政四年、下田奉行井上清直・中村時万両人のハリスとの応接書。
1−10/83 嘉永七年 島々固写                             一冊
  同年、イギリス船が長崎に渡来した際の防備関係の記録。
1−10/93 不可読録                                  一冊
  徳川斉昭腹心の家来が、返忠をして、加賀藩に斉昭の悪事を訴えた文書。
1−10/97 嘉永六年 廻達写                              一冊
  同年のロシア船の長崎入港に際して、在長崎の鍋嶋新左衛門などから、藩士に宛てた示達の写。
1−10/105 英吉利船渡来録                              五冊
  弘化二年、イギリス船の長崎渡来に際し、佐賀藩がいかに対処したかを記す。
1−10/107 (安政二年 留書)                            一冊

  井伊直弼以下への禁裏御普請御用の命令、禁裏造営につき老中より京都所司代脇坂安宅宛の示達、古賀謹一郎への洋学所御用向諸事引請の仰付、などを記す。   

1−10/108 安政二年卯三月十八日より同四月廿七日迄 長崎表イキリスフランス船渡来之始末廻達
写                                             一冊
  在長崎の鍋嶋新左衛門が伝えた異船防備の処置などを記す。
  一部を左に例示する。
  「当節仏朗西船英吉利船渡来ニ付、非番持四ケ所御台場并伊王嶋神嶋其外ヶ所々々差出候人数船、
  一親族家老  壱人
  一家老    壱人
  一番頭    三人
  一番頭並   三人
  一物頭    拾三人
  一侍     百三拾七人
  一足軽    百三拾人
  一鍋嶋加賀守鍋嶋甲斐守鍋嶋熊次郎家来上下六百人
  一鍋嶋山城鍋嶋□□村田若狭鍋嶋上総多久長門家来上下百八拾人
  一諫早益千代家来千人并百挺鉄砲一手百四拾七人
  一鍋嶋左馬助家来上下三百人
  〆上下人数四千五百七拾人
  一船大小弐百八拾艘
  一船手人数弐千三百六拾人
  合人数六千九百三拾人
   伊王嶋神嶋其外ヶ所々々平日詰人数船人
  一人数弐千九拾六人
  一船大小拾三艘
     以上
   卯四月 御名代鍋嶋新左衛門                               」
 第十二号 記録類之部
12/120・12/121・12/122・12/125・12/127・12/128・12/130
  右は、いずれも側年寄坂部又右衛門自筆日記である。
12/124 安政五年日記                                 一冊
  オランダ人に注文した蒸気船の請取日記。
12/126 安政五年午八月 日記                             一冊
  同年から明治初年までの、政治上の諸事件についての聞書を記す。
12/136 日記 壱                                   一冊

  長崎へ出向いていた佐賀藩の役人の、慶応四年正月、二月の日記の写。ペン書き。戊辰戦争期の長崎の様子を伝えている。   

12/175 嘉永二年酉十月〓同三年戌三月迄 案文 御側頭                 一冊
  殿様、貢姫、筆姫の動静を伝えている。
12/182 案文ホ貫 小倉出張御追討方                          一冊

  元治元年十一月から翌二年正月にかけての時期に、征長のため小倉へ出張した御追討方から本藩へ出した書状の案文。伊東外記、愛野忠四郎の発信したものが多く、小倉で知り得た具体的な情報などを記している。   

12/183 御案文 御右筆所                               一冊
  藩主が幕府へ差出した届書、書状の案文。儀礼上のものが主である。
12/187 安政三年辰年 内々之筋〓到来之書                       一冊
  佐賀藩江戸留守居田中善右衛門が、幕府の達を、鍋嶋市佑に送付したものの留。
12/190 御存寄書写                                  一冊
  嘉永六年に藩主が幕府へ出した意見書、オランダ風説書などが留めてある。
12/191 安政三年辰七月十三日仕出八月二日到着 御内密筋書付              一冊
  在江戸の田中善右衛門が国許へ宛てた書状の留で、書状内容は幕府の他藩への達である。
12/195 書上 文久二年九月ヨリ                            一冊
12/196 書上 文久三年九月ヨリ                            一冊
12/197 書上 慶応元年九月ヨリ                            一冊
12/198 書上 慶応二年九月ヨリ                            一冊
12/199 書上 慶応四年九月ヨリ                            一冊

  鍋島志摩家の江村岡之允・吉武来助・山崎内蔵進の三名が、一門の家老中との日常的関係や私領関係の記事を記載した日誌。本藩の政治動向や中央政局のことは書かれていない。なお、慶応四年の分は三名の記載ではなく、「御政権方」が記している。   

12/580 琉球人来朝ニ付而之一通 天保三年〜嘉永三年                  一冊
12/581 香焼詰心得之大意 天保十二年 御番方                     一冊
  収載史料の題目左の通り。
  「今度香焼詰被差越候面々自然之節扠又平日心得方左之通被相達候」
  「自然之節心得方」
  「船乗組定」
  「船中乗与道具」
  「船軍調練定」
  「合図之定」
  「船備之次第」
  「備押并掛口」
  「転廻船打之定」
  「定」
12/582 公儀廻浦御役人御入込ニ付御仕与帳 天保十二年九月               一冊
  「近々高橋平作様竹内清太郎様桑田歳兵衛殿石川周蔵殿御廻浦於深堀浦々御糺方ニ付仕組左之通」
12/583 阿蘭陀船渡来                                 一冊
  「天保十五年辰七月二日阿蘭陀国王より之使節船長崎渡来ニ付而之手続左之通」
12/584 白帆注進外国船出入注進                            三冊

  長崎入港の洋船(外国船のほか幕府・諸藩の持船も含む)についての注進を留めたもの。船の絵図、船懸り場所絵図を付す。  1乾 天保十五年〜元治元年  

 2坤 万延元年、文久二年
 3表題なし 戊辰戦争の記事を含む。
12/585 長崎御仕組帳地取 弘化二年 御非番                      一冊
  「自然長崎表江黒船并相替候船来着之節仕組」
12/586 長崎表御備向に付而御老中へ御進達之御書付其外御案               一冊
  収載史料の題目左の通り。
  「弘化二年歟松平美濃守殿へ被進候御書案」
  「弘化三丙午年羽室平之允江戸罷越候節御進達之御願書案」
  「弘化四年未九月阿部閣老へ御持参被差出候御演舌御案」
  「弘化四年未十月十一日阿部殿へ御持参被差出候御演舌書案」
  「嘉永之年中三月江府御発駕前福山閣老へ御持参被差出候御演舌書案」
  「同申七月御進達御案」
  「嘉永元年申十二月」
  「嘉永二年酉正月」 三点
  「嘉永五年二月五日阿部伊勢守殿へ御持参之御書付御案」
  「嘉永六丑年七月公儀より御達之末御直筆ニ而御老中へ御進達相成候御書付案」
  「安政五午年六月御直筆ニ而公儀へ御進達之御書付案」
  「嘉永六年丑歳」
  「万延元年申三月九日内匠頭殿を以松平和泉守様へ御進達御書付」
  「田安大納言様より御前様へ被遣候御文写」
  「万延元田安様ら之御直書」
  「万延元」(田安大納言充御書案) 四点
  「万延元遠藤但馬守殿へ之御自翰」
  

  「万延元年庚申九月十一日若殿様御本丸御上之節日峰様御咄九ヶ条 泰盛院様御聞書写一冊 御直々被進候節御副被進候御書付」   「茂実公文久二年手戌月御建白御書付御草案」   

12/587 フランス国之船三般渡来ニ付而之一通 弘化三年六月               一冊
12/588 崎陽魯西亜渡来記 嘉永六年〜同七年                      一冊
  プチャーチン渡来の際の一件書類を合綴したもの。最初の二綴の表題を例示する。
  「今日入津魯西亜船江御糺之節申口左之通」
  

  「嘉永六年丑七月魯西亜船長崎表渡来ニ付御奉行所江御内々御存寄被仰達候ニ付聞番鍋島新左衛門より御年寄中江之返書偖又内密承合之趣鍋島市佑江申越候書状」   

12/589 魯西亜船渡来付而御届等之一通                         一冊
  目録を巻頭に付す。いずれも鍋島氏より幕府海防掛御用番に充てたものの控。四一点を収録。
12/590 英船渡来一件書類 嘉永七年                          一冊
  巻頭に「深秘 英船一件」と後筆あり。
12/591 長崎下向御目付永井岩之丞殿より御尋御ヶ条条御答書 安政二年卯二月       一冊

  原表紙に「此壱冊御目附永井岩之丞殿より両御番所詰人数[  ]其外玉薬員数等迄巨細ニ被御書出候様御所望ニ付被差出[  ]以後之類例等不相成様申断差出候扣」とあり。   

12/592 長崎御番についての往復書簡                          一冊

  安政二年八月四日田中善左衛門書状原田小四郎充の九月五日写から安政四年九月廿六日久米次左衛門書状池田半九郎・田中善左衛門・伊東次兵衛充の九月廿九日写にいたる往復書簡を留めたもの。   

12/593 エゲレス船長崎渡来唐通事応接之覚書 安政二年                 一冊
  三月二十二日より四月二十七日にいたる掛り唐通事の応接覚書。
12/594 肝要之事柄かぴたん申上候横文字和解                      一冊
  「川村対馬守様
   永井玄蕃頭様
   岡部駿河守様
   日本にて和蘭領事官たる肝要の事柄を申上候
    (本文略)
   暦数千八百五十六年第八月廿三日 辰七月廿三日
            於日本和蘭領事官 どんくるきゆるしゆす
   右之通御沙汰に付和解仕差上申候以上
    辰八月                    掛通詞両人名印            」
12/595 御当番御手配帳 安政七年 御番方                       一冊

  「長崎表異国船渡来之節御手配左之通」として従来の手配の手順について墨書したあと、附加すべき箇条のある項については、これを朱書してある。   

12/596 安政年間於長崎異船問合和解                          一冊

  表紙の裏に「此一冊本島松蔭ヨリ差出ニ付写之」とある。鍋島家蔵用箋を用いているので、家史編纂所で写したものか。一八五六年九月六日の「貌利太尼亜軍艦和親国之港入帆之義ニ付返答申出候英文飜訳蘭文和解」から同年同月十四日の「英船出帆并仕払申出之書面飜訳蘭文和解」にいたる蘭文和解を収録。   

12/597 御番方沿革方書付 寛延二年〜文化七年                     一冊
12/598−1 御備向雑記 全                              二冊
  享保・宝暦の頃の長崎備向の雑記。一冊は罫紙に写したもの。
12/599 御番方留書                                  三冊
  二 安永六酉年—寛政八辰年
  三 寛政八辰年—享和三亥年
  四 文化元子年—文化六年
  巻頭に目録を付す、内容を摘記すると
  ・(安永六酉年)支配勘定御普請役乗船御当番限被差出候様仰合相済候一件
  ・オランダかひたん於長崎病死御届一通
  ・日本通商之外唐船長崎入津之御届                        (以上、二)
  ・寛政八辰年長崎御奉行御下向之節以来於御城下も御対話被成旨御談合相快候一通
  ・天草見張御番所詰之御普請役交代往来之節乗船等之儀御老中〓被相達之手続
  ・(五島へルソン船漂着)
  ・(享和三年アメリカ人ジャワ人乗組の船が渡来商売を求める)           (以上、三)
  ・(文化五年長崎奉行死去の届)
  

  一文化五辰年長崎奉行松平図書頭殿於長崎死去之御届之儀御国元〓申来候ニ付左之通相認九月廿二日御用番土井大炊頭様に持参指出候処被御受取候……病気の処養生相叶わず……廿六日死去之段彼地差置候家来之者〓申越致承知候此段申上候以上   

     八月廿七日     御 名
  「立飛脚を以御国許申立候……」の文言が見えるところもあり、江戸詰の藩土の書いたものであろうか。
12/600 御番方留書                                  四冊
  一ノ上 (宝暦十三—安永六年)
  二ノ上 (安永六—天明七年四月)
  二ノ下 (天明七—寛政八年)
  四   (文化子七月—文化三年)
  二ノ上下は599の写しである。
12/601 長崎御番御代々記                               四冊
  一 勝茂公御代 寛永十七庚辰年—明暦二丙申年
  二 正保元甲申年—正保四年
  三 慶安元戊子年—慶安四辛卯年
  四 承応元壬辰年—明暦二丙申年
  編纂されたもので引用書に「先蹤録」「御番方大概」などの書名が見える。
12/602 長崎御番方大概書抜                              三冊
  一 寛政十九年三月廿六日—正保元年
  二 慶安四—元禄八年(十善寺唐人屋敷之事)
  三 正保三—享保十六年
  目録あり
12/604 長崎御番所  甲上                              一冊
12/605 長崎御番所記 甲中                              一冊
12/606 長崎御番所記 乙一                              一冊
  何れも巻頭に目録を付す
  604長崎御番始并公儀御代替番被仰付事(以下略)
  606御番人数并役割
   御番頭宅寄合并手当一通
   御番人中諸渡方一通
   御番人出名前諸請取物 (以下略)
12/607 長崎奉行之次第(石火矢方の印あり)                      一冊

  寺沢志摩守から松浦河内守までの長崎奉行の長崎下向・帰任の日を記す。他に□□西泊御番所御石火矢御大筒玉目筒尺御玉数同箱数、道生田北御蔵御薬斤数向年為覚請役所江張付有之候書付之写 を附す。   

12/608 長崎御奉行之次第                               一冊
  寺沢志摩守から(享保十九年)窪田肥前守までの長崎奉行の任免を記す。
  「長崎御目付之次第」
  正徳の石河三右衛門から享保の大森半七郎までの名が書かれている。
  (正徳四年から長崎奉行は弐人役になり御目付壱人宛副役半年代り享保六年副役止む)
12/609 御仕組所に於而当役御聞届                           一冊
  「砲台増築にかかる」とのペン書あり。
  「酉七月十二日○当役安代殿於御仕組所御聞届」
  「長崎表御備増一件再仰立」
12/610 長崎御仕組諸手数扣                              一冊
  「御親類御家老立操之事」
12/611 海防掛御目付内密書上                             一冊
  「清陰所蔵」の朱書あり。
  「浦賀表異船渡来害心を挾及手向自然打払……」の際、戦の用意、手筈など。
12/612 長崎御番ニ相掛り候書類 中牟田氏                       一冊
12/613 同                                 (小横帳)一冊
  612は613の写し。
12/614 池田日記 利睦                                一冊
  御番方ニ付私覚書地、御番所御交代のこと他。写し、池田利睦は鍋島直正の信任を得ていた人。
12/615 長崎詰支配勘定三浦義十郎殿御普請役小比賀良助御石火矢為見分御城下被相越候手続 一冊
12/616 御番方御手配ニ付従長崎御奉行所御達被成候廉其外心得方一通           一冊
12/617 (長崎御奉行所ヨリ御達其外控)                        一冊
  中表紙に「水上」とあり。
12/618 長崎由来南蛮人来朝之事                            一冊
  「戸町在家之記写之」とあり。
12/619 長崎表地役人当節一般ニ御改革被仰付候一件之留                 一冊
12/620 御禁制船入津之節御奉行所可相窺覚                       一冊
  「御石火矢方」の印あり、また中表紙に「志波大右衛門自分記録也」とある。
12/621 佐野栄寿左衛門意見書(辰三月)                  (四枚綴)三通
12/622 南蛮船来着ニ付原次郎兵衛深堀被差越候其節御前被召出申上候控并玉目相違之儀も此末に相
見候 丑ノ九月七日 原次郎兵衛                               一冊
  原次郎兵衛は砲術家で代々石火矢頭人に任ぜられた。
12/624 長崎由来                                   一冊
  御石火矢方の印あり、
  「志波大右衛門自分記録也 建山源之助・早田卯吉郎」とある。
12/626 深堀御台場御備玉薬惣員数調子 亥(文久三年)三月 御武具方          一冊
  合大小玉数拾四万六千七拾三ツ
  合薬千八百五拾四貫五百七拾壱匁
12/627 両御番所其外御船割 文久二年 御番方                     一冊
  両泊御番所、戸町御番所備付番船、船頭、舸子の書上げ。
12/628 内々之筋より到来之書付 安政五年                     三冊合綴
 1十月廿四日、目付・西丸目付、同月廿九日公家衆馳走人任命の幕府申渡書写
 2八月四日水戸前中納言御慎ニ付取締向達書写
 3八月八日公方様御勝不被遊候ニ付御機嫌肩、同日公方様御不例御養生不被為叶薨去ニ付触書写
12/629 長崎仕組帳 慶応三年五月廿七日                        一冊

  長崎に黒船・異船が来著した際の措置を定めたもので、日下に鍋島茂実(肥前守、のち直大)の朱印を捺し、多久与兵衛以下七名の家老に充てている。(撮影)   

12/630 自然長崎表江黒船并相替候船来着之時掟 慶応元年七月五日          横帳一綴
  同前茂実の朱印。家老充。(撮影)
12/631 外目御台場御増築ニ付諸控 嘉永三年十二月八日より               二冊

  伊王島・神ノ島両所の台場の規模、資材(とくに石材)、石工・人夫の員数・賃銭等につき詳細に記録したもの。罫紙に田代通英が写す。(撮影)   

12/632 伊王嶋神之嶋両所御台場御築立に付諸控写 嘉永三年十二月八日〜安政三年     一冊
  台場築立の御用日記である。同じく田代通英の写。(撮影)
12/633 伊王神ノ島御備増一件ニ付海防御懸御用番御届其外諸贈答書抜           一冊

  佐賀藩は長崎防備のため自領の伊王島神ノ島に砲台を建設することを筑前藩と共に幕府に願い出たが、嘉永二年に願は却下され、さらにそれを自力で行うことにし、そのための拝借金を幕府に申し出た時のもの。   

12/635                                      三冊一袋
  佐賀福岡二藩伊王島台場新築願出一件 黒田家史料                     一冊
  伊王島神ノ島御備増一件ニ付海防御懸御用番御届其外諸贈答書抜               一冊
   (633に同じ)
  筑前侯宇和島侯贈答 桐山之書面 宇和島侯阿部ト問答                   一冊
12/636 新御台場築立凡ソ積御増築勘定所目安 全 嘉永三年〜安政四年          一綴
 1御台場御築立ニ付御筒鋳立其外凡積
 

  鉄製二八貫八〇〇目石火矢五丁、同一五貫五〇〇目石火矢五〇丁、同七貫二〇〇目石火矢二〇丁、銅製五貫目石火矢一〇丁、同二貫四〇〇目石火矢一五丁を鋳造する資材・諸道具・火薬・砲丸その他の費用を積ったもの。(撮影)   

 2御物或并銀御遣方大目安写(撮影)
  ・嘉永三年十月〜同四年九月、安政三年〜同四年の御増築方御遣料
  ・嘉永四年十月〜同五年九月、安政三年〜同四年の大銃製造方御遣料略
12/637 内外台場改築始末                               九冊
  長森敬斐の編纂したもの。
  凡例に「弘化乙巳ヨリ明治ニ至ル長崎内外台場改築ニ係ルモノヲ蒐録シ旧藩史編纂ノ材料トス」とある。
  一—八までは弘化二年〜嘉永六年。
  九は文久元年。編纂に必要の為撮影。
12/638 (637に同じ)
12/639 (637の九に同じ)
12/640 内外台場改築始末分類                             一冊
  (641の八と同じ)
12/641 内外台場改築始末                               八冊
  凡例に「内外台場改築始末の記事を分類シテ輯録」とある。
12/642 崎御台場ノ件ニ付佐嘉福岡贈答書 金丸清右衛門家蔵写 嘉永六年二月〜安政元年四月  
                                              一冊
  往復文書を罫紙に写したもの。左に例示。
  「丑二月
  喜兵衛ヨリ筑前聞役へ之演説書左ノ通 演説ノ意味手扣
  

  両御番所へ従公義被相渡置候御石火矢ノ義段々年経候随ヒ錆起等モ有之先年已来火通ノ節存分ノ薬込ニテハ放出無心許近年尚又寸内〓所抔モ相見候段石火矢役ノ者共内々申聞候趣家老共兼テ致承知居候御番方ニ相懸専要ノ御道具右ノ通ニテハ難相済義ニ候得共至テ重事柄ニ候得ハ(中略)就中去々年以来異国船漂流ノ節取計方ノ次第諸家様御一統毎度御触達モ御坐候ニ付テハ弥以懸念仕義御坐候(下略)」   

12/645 両島新御台場御備大砲鋳立記 谷口弥右衛門鋳立記一 嘉永四年〜安政三年     一冊
  (原表紙写)
  「嘉永四年ヨリ安政三年辰迄
   両島新御台場御備大砲
   其外於築地ニ鋳立記
    亥九月ヨリ 谷口弥右衛門直致」
  大砲鋳造を担当した鋳物師谷口弥右衛門の鋳立記を罫紙に写したもの。内容を左に例示する。
  

  「一亥九月廿三日御番方被召呼唐銅十五貫五百目御筒一挺同五貫目同五挺同二貫四百目同二挺明御請番迄鋳立或就相成候半テ不相叶候ニ付日数積且又入具積差出候様就テハ今般大銃製造方外向エ被差出御番方エ被相附候ニ付筑地ニテ鋳立相成度候ニ付築地ニテ積致候様被相達候左ノ通積出ス   

   一唐銅十五貫五百目御筒一挺仕上重凡七千百八十斤ニシテ鋳立入具積
   一銅九千九十斤
   一錫九百九斤
   一白炭五百五十俵
    一俵ニ付六匆ツヽニシテ代正銀参貫三百目
   一番子千二百人
    一人ニ付参匆六分ツヽ食賃銀同四貫三百弐拾目
   一タタラ踏面八十人
    一人ニ付弐匁ツヽ賃同三百六拾目
   (下略)                                        」
12/646 万延元年申両御番所其外御武具一通 御番方                   一冊
   西泊御番所内目台場、神崎御台場、太田尾台場、すゝれ台場に備えつけの武具を記す。
12/647 両御番所并五ヶ所嶋々深堀詰人数船数付                     一冊
12/648 伊王嶋神ノ島御備大銃并玉薬員数調子
  (亥三月 御武具方)                                  一冊
12/650 長州御追討ニ付請御意下 元治元年子十一月〓慶応二年寅八月迄御備立方      二冊

  右二冊は、1—8/333・334・337・339四冊と一連になる同種記録である。内容は長州征討に際しての軍事御備に関する、藩主に対しての伺と、重役を介しての裁可とを記録している。具体的には、大砲・小銃隊配備や、医師・陣中貝吹山伏の配置に至るまで記されている。   

12/651 長州御追討方御雇船舸子賃銀御願立相或候手続一通 慶応元年六月         一冊
  佐賀藩の水軍動員の実態が詳細に分る良質の史料。(撮影)
12/652 慶応四年戊辰六月 羽州出陣日記 頼善                     一冊
  戊辰戦争の際の従軍日誌で、記述は簡潔。一部を例示する。
 「  七月十三日
  一野州六月廿五日廿六日廿七日三日戦争、御国之兵隊敗北之由、大木〓承及候事、        」
12/653 或富種哉手記 維新戦争ニ付聞合書                       一冊

  慶応四年五月から十月にかけて、佐賀藩は白河口からの会津攻めに参加したが、本書は、その際の書状や報告書をまとめて筆写したものである。特に、鍋島監物、伊東外記の両人からの報告は、戦況を詳細に伝えており、また出兵に加わった兵士の名前の書上げもある。   

12/654 慶応四年辰六月廿五日廿六日野州表戦争に付而之書状其外写            一冊
  鍋嶋監物の発信した書状の写で、戦況を詳細に伝えている。
12/655 慶応三年丁卯十月ヨリ明治元年戊辰十月迄御事蹟歴史課被差出候控         一冊
  「復古記」編纂の素材として、佐賀藩が太政官正院歴史課に提出した戊辰戦記の扣。記述方式で史料の引用はない。
12/656 (羽州戦争之次第報告)                            一冊
  表紙を欠くが、内容は明治元年九月の秋田攻めの際の、現地からの諸報告の写。
12/657 明治二年 羽州秋田在陣日誌 高柳邦秀                     三冊

  原史料である。「会議所出勤」の記事が多いから、高柳は秋田の官軍会議所に出向いていた人物と思われる。会議所や参謀の動静が克明に記され、また秋田に伝えられた箱館戦争の戦況の風聞も、日々詳細に記されている。明治二年五月以降の第二、第三分冊は、「羽後国酒田在陣日記」である。第一分冊から一部を例示する。
 「己巳正月九日
  千里皇風芽出度春也、
  一旧蝋滞留之末、秋田城下茶町三丁目野上屋久六郎宅ニ而越年、同属夏秋新年同宿也、
  一旅ニテノ越年、俗事別而管事ニ有之、朝飯後早々城下近所宮参リ、上羽ノ村大神宮八橋毘沙門寺内村田打金亀甲山大権現参詣、其末土崎湊迄遊歩、                          」   

12/659 巳十二月十八日於応接所三条右大臣殿其外英仏米李公使江御対話書         一冊
  (浦上村之者共処置振之義ニ付……)
12/660 御布達其外  乾坤 明治二年                         二冊
  鍋島家蔵の用箋使用、県庁、文部省、太政官などよりの通達類の留で明治四年まである。
12/661 明治三庚午歳閏十月 歳入歳出取調子書 富岡敬明                一冊
  この年、佐賀藩は歳入歳出の課目を整理するようにとの政府の命を受けた。本書は、それに基いて高岡が作或した案である。
12/662 御布告貫之 明治四年                             一綴
  佐賀藩・県充の太政官布告および各省寮等の廻達類を綴込んだもの。内容を左に例示する。
  「辛未七月十五日太政官ニ於テ坊城殿ヨリ被相渡御書付写
        佐賀藩
         知事鍋嶋直大
  免本官
              太政官
   今般藩ヲ廃シ県ヲ被置候付而者追テ御沙汰候迄大参事以下是迄通り事務取扱可致事
    辛未七月      太政官                              」
  「    正四位鍋島直大
   右留学免状相渡候間明十五日第十字請取之者当省江出頭可有之候也
    辛未十月十四日   文部省
     正四位鍋島直大殿
           執事御中                                」
  「辛未十一月五日外国渡航免状被相渡候写
   第五百六拾三号 伊万里県士族
            百武安太郎
             未二拾六歳
             

   右之者此度海外旅行之儀願出候間差許申候就而者通行無差支様御免許被下且差掛要用之儀者相当之御扶助被下候様其筋へ依頼いたし候    

    大日本国
      外務大輔
   明治四辛未十月 寺島従四位藤原宗則○                          」
「        久米丈一郎
   御用之儀候間礼服着用家令同道即刻出頭可為致候也
    十一月五日     式部寮
     鍋嶋正四位殿                                    」
     

  以上の様な官省等からの廻達文書のほか、松平慶永から、参朝の際馬車を中仕切門外に置いたままにするのは後続馬車の邪魔になるから、脇へよせるか腰掛へ入れておくよう、式部頭より注意のあった旨の書簡も綴ってある。
〈B 蓮池鍋島家史料〉

 主要なもののみについて記す。
3/25 家事局日記 元治二年正月〜五月                          五冊
3/26 同     慶応元〜二年                             八冊
  藩主の御側日記である。
3/46/2 御蔵方諸控 文久三年亥正月〓同六月迄 鶴田伝右衛門役内
3/46/3 御蔵方諸控 文久三年亥七月〓同十二月迄 鶴田伝右衛門役内
3/47   御蔵方諸控 元治元年七月〓同十二月迄
  右三冊は、蓮池藩御蔵方の控え。蓮池藩財政に関する細々とした内容が多い。
3/48/1      夘八月                               一冊
  前三冊と同種のもの。支配地各村からの嘆願書が多く散見する。
3/48/2 会計局諸控 慶応四年辰正月〓五月 鶴田伝右衛門                一冊
3/49   会計局諸控 鶴田伝右衛門役内 明治二年正月〓十二月迄             一冊
追/23 蓮池日史略                                   一一冊

  永田暉明が明治四十一年に編纂した蓮池藩の詳細な藩史。凡例の冒頭に、「本書ハ請役所及ビ用人日記ノ抜録ナリ」とあり、時期は元和年間の初代直済から慶応年間の直紀までを対象としている。藩主の動静はもとより、藩財政、長崎警備などの実状がわかり、附録である最終巻には、家臣の職制、物成の制度などについての解説がある。   

追/24 直紀公史料 弘化二〜慶応二年                           九冊
  編年体で記され、書状や達書の引用も多いが、出典の記載はない。なお、同種の史料が各藩主ごとにある。
追/144 蓮池藩掟                                    三冊
  請役附をはじめとする諸役職の服務規定。天和元年と宝暦元年のものがある。
追/149 明治三年蓮池藩達帳                               一冊
  蓮池藩独自の達を収録したもので、主として家中の任免に関するものである。
〈C 明治行政資料〉

 明治四年から明治二十年頃にかけて、佐賀県庁および長崎県佐賀支庁で作成、使用した公文書の綴。総点数は約三千点。県立図書館で作成した分類別編年の資料目録(未刊)があるが、現在の排架は、新しく作成された資料カードの順序になっている。加地子関係、家禄奉還、士族授産、佐賀の乱、西南の役などの資料がまとまっている。時間の関係で、ごく一部を閲覧するにとどまった。
〈D 江藤新平資料〉
 江藤が受信した書状が大部分で、三条実美、岩倉具視、島義勇、福羽美静のものは重要である。また、政体、法制に言及した覚書風の江藤の自筆日記が若干ある。
二、佐賀大学附属図書館
 佐賀大学附属図書館所蔵の支藩小城鍋島家の史料については、一九七六年に同館から「小城鍋島文庫目録」が刊行されている。主要なものは、日記と編年史料とであるが、幕末期に時期を限定して全史料を閲覧した。各史料の年代や冊数は「目録」に譲り、主として内容について記す。
 一般史料(分類番号OC)のうち、閲覧したものは左の通りである。
OC7/28 嘉永七寅二月以後公務御用捨一件西丸日記其外手続写  旧記方
 嘉永七年正月、幕府は、小城・蓮池・鹿島の三支藩に、以後五ヵ年間の参覲を免除するから、長崎警備の充実に心がけるように、と命じた。この触は、同年二月、佐賀に届いたが、本書は、その一件書類を旧記方が整理して筆写したものである。
OC7/41 神田橋御門御用書留帖
  蓮池藩主鍋島甲斐守の江戸屋敷の用人の日記。対幕府関係の記事が多い。宝暦九年から文化十二年まで二五冊。
 日記(OCN)についての概略は左の通りである。
OCN1「日記目録」は、OCN2の「日記」の記事の内容を要約して編年体で記している。
 例えば
 「(元治元年)
 御本家〓長州御追討御達   八月七日                            」
OCN2の「日記」は、小城藩の御用部屋である請役所の記録である。殿様・大殿様の動静をはじめ、本藩からの通達、大坂・江戸からの来翰記事、寺社方関係、御蔵方関係の記録などが記されている。各所の記録を「日記方」のようなところでまとめたものと考えられる。日記目録に例示した日の記載は次の通り。
「 八月七日 晴
一左之通西丸〓申来候ニ付、御親類御当役始今朝早御出勤ニ而御吟味有之
 請役所〓則刻呼出ニ付罷出候処御用之義有之候条御家老之内御一人明朝五ツ時立之内御城御出相成候様泊番請掛石井雄左衛門〓被相達候条、右様御承知宜敷御取計可被成候已上
   八月六日
 別紙御家老呼出之義御進物方江内々承繕候処、此節長州征伐被蒙仰候付而之御達有之筈之間、就而は攻口御達之上は此御方ニも 殿様御幼年ニ候得は、御家老之内〓御出陣有之候半而相叶間敷、扨又長崎ニは異船十八艘渡来干珠満珠嶋辺碇泊いたし双方白眼合居如何之仕義ニ移行候哉も難計候得は、長崎御固をも猶更厳重無之ニ不相済振ニ依長崎〓襲来候義も難計候条御差図次第何連之方ニも出勢無間迦様御覚悟可相成、右ニ付甲斐守様備中守様ニも早速御帰国相成候通明日御達相成候筈之間、 (蓮池藩主)(鹿島藩主) 右旁々旨山崎左忠太〓被申聞候条為御心得此段及御懸合候已上
  八月六日
OCN3の御次日記のうち万延二年正月—九月、文久二年四月—十二月、文久四年正月—四月の分は、直亮在邑の時のもので、用人日出島源兵衛の手控である。内容は殿様の動静、本藩からの達など、儀礼的なものが多い。例を挙げると、
「万延二年二月十一日
   城島与四右衛門様   鍋島隼人
              丹羽久左衛門
 以手紙申達候、長崎先月朔日以来異国船渡来出帆尤渡来之船々被相糺候処、いつれも疑敷儀相聞不申候由、従御奉行所被相達候段彼地より申上之被聞召候、依之右之趣公辺御届被仰達候、加賀守様左兵衛佐様江右為御知従私共宜申上由肥州様被 仰付如斯候、可有御申上候以上                   」
OCN4の御状方日記は、用人、佐嘉本藩、江戸・大坂の藩邸、支藩などからの書状が留められ、人事異動もわかる史料であり、菅井御状方日記は大殿様宛の手紙の留であるが、政治的内容はない。なお佐賀城の西丸に西丸聞番がいて、本藩・支藩との連絡はすべてそれを通しておこなっている。
 次に文久二年の内容を例示する。
 「十二月十二日 晴
 一西丸〓奉札弐ツ左之通
  大丞様
  源兵衛様  形左衛門
  健之丞様
  千住大之助、京都〓早打ニ而昨夕到着いたし候、右者閑叟様去月廿四日御京着之末、去ル三日歟ニ被遊御参内候ニ付而之由、尤坊城大納言様〓御書付を以此節攘夷之御治定ニ而、江戸表江勅使下向相成居、其通御取計相成候得者、直様戦争之程も難計之処、禁城御手薄ニ付、御滞京相成、御守衛候様との御事歟ニ内々承付候付、不取敢御含迄ニ得御意儀ニ御座候、惣而右御書付之儀〓禁帝〓御直ニ被為渡候様被成御心得候様と申事も御演達相成候趣ニ御座候。今晩大之助宅罷出、面話之約定いたし置候ニ付、一体之様子承諾候含ニ付、其上ニ而尚又相替候儀も致承知候ハヽ、則可及御懸合、先以此段御含迄如是御座候以上
  十二月十一日                                       」
OCN5の種類不詳日記は、藩主の動静のほか本藩主父子との贈答の記事が多い。佐賀城西岡の小城屋敷の日記と思われる。一部を例示する。
 「元治元年七月廿九日
 一大坂〓左之通注進有之候段申上有之
  以急町便(中略)京都表去ル十九日朝五時比〓出火ニ而廿一日夜九時比まて致焼失誠ニ近年無之大火(中略)長州□所々乱妨相手何れ共不相分候得共致戦争、双方数多死人手負御座候而大変之趣相聞候付、早速長左衛門□□ニ付山崎海道〓致上京候処、京都道筋不残諸大名様方御堅メ迚も通路不相叶、不得止事途中引取候故、為聢義不相分候得共、右途中聞繕且風説之次第荒方御目付方江致注進候間(中略)
  御本家京都御屋敷御類焼相成候由(中略)
    七月廿二日     空閑忠之進
              深町長左衛門
   西川形左衛門殿
   殿持永治兵衛殿
   大坪九郎兵衛殿                                     」
 編年史料(分類番号OCH)のうち、閲覧した史料は左の通りである。
OCH/1 諸役人帖 天明四年〜同八年 請役所
  天明四年次の内容を示すと、
  「一御請役  御加米弐拾石園田善左衛門
   御出陣方兼
   一大御目附       宮地勘左衛門                    」  
  という記述の様式で、以下、元〆二名、相談役、御内頭人、惣御目附三名、旧記方、請役附三名、御内御目附、同御台所役、同鎖口詰、同御匕、西岡御目附、同御台所役、同鎖口詰、同御匕、浜御西鎖口詰、同御台所役、西丸聞役、同介役二名、御蔵方四名、御修理方、抱夫方、勘定究役、御目付二名、郡方、同介役、地方役二名、郷目附二名、牛津御栗屋番、牛津御蔵床、山代御目代、同郷目附、同浦崎御番所、御山方目附二名、大山留六名、同見習、御関所番二名、塩〓蔵番、惣座御栗屋番、御使者番二名、御猟方、同目附二名、御広間番三名、学校方学頭、同師範方、同小師範方、浜御栗屋番、請役所祐筆四名、御蔵方付役五名、御納戸付役二名、郡方付役二名、勘定所付役二名、御台所付役、抱夫方付役二名、御修理方付役三名、同大工棟梁、御内鎖口、同御台所付役、同御料理人二名、西岡鎖口、同御台所付役、同御膳立、浜御西鎖口番、同御料理人、下目附七名、吟味方付役、御山方付役、御小物成方付役、地方付役五名、上郷普請方付役二名、下郷普請方付役二名、井樋方付役二名、牛津御蔵床付役二名、西丸祐筆、同見習、御猟方付役、御鷹屋詰山代下目附、御船方、川上河口心遣、盗賊方の姓名を記し必要事項を註記してある。次に、
  「   江戸御供
   御在国中請役兼 御加米弐拾石
   一御家老        南里内蔵助
       辰十一月八日死去  権右衛門                         」
  以下、御用人二名、御側目付二名、御側六名、御匕、御茶屋、御状方二名、御納戸、御供番三名、屯目付御駕籠副二名、御料理人二名、下坊主、御次番二名を列記し、「御在国中」として、御茶道、御草履取、御膳立を列記したあと、
  「   江戸御留守詰
   御屋敷頭人   役米拾弐石八斗
   一御留守居     小田村源右衛門                           」
  以下、御屋敷頭人、御取次、御状方、納戸頭人、御広間番四名、屯目附、御中屋敷目付、右筆二名、納戸付役二名、屯番二名を列記し、次に
  「  大坂御屋敷詰
          辰十一月廿八日〓被差立候
   一同御留守居    田代尉右衛門                            」
  以下二名を記し、次に「御国足軽」として、下目附五名、御修理方小奉行二名、西丸三階番、同鎰役、表御門番二名、裏御門番二名、浜御門番二名、大手辻番二名、北辻番二名、西辻番二名、評定所番杉方、往還小奉行、御出陣方附、御猟方使番、同鳥見、御狩幕張、御小物成方附、川上川口心遣下附、山代御船屋番、定警固、山内炭持下心遣、高伝寺勤之節世話役を列記する。
OCH/2 諸役達抜書 天明二年〜文政七年
  天明二年の最初の部分を例示する。
 「  役方仰付達一通抜書
   天明二年八月六日
 一今日役方左之通被仰付善左衛門殿被相達候也
  (御使者番御取次懸り合 御広門番頭兼 (留守五郎右衛門 野副太左衛門
 一御内
  鎖口御目付居付  香月源右衛門
  (鎖口詰 御台所 御状方懸り合 成富文之進代 庄 新兵衛
  鎖口詰    東嶋勘右衛門
  御匙     佐野芳庵
 一西岡
   (略)
 一御部屋
   (略)
 一浜御西
   (略)                                         」
OCH/3 諸達帖
  小城の御用部屋である請役所の発した達の留で、達のあとに、それを遵守する旨の連署を該当の役職がおこなっている。小城や牛津へ宛てた独自の取締令が多く、小城藩の領内支配を知る上での重要史料である。
OCH/4 諸通抜書
  幕府の役人や諸大名が小城領内を通行する際に、小城藩に送った達書の留。
 書式を左に例示する。
 「 安政六未九月廿五日
 一公役人牛津通路之段、左之通代官所より達書相成候
  (達書は略)                                       」
OCH/5 佐嘉御取合
  主として佐賀本藩よりの達を、日々書き記したもの。第二次長州征伐の際のものを例示する。
 「  (慶応二年)六月二日
 一左之通西丸〓申来候
   請役所充   西丸聞番
  御案文方〓呼出ニ付罷出候処、此節
  肥州様長州御征伐被遊
  御出馬ニ付、多布施町口唐人町口、此節方〓御固有之候様、野田平兵衛〓被相達候、一躰は長崎異変
  御出馬之節、御留守御仕組、兼而仰渡相成居候通ニ相変儀も無之旨、旁同人〓被申聞候、此段為被懸合如斯御座候、已上、
   六月二日                                        」
OCH/6 寺社方技書
  請役所日記から寺社方に関する記事を抜き書きしたもの。各冊の冒頭に付す目録を例示する。
   代参、御社参、御堂参、寺僧暇願、祭礼、社人助力願、寺社地替地願、祈祷仰付、御施餓鬼、堂塔再建助力願、説法願、宗門につき西丸より掛合、江戸祈祷僧下国願(下略)
OCH/8 御前済帳
   家中の養子、嫁取、名替等の諸願の決裁帳。
OCH/9 斉直公御代御側御裁許仰渡控 文化二丑年ヨリ 御年寄手許
  御側諸役人、坊主、足軽等の処罰申渡しを控えたもの。
OCH/11 御裁許録 御在国 文政十三年 御年寄手許
  元家中士および町在領民の処罰申渡しを控えたもの。
OCH/12 罰帳
  家中士に対する処罰申渡しを請役所で記録したもの。記事の一部を例示する。
 「弘化四年未十一月以後
   罸帳
            請役所」
 「弘化四年未十一月十四日松崎五右衛門宅ニ於て左之通被 仰聞候
                            南里文左衛門
  右者孫俊八儀実父江津村神職辻大隅当五月及死去候節忌服定式未満之内月代相整既殿中罷出候(中略)屹度可被入念候
   未十一月十四日                                     」
OCH/13 郡方罰帳
   元家中士、町別当、村庄屋以下町在領民に対する処罰申渡記録。
OCH/14 遠慮帖 安政六年〜慶応元年
  本人の心得違、不手際、あるいは親族の処罰された際の遠慮引入届を留めたもの。記載例を左に示す。
 「一同五月三日(安政六年)左之通遠慮御届有之候処、左之御請書之通被仰出、遠慮書之義は御用人方限リ御差返相成候
   去ル辰年蒸気船御用ニ付、山代郷久原村其外より石炭掘之義、御本家請役所より達帳を以別紙之通被相達、其末従御手前口達書差出、其後之手続是又別紙之通ニ御座候、将又当節芦刈本土居南潟地江新搦願出之末、此節役々見分手数ニも相成居、就而は右両条共事柄前様吟味之次第委細奉伺 御聴済之上、夫々手数をも相整り通可取計之段、全心済ニ而其儀切落相成、畢竟不念処より右之次第今更重畳奉痛入候、依之遠慮引入申候
    五月三日                                 造酒丞
                                         進之允   」
OCH/17 諸役人勤年数並褒美付
  家中諸役人の勤年数、職歴、褒美を書上げたもの。壱から廿一のうち四から十四、十六下を欠き、十冊を三帙に整理してある。
OCH/19 諸役所諸品渡方銀米諸御遣方帳 御賄方
  記載例を左に示す。
 「 左之通立会見届申候以上
           木村鉄助(印)
   覚(印)
 一銀六拾八匁  御莨弐斤
 一銀九拾匁  半紙拾束
 一銀弐拾匁五分  御莨三巻
 一銀五分  御きせる壱本らを替賃
 右之品々慥受(印)取午十月中御手許御用相整(印)申候以上
                             空閑忠之進(印)   」 
 三、武雄市文化会館
 武雄市教育委員会所蔵の武雄鍋島家文書は、武雄市文化会館の一室に保管され、九州大学の中村質氏によって整理が進められている。分類記号は次の通りである。
A中世史料、B系譜・系図、C史伝、D宗教、E法制、F政治、G財政・貢租、H経済、I軍事・外交・近代科学、J学問・文芸、K日記・記録、L書翰、M明治以降、O絵図・地図
 史料は右の分類ごとに通し番号が付されて、箱に納められている。調査では、BからLまで、数百点の史料に分担して目を通した。その概略は左の通りである。
   B 系譜・系図
B/1 御系図 (文政年間、武雄鍋島氏系図)
B/2 邦乗 龍造寺氏 上下 一
  邦乗 鍋島氏  上下 二終 武雄頼之著
 龍造寺・鍋島両氏の中世〜元和期の家譜。
B/3 三家始御家老迄系図
 寛政十一年、公儀へ差上げられた鍋島紀伊守系譜の控。
B/4 御当家御連枝録
 寛政期に書かれた系譜。
B/5 (鍋島茂綱一代年譜)
 (表紙上書)「享保十七壬子年六月 日
   浄賢様御隠居年可相改旨被仰出於武雄承合之書立ニ御書物等見合吟味之上書附
   浄潭様御家督之儀共も有之
   武雄〓証人ニ被相越候名附も有之                      」 
B/31 御家中由緒改帳 五冊(一冊欠)
 奥書に「寛政六甲寅年八月改 立野八右エ門・久池井内蔵允・西村鼎介」とある。
B/32 家信公へ隆信公より御附属之士戦功其外由緒
 末尾の巨勢四郎左エ門のところに「寛政五年有故牢人」とある。
B/33 従隆信公家信公江御附属之士戦功并由緒覚
 32と同一のもの。
B/34 茂義—茂昌—英昌の系図
 昭和期作成。
B/35 御家譜略
 奥書に「明治二十六年九月佐賀県知事永峰弥吉ヨリ取調へ宮内省爵位局へ進達セシ由」とある。
B/36 茂昌公御履歴
 明治二十六年六月十五日付で宮内省へ進達。
B/37 茂昌履歴書
 36と同一のもの。
B/38 文政四巳歳 御家中潰家由緒改帳                         共二冊
B/38−2 天保三辰閏十一 潰家調子帳
B/39 文政七申年 格別重科ニ而無之相居候家柄帳                     四冊
B/40 武雄要人由緒 寛政六甲寅年八月改
B/41 弘化三年午閏五月 本末由緒其外扣帳
B/42 黒髪常陸系図
B/43 公儀御系図 (文政十年頃)
B/44 将軍家系図 (家治迄)
B/45 肥前中古雑記 寛文八年写
B/46 「浄天公」(茂義) 附近古武雄史談 牟田悌一氏編著(昭和元年)
B/47 大正十二年四月 清水原沢略歴・清水竜門略歴
B/48 大正十二年四月 清水竜門履歴参考資料
B/49 従直茂公御末御子孫御出生御落命大〓覚書 享保七年
B/50 従万延元年庚申十月総州様御子様方御誕生以後諸御祝一通 物書所           一冊
 明治十三年のもの。
B/51 明治元年英若丸様御髪置御手数扣
B/52 天明七年未九月万七郎様御養子一通                         一冊
B/53 戌六月一日聟八之節仕組
B/54 登太郎祝言仕組
 奥書は左の通りである。
 「右之通申付候条、何も得其意、請役無迦様可相勤者也
   三月十二日                                茂記(花押) 」
B/55 貞享弐年寅卯月五日登太郎祝言之時仕組
B/56 登太郎祝言仕組
B/57 貞享五年彦千代祝言付而仕組
B/58 宝永六年おとね祝言ニ付而仕組
B/59 宝暦十二年お民祝言仕組
B/60 正月廿九日従大殿様御代香
B/61 文化五寅二月お広様御葬送方案文帳
B/62 文政九年十二月九日御葬送ニ付馬場申帳
B/63 白雲院様御葬礼
B/64 服忌令
B/65 万延元年申四月種真院様御葬送銀米遣帳
B/66 浄泰様以来殉死名書
B/67 折紙御精進日
B/68 供養日記(享和三〜文化元年)
B/69 御子様御牌銘日
B/70 公儀御私御先祖御牌銘控
B/71 御牌銘
B/72 同右
B/73 他家御牌銘
B/74 祭礼日記録 文化三年
B/75 大智院覚猛僧正官願一通 黒髪山大替院
  宝暦十二年のもの。
B/76 文政四巳年改大智院覚猛任官一通控
B/77 明治四年御年越御手数帳
B/78 嘉永元申八月九日紅雲院様御寺入ニ付坪内并杉高御堪忍人数調子帳
B/79 御歳越御手数控
B/80 文化十一年歳暮御年越御手数

B/81 御年越御手数 自天保三辰年暮至同四巳年御祝方                   一冊
B/82 御掛物帳 正徳二年辰二月五日 前田利兵衛                     一冊
B/83 御餝御道具帳 正徳二年辰二月五日 前田利兵衛                   一冊
B/84 御書キ物入日記 文化十三年子六月改之 長持入                   一冊
  茂明公御制作□ 百首一包 宝暦十二年 横半帳                      一冊
   (柔術など)
B/85 大箪笥暗入日記 天保十亥九月                           一冊
B/86 白木箪笥暗入日記 天保十亥九月                          一冊
B/87 御書キ物入日記 嘉永四年辛亥十月改之                       一冊
B/88 御書キ物入日記 弘化三丙午年八月改之
B/89 入日記 慶応四辰四月改 物書所                          一冊
B/90 御側御書キ物入日記 慶応四辰四月改 半櫃納小箱納諸帳面其外            一冊
B/91 (表紙なし)                                 二枚一綴
 「文久三亥十月調子之節御張引合之残御書附左之通尚再調子之事
   一雑務方
     内
     一今泉安右衛門差出候定米書付一                           」
B/92 諸控入日記 明治二巳九月改                            一冊
B/93 御什物御書附集(目次)                              一冊
B/94 小箪笥入日記 御什物方                              一冊
B/95 御書キ物入日記 長持入                              一冊
 (兵法関係)
B/96 泰盛院様・乗輪院様・玄梁院様・法性院様・海量院様・宗教様・重茂様御代御書物写入日記  
                                              一冊
 「明和六年丑七月請役所御書物御借請写其内跡方江御写置候は此節写ニ不及此御書物ニ被相加    」
B/97 (表紙ナシ)                                 十枚一綴
 「和田金蔵殿〓参り候馬書」
B/98 (表紙ナシ、B/97に同じ)                         七枚一綴
B/99 (表紙ナシ)                                二十枚一綴
 「一武雄郷河古郷并堤川之図 一
  一日本諸国絵図但不足   壱箱
 (下略)            」
B/100 川御猟御道具帳 天保十三寅三月改
B/101 川御猟御道具帳 天保九戌六月改 石橋仕左右・木々津源七             一冊
B/102 御所御土蔵寵徳院様御道具御長棹三軒入日記 嘉永二酉十二月調子        四枚一綴
B/103 御能方御衣裳其外入日記 文久弐戌十二月調子入 御能方            四枚一綴
B/104 寵徳院様御道具黒塗御長棹入日記 安政四巳七月                  一冊
B/105 御什物方入日記 慶応四年辰四月改                       一冊
B/106 御道具帳 明治五申四月調子                           一冊
B/107 御夜具御衣裳帳 地 明治五申年改                        一冊
B/108 御什物方古入日記                                一冊
B/109 (御内御蔵鍵云々)                             三枚一綴
B/110 寵徳院様御遺物帳 文政十二年丑十二月                      一冊
B/111 越州様御他界之砌御子様其御外様方江御遺物被差進候扣写 物書所          一冊
B/112 (表紙ナシ)                                五枚一綴
 「御船道具并御蔵床有物引渡帳……」
B/113 浄天様御(鍋島茂義)遺物出方御反物御衣裳控 文久二戌十二月           一冊
B/114(表紙ナシ)                                 三枚一綴
 御茶方御道具目録。
B/115 浄天様御遺物地取                                一冊
B/116 (表紙ナシ)                                二枚一綴
 御島方諸道具目録
B/117 浄天様御道具調子佐嘉仕送控地                          一冊
B/118 (表紙ナシ)                                五枚一綴
 五番御長棹入日記。
   D 宗教
D/1 武雄社本紀 上・下編                                二冊
D/2 武雄社本紀 上・下編                                二冊
 現代の写本。
D/3 高良王垂宮略縁起
D/4 黒髪山記 完 元禄四年九月 大智院敬雄記
D/5 廣福寺記 完 元禄四閏八月
D/6 杵嶋郡武雄真手野村吉祥院由緒 弘化三午年
D/7 円応禅寺記
D/8 神社由緒并神主下社家系図 武雄大蔵
  武雄社家系図。
D/9 杵嶋郡武雄真手野村宝性院由緒 弘化三午年
D/10 神社由緒帳 武雄吉祥坊 辰五月
 岡部善太夫宛差出されている。
D/11 神社由緒並山伏系図調子帳 武雄安龍院 弘化四年八月、醍醐寺三宝院末安龍院の系図。
D/12 支配神社由緒書上 大智院役僧 辰閏四月
D/13 十六善神宮由来                                  二冊
D/14 信如院御順国ニ付由緒調子写并願書差出候下書一通 吉祥坊嘉永五年子三月
 (記載例)
 「   覚
 此度肥前国佐嘉御領内当山方山伏之吟味役被 仰付候間向後御国法御用御本寺御用可被相勤候仍而如件
   元禄拾年丑四月七日            三宝院御門跡内
                          当山方役者
  肥前国杵嶋郡武雄                    慶学院印
         吉祥坊                                   」
D/15 英彦山神社鍋島家由緒記
 英彦山神社社務所刊の活字印刷。
D/16 本末明細帳 元禄九年寅三月 杵嶋郡武雄内川良村吉祥坊
D/17 本末現在并廃壊末院牒 杵嶋郡武雄 広福寺
 天明七年二月十五日付。
D/18 黒髪山本末并懸所間数畝歩直書帳 大智院天明七年五月 写シ
D/19 寺社御改明細帳 宝憧院儀智 天保七丙申十一月十七日
D/20 本末定規 吉祥坊宗実 天保八年十二月
 吉祥坊が修験当山派寺法を吉祥坊末の同行に達し請印させたもの。
D/21 寺院帳 杵嶋郡武雄内川良村円応寺 天保十五年
D/22 寺院帳 杵嶋郡武雄内川良村円応寺 天保十五年
D/23 神社本末現在系譜 宝憧院儀智 弘化三丙午歳閏五月
D/24 寺院帳 杵嶋郡武雄内川良村 円応寺
 弘化四年の書上げ。
D/25 杵嶋郡武雄内川古村現在地改帳 弘化四年未十月
D/26 杵嶋郡武雄内川登村々廃壊寺院調子帳 弘化四年未八月
D/27 武雄私領村々廃壊寺院調子帳 弘化四年未八月
D/28 同前 未九月
D/29 同前 未九月
D/30 同前 未十月
D/31 黒髪山大智院本末破壊末寺帳 弘化四年未四月
 大智院末の寺院で破壊(退転)したものを所在村名・境内間数ともに書上げたもの。
D/32 本末現住当住内弟子調子帳 嘉永元年申八月 吉祥坊宗實
 (記載例)
 「今般佐嘉寺社方より本末現住当住且又内弟子調子被相達左之通相調子三触頭当差出候
  嘉永元年申八月五日
                                       吉祥坊 宗實知〓」
 吉祥坊の末坊(現住6・当住4・弟子1)に付いて書上げ、南光院・明王院・出覚院の三触頭宛に差出されている。
D/33 黒髪山一派本末并懸宮梁間其外書出帳 嘉永元年申十二月
 大智院(黒髪山)と末寺支配宮・殿等の書上げ。末寺数は二一寺になる。
D/34 黒髪山一派半鐘紛失調合書載帳 安政三年辰四月
 黒髪山大智院末寺六ケ寺の半鐘紛失について、黒髪山役僧の書上げ。
D/35 神社現在調子帳 吉祥坊
 吉祥坊と同末寺支配の神社についての安政四年十一月現在書上げ一冊と、同天保七年十二月調の書上帳一冊との合綴。
D/36 黒髪山本社并掛宮調子帳 明治二巳年五月
D/37 黒髪山本社并掛宮調子帳 明治二巳年五月
D/38 十六善神敷地其外調子帳 本行院
 明治二年五月藤津郡武雄内大草野村本行院の掛宮書上げ。
D/39 十六善神敷地其外調子帳 本行院
 (同前)
D/40 神社調子帳 神主山口守人 明治二巳年
 武雄内川良村神主山口守人支配神社書上げ。
D/41 黒髪権現末社
 末社二八社の所在村町書上げ。
D/42 黒髪大権現末社
 (同前)
D/43 寺物書出帳 藤津郡武雄内大草野村北 西念寺

 同寺の鐘を「右就御用何時茂差上候様、尤御用相成候迄〓被相預置候旨被相達奉畏候、御用之節〓何時茂相納可申候以上、」と、辰五月付で、正定寺役僧宛に差出したもの。
D/44 寺社方控 文化九申二月ヨリ
 同年月より、文政二年三月迄の武雄寺社方の控え。「二月 一原田杢兵衛代役所附役〓寺社方兼帯被仰付御請申上候〓」で始まる。
D/45 寺社方控 文政十一歳子八月ヨリ 千綿官兵衛
 同年月より翌丑八月廿二日まで、寺社方千綿官兵衛宛の各寺社よりの嘆願や口達などを控えたもの。
D/46 寺社御奉行阿部伊勢守殿〓御達
D/47 当院末坊代々日録記 吉祥坊宗冠 宝暦三年八月吉日
 吉祥坊の末坊の入峯修行記録書上げ。
D/48 秀岩寺一件記録帳 天明五年巳八月十日
D/49 川古秀岩寺境内杉一件控 圓名寺役僚 寛政元酉歳六月十四日
D/50 当院末坊代々記録 吉祥坊知事
 吉祥坊末坊の各々の、開基から現在(天保年間)の当住に至る代々の入峯年月を示した記録。
D/51 黒髪山開基年暦書載指上帳
 嘉永七年寅七月、大智院の書上げ。
D/52 円応寺住持年譜
D/53 十六善神造営
 安永三年より、藤津郡大草野村十六善神再建の造営願いと費用、その集め方を記す。
D/54 御願文 慶応四年六月吉日
 武運長久海陸御陣中御安全等を祈願したもの。
D/55 欽願書 願主執行玄蕃 八幡宮 慶応四年辰六月吉良日
 「右者上総殿御出勢ニ付海陸御安全御武運長久……」を祈願した願文。
D/56 欽願書 願主伊豆一家敬白 八幡宮 明治三年六月吉日
D/57 欽願書 願主伊豆一家敬白 慶応四年六月
 「上総殿今般東国江出勢ニ付……」
D/58 御願文 孫四郎一家中謹言 慶応四年六月
D/59 御願章 願主敬白 松原社 慶応四年六月
 「上総殿武運長久……」
D/60 左京亮寄進状写 慶安三年八月十一日
 (全文)
 「彦山大権現江為立願成就八木三石前田畠河良村之内〓令寄進訖
   慶安三年
    八月十一日                 左京亮様御判
   宝持院                                         」
D/61 宝持院宛左京亮寄進状 承応三年七月廿八日
D/62 長学坊宛鍋島左京亮寄進状 寛永九年六月朔日
D/63 越後内鶴田善右衛門寄進状 光明寺大容大和尚禅師宛
D/64 長崎浦上之者異宗行々囚人川棚〓伊万里迄護送方一通 軍団所 明治二巳十二月
D/65 深堀伊王嶋長福寺々号引願 控写 宝暦五年亥七月
D/66 覚書
 将軍以下各大名の忌日調書。
D/67 社寺へ御名代御代番控御次
 各社寺への参詣日一覧を記したもの。
D/68 諸社御代参諸寺御名代帳明治八亥九月ヨリ同九 子八月マテ
 武雄の諸社寺参詣の記録。
D/69 神道秘伝書
D/70 神仏本紀(現代の写し)
D/71 武雄神社相殿(現代の写し)
D/72 杵嶋郡川上村淀姫大明神書上げ
D/73 奉願候口上覚 丑六月
 宝憧院・吉祥坊より小川尉之進殿宛。
D/74 円応寺
 葬祭関係。
   F 政治
F/11 御褒美帳 天保五年九月〜明治二年九月 役所                    一綴
 家中士・領民に対する褒美を記録したもの。末尾に明治十四年旧十二月廿四日の記事を付す。末尾の二点を例示する。
 「  仰出
                               鋳物師
                                 谷口清兵衛
                                 谷口嘉左衛門
   右当春二十四封度モルチール銃御鋳造之節壱挺充手間工炭等致献納神妙被思食候依之現酒五升御肴料金子拾両充被為拝領候
    巳九月
                                  美登
   此度御縁談并御婚姻ニ付而は再度上京万般首尾届御祝方をも無御滞被相済別而御満足被 思召候依之三人御扶持被為拝領候
    明治十四年旧十二月廿四日                               」
F/12 手頭 慶応四年 雑務目附                        (包紙共)一通
 「   覚
  一雑務之筋は役者心懸之厚薄ニ随ヒ損益有之義候条猶心を寄令見聞廉直心懸厚抜精勤之輩は不閣可令言上事
    (中略)
   右之趣得其意万端立入無疎致見聞我等江申聞候義有之節は直ニ側目附江可申越者也
    慶応四戊辰年五月(印)                                」
F/13 茂紀様江戸御越の際御留守中御内儀取締ニ付御手頭                  一通
F/14 茂昌様収納銀米等ニ付御手頭 文久三年                       一通
 「   覚
  一収納筋は勿論諸筋納銀等ニも緩之儀無之様定之通堅懸硯相納軍務之用達致充満候心懸専一之儀候事
    (中略)
   右条々堅可相守候手元之儀は銀米之枢要諸役之亀鑑共可相成候得共毎事偏頗は勿論失墜等無之様可取計候(中略)自然条々緩之儀於有之は曲事可申付候也
    文久三癸亥十一月(印)                                」
F/15 手頭 文久三年 諸猟方頭人同附後                    (包紙共)一通
 「   覚
  一諸猟方一通前々より之通聊猥之義無之様可心遣候境目付入組当る儀候条弥以可入念事
    (中略)
   右之通申付候条猥紛敷儀無之様入念可相勤者也
    文久三年癸亥四月廿七日(印)                             」
F/16仰出 元治元年・慶応二年 諸猟方同目附       (包紙トモ)二通
 1「  追加
   御猟場且御漁場所今又左之通被 仰付候
    (下略)
   元治元年甲子十二月                                   」
 2「  追加
  一又被官百姓町人網鉄炮ヲ以致諸猟候者於有之者(下略)
    寅十一月廿五日                                    」
F/17 手頭 文久三年 山方頭人同附役                     (包紙共)一通
 「   覚
  一山方諸事其方共江注進候上は万廉直にして聊猥之儀無之様可相勤事
    (下略)
   文久三癸亥年四月廿七日(印)                              」
F/18 手頭 慶応四年 蔵方頭人小路方役                    (包紙共)一通
 「   覚
  一小路筋家居塀垣掃除等不見苦様兼而可見計事
    (下略)
   慶応四戊辰年五月(印)                                 」
F/19 手頭 慶応四年 検者方頭人同付役共                   (包紙共)一通
 「   覚
  一検者方之義代官村役之目附候条第一自身之行跡を嗜毛頭非分無之毎物廉直にして百姓之盛衰所務之損益代官村役之勤怠迄入念致見聞善悪とも蔵方頭人江可申届事
    (中略)
   慶応四戊辰年五月(印)                                 」
F/20 手頭 文久三年 蔵方頭人同附役共                    (包紙共)一通
 「   覚
 一蔵方之義公私之勤一切之費用物成を以相整候半而不叶義候得は出納之基本可為専要候
    (下略)                                       」
F/21 手頭 文久三年 検者方頭人                            一通
 「   覚
  一検者方之儀其方共江申付候(下略)
    (下略)
   文久三癸亥年四月廿七日(印)                              」
F/22 仰出 午九月 物書所                               一綴
 「今度十左衛門長崎御逗留中無余儀訳有之致他出候半而不叶節ハ其時之物書所相届可任差図義別紙を以被  仰出候通候(下略)
   午九月                                    物書所    

   (以下請書連印)                                    」
F/23 追加 卯二月 物書所                               一綴
 「不審番之儀(下略)」
F/24 追加 卯十月 物書所                               一綴
F/25 追加                                       一綴
 「御次日間壱人ツ、暫時之外出被差免候(下略)」請書連印を付す。
F/26 天正五年同八年隆信様御代着到、天正五年佐賀須古御奉行御役人、御祈願所三十二箇寺、永禄十
一年高野山本願院奉加帳写                                  一冊
F/27 与着到 元禄三庚午年十二月廿二日
 「   武雄市進与
  鉄炮弐拾五挺                        空閑源左衛門
                                立野甚五大夫
   (下略)                                        」
F/28 侍組着到 享保十年巳十一月改之                          一冊
 「 物成弐千五百石
     弥平左衛門組
  一物成弐百石内加米五拾石               侍与代三上与惣左衛門
   (下略)                                        」
F/29 着到 宝暦十四甲申年
 「   座次次第
                                武雄十兵衛
   (下略)                                        」
F/30 着到 明和年間                             (表紙欠)一冊

 以下、31安永十五年、32天明八年、33寛政元年、34寛政二年、35寛政三年、36寛政四年、37寛政五年、38寛政六年の着到各一冊。いづれもF/29と同様のもの。  

F/39 惣着到 寛政五年四月写                              一冊
 「天明六丙午七月御手元御改丑四月長崎御仕組方江拝借御座候を写置候也             」
 「一物成百五拾石   大与頭武雄要人
   (下略)                                        」
   

 41惣着到 寛政七卯年二月も「天明六丙午七月御手元御改写従佐嘉借用ニ相成写置候也」とあるので、39と同一の惣着到である。
F/40 着到 寛政六寅年                                 一冊
 以下、42寛政七年、43寛政九年、44寛政十年、45寛政十一年、46寛政十二年、47寛政十三年、48年未詳(享和二年カ)、49享和三年、50享和四年の着到各一冊、いずれも29と同様のもの。
F/51 着到(享和・文化年間)                         (丹冊帳)一冊
F/52 座席組着到 文化弐乙丑歳
 「   座席之次第
  地形百五拾石永野村 武雄要人
  同百石内 上西山村 花嶋村 武雄八兵衛
   (下略)                                        」
 以下、53文化三年、54文化四年、55文化五年、56文化九年、57文政十年の座席組着到各一冊、いづれも52と同様のもの。  

F/58 惣着到 文政十三寅正月改
 「一御物成百石                      大組頭武雄文左衛門
   (下略)                                        」
F/59 組着到 安政六未年                                一冊
 「   弥平左衛門組
  御陣場奉行より士組代兼  物成弐百五拾石             中野数馬
  御小荷駄奉行内加米百廿五石切米百五拾石            松永五左衛門
   (下略)                                        」
F/60 石席惣着到 慶応元丑秋改 御蔵方                         一冊
  物成
「一定米百石                           武雄一之進
   (下略)                                     」 
F/61 惣着到 明治三庚午夏改 役所                           一冊
 「 組次第
  一ノ御先 後藤兵部組
  二ノ御先 鶴田邦衛組
  一ノ御側 後藤元一郎組
  二ノ御側 十肥新十郎組
  三ノ御側 武雄易之助組
  一御物成百石                    武雄一之進
                         大隊長武雄易之助
   (下略)                                        」
F/62 佐賀藩着到
 「物成弐万九千三百壱石
  知行七万三千弐百五拾弐石五斗 鍋嶋加賀守
  物成弐万千五拾石
  知行五万弐千六百弐拾五石   鍋嶋甲斐守
   (下略)                                        」
F/63 武雄団結給禄着到 地                               一冊
 「定米百五拾石
  一現米弐拾九石七斗○(朱丸)武雄一之進
    「増米弐石壱斗 鳥梅予入」
   (下略)                                        」
F/64 配分帳 元禄六癸酉年卯月日                            一冊
 「一定米百五拾石                          武雄市進
   (下略)                                        」
  御配分帳 宝永四戊亥年                                 一冊
 「一米百七拾石内 地方百五拾石 加米弐拾石             武雄市進
   (下略)                                        」
  66宝永七年の御配分帳も同様のもの。
F/67 (御配分帳 天保〜嘉永頃カ)
 「一御物成百石                      大組頭武雄清左衛門
   (下略)                                        」
F/68−1 上総家来知行切米其外身柄附 明治二巳五月 司籍局御用被差出候地
 「   親類
  一物成百五拾石五十四才             請役武雄一之進居所西田小路
    但当節三部半所務高
     現米五拾弐石五斗
   (下略)                                        」
 親類以下、番頭、平士、茶道、歩行、足軽の順に記す。68も同様。
F/68−2 上総家来嫡子年齢并役附 明治二巳五月 司籍局就御用被差出候也
 「   親類
                    武雄一之進忰  易
      十九歳                 武雄要之助
   (下略)                                        」
F/68−3 新足軽名前其外居所附 明治二年巳八月   (朱書)司籍局被差出候地也
「   新足軽
  一米壱石充 廿四歳                 山口利助居所真手野村
   (下略)                                        」
                                          以上三冊合綴
F/69 寺社家中小性諸職人御舟子給禄附                          一綴
 「但数年跡式子被 仰付処当十一月跡式被 仰付候事
  一現米壱石六斗五合                       野田春英
     中小姓諸職人船手之者
  一同七斗五升六合                       大串長左衛門
   (中略)
  定米三拾五石弐斗弐升八〓
  一現米弐拾壱石四斗                武雄村 六歩壱厘取納 武雄社
   (中略)
   〆 定米三百六拾壱石六斗六升三合五〓
     取納米八拾九石五斗壱升五合六〓                            」
F/70 武雄藩士住居地誌                                 一冊
「西田小路                        武雄一之進 武雄易之助
   (下略)                                        」
F/71 鍋嶋弥平左衛門組 安永二年巳十二月                        一綴
 組着到。
F/72 (回章 名順留)                                 一綴
 武雄要人、一之進殿、道之輔殿、小川雄一郎、鶴田大衛の各組内の侍名を並べ、頭に墨点、脚に朱点を打ってある。
F/73 御直士姓名簿 慶応元年写之                            一冊
 「   井内
  物成六拾石   監(朱書)            中ノ館 小右衛門
     伊東
  物成五拾五石  誠(朱書)            嘉兵衛 嘉右衛門
   (下略)                                        」
  イロハ順に記されている。
F/74 足軽組別姓名年齢与代書上げ(明治初年)                      一巻
F/75 手明鑓姓名簿                                   一冊
 裏表紙ウラに「芳道(花押)」と署判あり。イロハ順に記されている。
 「   石丸
  切米拾五石   孫(朱書)                    利平太
   (下略)                                        」
 (插入文書)「手明鑓頭」姓名書上げ                           一枚
F/76 御近衛大砲方姓名書上げ                              一綴
F/77 席順(明治二年カ)                                一綴
 「   席順
                                  武雄一之進
              大隊長 巳七月依願改名 易之助 武雄要之助〓〓〓
   (下略)                                        」
F/78 御側役繰 従慶応二寅九月到同三卯八月                       一綴
 「   御備立方
                                 千綿左仲太(印)
                                 木下儀一
   (下略)                                       」
   

 御備立方、同附役、御什物方、御甲胄方、御馬具方、御側大御目附、御側中御目附、御腰物方以下御側諸役人の名簿。81御側役繰 従慶応三卯九月到同四辰八月、83同 従明治元辰九月到同二巳八月の各一冊も78と同様のもの。
F/79 詰繰 従慶応二寅九月到同三卯八月                         一綴
 「一都合心遣                          代詰鶴田大衛
                                   後藤兵部
   (下略)                                        」
 都合心遣、御側役、相談役、御玄関以下詰役人の名簿。付〓で人名人数の変更を示す。82従慶応三卯九月到同四辰八月、84従明治元辰九月到同二巳八月、86従明治二巳八月到同三午八月、88従明治四未九月到同四申八月、89従明治五申八月到同六酉八月、90従明治六酉九月到同七戌八月の役繰各一綴も79と同様のもの。     

F/80 役繰帳 従慶応二寅九月到同三卯八月                        一綴
 「請役                              武雄一之進
  同上聞                             後藤道之輔
   (下略)                                        」
 請役、同上聞、附役、御目、物書以下諸役人の名簿。85役繰帳 従明治元辰九月到同二巳八月の一綴も同様のもの。
F/87 御東西役繰 従明治三午九月到同四未八月                      一綴
 「一御次                         三番代 千綿左仲太
                                  木村 新
                                  木下儀一
   (下略)                                        」
 78と同様のものなるも、版籍奉還後の為か役名・人員ともに著減。
F/91 船乗組 元禄七甲戌江戸より御帰之節                        一綴
 御船三二人、小早一三人、小早一二人、御乗物船一二人、御馬船七人 計七九人の乗組員書上げ。記載例左の通り。
 「   御船
   主従弐人                          岡部茂右衛門        」
F/92 家中名書き (年未詳)                              一綴
F/93 御側三組 (幕末か)                               一綴
F/94 諸役人勤年数調子帳 慶応元辰八月迄                        一綴
 下記97と同様のもの。
F/95 御東西役人勤年数調子帳 慶応元丑八月迄 御目附方                 一綴

 「                           佐々木健蔵   右天保十二丑九月より御次代り詰嘉永元申八月迄同六丑九月より定詰安政四巳八月迄文久酉九月より御側役慶応元丑迄都合拾六ケ年      

    内
   七ケ年代詰
   九ケ年定詰
   (下略)                                        」
F/96 三懸境界方役々勤年数調子 慶応元丑十二月迄                    一綴
 里、山内、川登の三境界方の在勤年数を記したもの。記載例左に示す。
 「                           執行塘吉郎
  元治元子年九月より慶応元丑十二月迄里
  一年数
境界方頭人  
   (下略)                                        」
F/97 諸役人勤年数調子帳 慶応三卯八月迄                        一綴
 諸役人の職歴ごとに年数を記したもの。記載例を左に示す。
 「                          立野圓次郎
  弘化四未九月より嘉永四亥八月迄佐嘉御玄関
  一年数四ケ年
代詰
   (中略)
   〓年数拾八ケ年                                     」
F/98 御家中凡士分歳名附 明治未年                           一綴
 「当未五十六歳                   武 一之進
   (下略)                                        」
F/99 御行列 正徳二年壬辰五月江戸御越之節                       一綴
F/100 御行列 文化九年申四月                             一綴
F/101 長崎御留守 亥正月十三日                            一綴
 「長崎御留守                武雄幸太夫(花押)
   付役                  橋口 忠次(花押)
    御玄関
  都合火用心迄               廉鍋三郎左衛門(印)
                       空閑文太夫(印)
                       中村勘兵衛(印)
   (中略)
  右之通被 仰付候条銘々之請役無懈怠可被相勤候己上
   亥正月十三日 武 幸太夫(花押)                            」
 行列書一綴が添付してある。
F/102 安信様武雄被遊御越候刻御供人数名附(写)                    一冊
F/103 御供附 元禄七甲戌年従江戸御帰之節                       一綴
F/104 御成之節仕組 元禄十丑年                            一綴
 諸役人任命簿で、各氏名の下に請印がある。
  105、106も同様のもの。
F/107 道中仕組 元禄十四辛巳年                            一綴
F/108 道中仕組 戌三月七日茂紀(花押)                        一綴
F/109 道中仕組 宝永三戌十二月三日茂紀(花押)                    一綴
F/110 江戸御供附 正徳二壬辰年五月                          一綴
F/111 明和七年御出府之節留書 写                           一綴
 九月朔日の家督御礼登城から明和八年二月十七日の任官祝儀にいたる諸行事の記録。
F/112 手廻不寝番附同警固組跡勢不寝番附同警固組諸番所并番人割付 寛政十戊午年     一綴
F/113 江府御供附他諸仕組綴 文化二年三月                     九点合綴
 1江府御供附
 2条々
   茂順(花押)と請連印あり
 3大里海道・東海道宿割
 4中国路御供并船乗仕組
 5於江戸与合御道中并江戸御逗留中不寝番
 6於中国路泊休自然火事之節仕組
 7於道中泊休自然火事之節仕組
 8於江戸自然火事之節仕組
 9於江戸自然火事之節内証仕組
F/114 長崎御供帳 文化三年                            四点合綴
 文化三丙寅年五月殿様御家督後初而之御越ニ付御附添御供尤御帰之節は諫早よりは不時その他四点
F/115 御供附御宿割御船割付御船小早之時御仕組                     一綴
 年未詳であるが、江戸御供に関するものである。
F/116 道中仕組 申十二月廿六日茂正(花押)・茂紀(花押)               一綴
F/117 長崎御供 宝永四丁亥年                             一綴
F/118 御供附写                                    一綴
  119、120の二綴も同じく年未詳の江戸御供附であるが、119は前欠、120は後欠である。
F/121 借船                                      一枚
F/122 嶋御廻之節御供仕組                               一綴
F/123 道中宿割 元禄七甲戌年従江戸御帰之節                      一綴
F/124 御手廻陸地御越宿割 天明八戊申年九月 (後欠)                 一綴
F/125 陸地御越御供 天明八戊申年九月                         一綴
F/126 道中宿割                                    一綴
F/127 宿割                                      一綴
F/128 参府道中宿付他断簡                               五枚
F/129 小屋割番組 元禄十丁丑年                            一綴
 江戸供衆の小屋割。茂紀の花押がある。
F/130 正徳二壬辰年於江戸小屋割                            一綴
F/131 小屋割                                     一綴
F/132 道中火事之時仕組 元禄十丁丑年                         一綴
F/133 於道中火事之時仕組 元禄十四辛巳年                       一綴
  134 は同表題 年未詳                                一綴
F/135 於道中泊休江戸自然火事之時仕組 辰五月廿日茂正印                一綴
F/136 於江戸火事之時仕組 元禄十丁丑年                        一綴
F/137 江戸留守中火事之時火消仕組 元禄十丁丑年                    一綴
F/138 江戸留守中自然火事之時仕組 宝永二酉年                     一綴
  139 は同表題 宝永三戌年                              一綴
F/140 於江戸火事之時仕組 宝永三戌年                         一綴
F/141 同前 宝永四亥年、江戸御留守中火事之時火消仕組 同年              二綴
F/142 自然御屋敷中火事之時仕組 元禄十五年                      一綴
F/143 自然火事之節長屋御門固 文化九壬申四月、自然上尾敷近辺火事之時         午二
 月廿三日 武雄市進(花押)                                二綴
F/144 自然火事之節仕組 従慶応二寅九月至同三卯八月                  一綴
 「一都合心遣                       千綿左仲太(印)
                              木下 儀一
   (下略)                                        」
  145 は同表題、従慶応三卯九月至同四辰八月
F/146 長崎留主自然火事之節仕組 文化九手申四月                    一綴
F/147 長崎御往還中自然火事之節御仕組                         一綴
F/148 江戸留守仕組 元禄十丁丑年                           一綴
  150 同表題 宝永二酉年                               一綴
F/149 於江戸番組 元禄十四辛巳年                           一綴
F/151 江戸留守仕組 宝永三年                             一冊
F/152 於江戸仕組 宝永二年                              一冊
F/153 於江戸仕組 宝永三年                              一冊
F/154 江戸留守仕組                                  一冊
  155 も同内容。
F/156 仰出                                      一冊
 江戸屋敷の外出の規定など。
F/157 自然出勢之節留守仕組 慶応四年辰六月                      一冊
F/158 御屋敷御留守仰出                                一冊
F/159 佐嘉屋敷留守仕組                                一冊
F/160 御出勢御留守詰繰 慶応四年六月                         一冊
 内題は「御留守中佐嘉御屋敷詰繰」とあり。
F/161 江戸御供付                                   一冊
F/162 天守木割仕様帳 寛政十三年                           一冊
F/163 御茶屋仮役所普請覚
F/164 立切其外御調帳 嘉永元年六月                          一冊
F/165 浜御蔵屋鋪畝数覚 正徳四年六月                         一冊
F/166 表御門出入調子帳 慶応四年辰八月                        一冊
F/167 寺村御渡海船之仕組控 (享保年間)                       一冊
F/168 肥前一国道則帳并古城間数其外 慶安二年                     一冊

 以上のFの分類の中に含まれる家臣団関係の史料の性格を、整理しておけば次の如くなろう。手頭(法令)では、各役職の任務の内容がわかる。この史料は、文久三年と慶応四年のものが多い。着到(分限帳)の写が中期のものを中心に大量にあり、家臣団構成は、かなり明確になる。配分帳は着到と同種の史料であ
る。役繰は役人帳で、幕末期はほぼ毎年ある。調子帳は諸役人の勤帳であり、仕組は役人の配備を示している。
   G 財政・貢租    

G/1 諸村田畠斛積帳(写) 寛永十九年六月                        一冊
G/4 領分付肥前国郷帳 元禄十四年                            一冊
G/5 午御物成御積 正徳四年                               一冊
G/6 米穀出来高寄調子 文久元年                             一冊
G/7 御小納戸請銀払目安 慶応三年                            一冊
G/9 入筈請取帳                                     一冊
   I 軍事・外交・近代科学
I/1 軍役・仰立覚 天保九年
I/4 御軍役之定 文久二年
I/5 出陣供付 天保六年
I/6 佐嘉御武具屋ニ有御鉄砲 明和九年
I/7 同           天保四年
I/8 同           同
I/9 御側御筒控帳 天保五年
I/10 同      天保八年
I/11 御弓帳 御弓方 天保七年
I/12 御側御筒其外帳 天保九年
I/13 同        天保十年
I/15 御鞍鐙有物調帳 嘉永元年
I/16 御側御筒帳 弘化二年
I/17 御武具屋有物調子帳 元治二年
I/18 御甲胄有物調子帳 元治二年
I/19 武雄御武具屋預ケ御例筒
I/20 御当用御馬具附帳 明治二年
I/21 御武具屋有物帳 明治四年
I/22 肥前名護屋陣所記(写)
I/23 嶋原高麗関ケ原柳川御陣之節武雄勢分捕并戦死書附
 24・26 も同じもの。
I/25 柳河有馬其外所々戦功御改書出帳 元禄三年
I/27 (有馬御陣の際の鍋島諸家の家来戦死手負名付)
 「享保十九年寅五月諸家御改之節摂津守殿〓書出之写」とある。
I/28 慶長五年以来諸与頭附 宝暦六年
I/29 唐山并諸異国雑記
I/30 同
I/35 長崎御仕組御帳写 享保十五年
I/37 自然長崎表御制禁船来着之節一左右次第跡〓相越候者仕組 寛政十年
I/38 至尓時小人数ニ而長崎相越候供附 寛政十年
I/39 長崎通并矢上残置候人数仕分帳 寛政十年
I/40 御手頭承知 寛政十年
 長崎仕組に関するもの。
I/41 寛政十二年自然長崎表黒船来着之節留守佐嘉屋敷仕組
I/42 文化元甲子年九月長崎御供
  文化元甲子年九月長崎御供仕組
  文化元甲子年九月条々
  文化元年九月長崎御留守仕組
  文化元年九月長崎御留守自然火事之節仕組
I/43 文化九壬申四月長崎御留主仕組
I/44 文化九年長崎御供
  長崎御越諸仕組
  条々(申四月の茂順の花押がある。)
I/45 諫早御渡海船乗組
I/46 天保五午年九月 御案文帳
 「長崎御供」とあり。
I/47 天保九年長崎御仕組ニ付而仰出
I/48 天保十三寅年御手頭承知
I/49 天保十一年自然長崎表御制禁船来着之節人数差越候仕組
I/50 漂流人四人之者共申立候口上書
  魯西亜国〓帰国漂流人共申立候様子書
  魯西亜船渡海航路之様子書
I/51 嘉永六癸七月十八日〓長崎表異船渡来ニ付而旦那様都合御心得被為蒙仰候一通控
I/52 同右
I/53 嘉永六年長崎表異船渡来ニ付御越方控
 「丑七月 御次」となっており、十月二十九日迄記してある。
 

I/54 嘉永七寅三月廿四日〓長崎表異船渡来ニ付而旦那様彼ノ地御固被為蒙仰付御出崎被遊候一通控
三月二十四日の項には、「一、昨夜七ツ時比〓異船渡来之合図鐘打立ニ付、御登城被遊候処、西泊御固被蒙仰候事」とあり、記載は四月六日迄ある。
I/55 嘉永七寅三月廿四日ヨリ異船渡来ニ付長崎御越一通控
I/56 茂昌長崎滞在記録 安政二年
I/57 安政二卯三月十九日〓此度異船渡来ニ付旦那様御事御出崎ニ付諫早迄之控
I/58 安政二年長崎表異船渡来ニ付御越方御日記控 御次
I/59 安政二年 長崎表異船渡来ニ付御出崎控 物書所
I/60 安政二年 長崎表異船渡来ニ付御越之控
I/61 安政二年卯三月払朗斯船渡来都合為御心遣御出崎御手配且自彼地之贈答一通控 武雄物書所
I/62 天保六年五月九日高嶋流神文納 坂部三十郎明矩より鍋嶋十左ヱ門宛。
I/63 天保六年五月九日威遠流砲術起請文
I/64 天保六年五月九日高嶋流砲術起請文
I/65 蘭製御筒剣附筒御筒取調子
I/66 覚(幕末武具代銀年賦償還ノ件 明治三年六月 上総内 木村礼蔵)
I/67 天保十四年二月威遠流砲術初段伝授箇条鍋嶋十左ヱ門より福地小一郎殿宛。
I/68 威遠流儀唱
 平山醇左ヱ門の履歴の記載を含む。
I/69 威遠流砲術中段伝授箇条
I/70 威遠流砲術初段伝授箇条 五二枚
I/71 銃陣詳節
I/72 文久三年砲術秘事鑑
I/73 砲術書
I/74 明治廿六年佐賀内庫所江被差出候書類
 天保十四年九月二十日迄の平山醇左ヱ門の事蹟。
I/75 木村礼蔵書状 野口幸左ヱ門宛
 この他に、田中作左ヱ門殿江醇左ヱ門〓返答之地書、嘉村源左ヱ門殿江木村平山〓返答之地書がある。
I/76 天保十四年六月内密之長崎両組山本清太郎〓差上
I/77 明治四年八月改武雄出張所御口器掛調子帳
I/78 天保六年四月萩野流高嶋流打控
I/79 砲銃三議 坂本俊貞編述
 「此書肥後池部ヨリ手ニ入」とある。
I/80 慶応四年七月大野村手元算用帳
I/8I 天保六年四月於田上萩野流并高嶋流稽古打打目録
I/82 野戦薬車図
I/83 萩野橋台寸法入
I/84 十六ホントモルチール口径正形
I/85 柔鉄製造法
I/86 天保九年二月高嶋四郎大夫へ未年相頼出来立候指物同人〓過半差出候、残り細工出来工合見調子控留之書
I/87 天保十四年三月二十五日調練屋敷ニ而御上覧ニ付備打
 指図 平山醇左ヱ門、小頭 丹羽作兵ヱ、増田多八郎、秀嶋大七
I/88 嶋本良順咄聞書
 アルファベット表を含む。
I/89 高嶋製ニ而出来方相成候此御方御筒寸法
I/90−93 (一袋)
 この中に天保十四卯八月炮術方書付として、平山醇左ヱ門の天保七年四月炮術書付など四点がある。また、寅十一月廿日高嶋一件書附入として、長崎高嶋良大夫〓御調入物其外控がある。
I/94−119 (一袋)
 この中に、94天保十四年田中伝左ヱ門より松尾得右ヱ門、木村利兵ヱ宛の手紙があり、大炮、モルチール、平山のことを記している。
I/120 モルチール業前口伝之上大略ヲ記シテ授之 天保十四年仲秋 鍋嶋十左衛門
I/121 武器図
I/121−2 大砲切形入
I/122 銃砲関係図面
I/123 天保六未年高嶋より伝之萩野流大砲切形
I/124 天保七年萩野流抱目録
I/125 萩野流鉄炮五拾三ケ条目録聞書
I/126 薬製
I/127 当流鉄炮打覚書
I/128 文化七年於田上萩野流鉄炮町打細工留
I/129 萩野流炮術町打細工留
I/130 天保九年七月於佃嶋沖海上萩野流船仕掛炮術火術相図打順覚
�/131於佃嶋沖海上萩野流炮術昼夜合図稽古打順覚
�/132ボンベカノン〓
�/133(書類)
  砲術と平山らに関する天保十四年九月迄の歴史。
�/134銘々所持小銃控
�/135練陣正格
�/136騎戦船戦之大密説
�/137砲術書
�/138砲術書
�/139重宝記
  度量衡に関するもの。
�/140軍学につき演説書
�/141攻城書天保四年平山周道
�/142レートダラート 六章
�/143一八四四年ニーヘルヘイド
�/144新術船仕掛防州極文化八年写
�/145周発図説壬子秋九月十五日坂本源俊現より坂本俊忠宛
�/146加賀硝石作り法
�/147西洋馬術叢記七冊
�/148殿様御上覧仕与人数
�/149玉薬出願口上覚
�/150−161砲銃関係諸覚
�/162諸控天保八丁酉年(天保五年−天保十四年五月)御石火矢方              一冊
  「天保五午年中
 一九月日〓長崎御越之節彼地町年寄高嶋四郎兵衛と申者萩野流砲術師範忰四郎太夫……四郎兵衛へ御入門被遊右御稽古御取次平山小平江仰付御帰国後同人長崎被差越事  」  

 など、高嶋秋帆(四郎太夫)や砲術関係の記載がある。
�/163硝石方諸道具入合塩硝直段岡拵控天保十五年辰九月ヨリ佐藤忠助古賀
  貞左衛門 中村弥兵衛                                  一冊
I/164 硝石硫黄請払帳 嘉永六丑十一月改 千綿左仲太 佐藤忠助             一冊
 「安政二卯十二月千嶋丸御買入中〓
  一硝石五拾斤
   精製方ニ出ル精製硝石三十三斤雑塩交リ七斤取ル十斤ノ欠也
   右へ御囲ニ成
   内精製硝石五斤辰十月十五日御持参拵用横田一に御渡
   (下略)                                        」
I/165 白炭出入帳 安政三辰二月より 佐藤忠太其外                   一冊
I/166 硝石焚方御道具帳 万延元申六月 山口昇                   横帳一冊
I/167 御製薬方諸道具附 文久二戌十一月廿五日調子三ノ宮御蔵に納 御製薬方       一冊
I/168 (覚 表紙ナシ)                             十数枚一綴
 御筒方・御餝方・御家具方・御画方・能方等の道具目録などが記されている。
I/169 長崎御註文方控 慶応二丙寅四月—十二月                   横帳一冊

 武雄鍋嶋家らは長崎の商人竹林祐作を用達として同地に於て銃砲・種々の薬品・軍事関係の洋書などを買入れさせていた。これはその関係の控である。註文したものの到着、値段についての交渉などをこまごまと記したもので、英商ヲールトの名も見え興味深い。一部を写真撮影した。  

I/170 長崎御註文方控 慶応三丁卯正月〓                      横帳一冊
  169 と同じ種類のもの。
I/171 異国御註文器械御取入方長崎贈答控 慶応四戊辰正月—(五月十四日)      横帳一冊
  169、170と同じ種類。
I/172 日本慶応二年寅十二月十七日英商ヲールト江武雄政府注文長崎渡来之上於商会品物受取候取極
直段定約書                                         一枚
 武雄用達竹林祐作から英商ヲールト氏宛、ゲウェール三ケ月に五拾挺外、代洋銀四千枚ニ極メ云々とある。
I/173 辰三月十九日拾弐封度アルム銃其外注文定約書写入                袋一枚
  同月焔硝硝締刻其外之器械直段申出候書付写入                      袋一枚
  文久二戌十二月被為蒙仰候御書付并袖印本○本惣番皮袖印本
I/174 慶応三年卯三月七日オールト定約書写 日本慶応三年卯三月七日
 「武雄政府注文竹林祐作と致約定候品々渡来之上長崎於オールト商会ニ受取候取極直段約定書
   (中略)
  右等之次第申上度如斯御座候恐惶謹言
   卯三月八日                                 竹林祐作
    千綿左仲太様
    木下 儀一様                                     」
I/175 註文物約定書 慶応二年十一月二十日註文武雄聞役竹林祐作
I/176 慶応二年十二月十八日定約書
 竹林から英商オールト宛。
I/177 慶応三年卯六月定約書
 「フランス製造極上品写真鏡壱揃                          代洋銀五百枚
  右之通都而七八ケ月之内持渡可申約定取極メ                     竹林
   六月七日
   英商オールト氏宛                                    」
I/178 慶応二寅十一月ヨリ英商オールト江御註文方定約書納               袋のみ
  惣金差引勘定覚                                   三枚一綴
 『武雄市史』に引載あり。
I/179 (袋上ハ書)「辰正月己来舶来品代銀請払略目安 慶応四辰正月ヨリ竹林祐作」 十一点一袋
  ・覚 正月廿一日 竹林祐作より籏嶋右馬助 松尾勝之助あて                一枚
  ・ゴム塗合羽地五拾反註文定約書 慶応四辰閏四月 オールト               写二枚
  ・辰二月七日竹林祐作より大宅軍左衛門宛
  ・火薬製造器械ウヲルス註文横文字和解書 慶応四辰閏四月
  ・オールト江御註文物代金惣見積リ金差引覚
  ・御仕払物勘定覚
  ・追々渡来之積り略目安
  ・オールト御註文金差引凡ニ〓左ニ
  ・塩硝一日ニ凡七拾ホント〓百ホント位之製作器械彼国ニ而凡直段
  ・条約書和解 ヲールト社中宛
  ・金差引略目安
I/180−188 (封筒入)
 (封書上書)
 「幕末武谷関係
   覚 書状                               平山醇左衛門
                                      河原蟠平    」
I/180 手覚
 野戦筒鋳立などの件。
I/181 (申四月 凡目論見)                              一通
 「御筒外鋳形……地金之儀はたゝらニ而湧し立候方可然奉存候就而はたゝら場拵左之通……
  右之通凡目論見前御座候已上
   申四月                                         」
I/182 (十二月五日伺書)
I/183 毛絨ヲ彩色染スル括套                              一冊
 (武県庫籍の罫紙を用う。)
I/184 
 1平山醇左衛門書状 木村礼蔵(側用人) 旗嶋寿兵衛宛               (二通一包)
 

  「閏正月廿二日高嶋四郎太夫江江戸〓之手紙姫路ニ而相達候由ニ而……与力格ニ召成され候筈……(しかし)与力之格位ニ而ハ同人望ニ而無之……                           」   

 2平山醇左衛門書状 四月 木村礼蔵 旗嶋寿兵衛宛 (包紙入、三枚一綴)
I/185 河原蟠平書状                             包紙二、本紙一
I/186 火薬ノ火ヲ受容スルニ由テ消石中ニ含ム所ノ……                二枚一綴
 (切断されている。)
I/187 平山醇左衛門書状 二月十六日 木村礼蔵 旗嶋寿兵衛宛           包紙入一通
I/188 (覚書)                                    一通
I/189 長州御征討出馬仕組 元治元子十二月                     横帳一冊
 先手頭以下医師、具役に至る。
I/190 御印帳承知 元治元子十二月
 「長州御征討御出馬仕組御印帳之旨可被得其意候              武雄一之進○(印)
  御印帳之趣承知仕奉得其意候                      立野象次郎○(印)
千綿左仲太○(印)
                                        (以下略)  」
I/191 (表紙ナシ) 元治元子十二月                          一冊
 「長州御征討一左右次第出勢仕組 大与頭武雄要人                       」
I/192 (表紙ナシ) 元治元子十二月                          一冊
 「長州御追討出馬仕組 先手頭武雄一之進                           」
I/193 御出陣御留守武雄仕組 慶応二年寅六月
I/194 御出陣御留守佐嘉御屋敷仕組 慶応二年寅六月
I/195 長州御追討一左右次第出勢仕組
I/196 長州御征伐御出勢仕組御印帳写 慶応二丙寅年正月
  御出勢御仕組御印帳 慶応二丙寅五月
I/197 御印帳承知 元治元子十二月
 (表紙ナシ)長州御征討一左右次第出勢仕与
  長州御征伐敵地入仕組 御備方
I/198 御出勢仕組地取 慶応二寅年三月
I/199 (袋上ハ書)「長州御征伐御出陣ニ付而御備立方其外江差出候書附并図面入 御備立方」 一袋三枚
  図面(1)(大きいもの)                                一枚
    (2)慶応二寅六月長州御征伐……御伐立方被差出候陣営図               一枚
    (3)御備方被差出候陣図 慶応二寅六月                       一枚
I/200 御出勢仕組草創 慶応二寅三月
I/201 御直御軍制御潤色等之諸御書附写 慶応二寅夏輯 但長州御征伐方御書附附録之    一冊
I/202 長州為御征伐茂昌公御出馬一通記録 慶応二丙寅夏                 一冊
I/203 御出陣人馬積帳 慶応二寅六月
I/204 (御行軍順序 二巻)
I/205 慶応四戊辰夏五月練兵之趣被聞食速ニ関東出張大総督宮随従進退指揮ヲ受ケ勉勵スヘキ旨朝命ヲ蒙リ候事
I/206 御出勢人馬□(積カ) 慶応四年辰六月 小荷駄方
I/207 北越諸藩御沙汰書写
I/208 
 (箱書)「明治元戊辰七月十七日御参内於小御所出御被拝天顔其後輔相岩倉殿御演舌之上御渡御書付」 
                                             箱入
  覚三通
  (袋上ハ書)「岩倉殿〓此御方へ被遣且羽州兵隊へ分配之品々等之目録写」
  目録の内容は御誓文五百枚、日誌五冊、六千五百両(?)などをわけることになっている。
I/209 (表紙ナシ、慶応四戊辰五月)                         一冊
 戊辰戦争の経過を記したもの。
I/210 羽州御陣中御案文帳 明治戊辰七月ヨリ                     一冊
 鍋島上総宛と同人差出の書状案文帳。
I/211 茂昌公羽州御陣中記 明治元戊辰六月ヨリ                    一冊
I/212 (戊申の役従軍の掟)                             一巻
I/213 手頭 慶応四年八月                            袋入り一
 羽州出兵に関するもの。
I/214 軍陣掟(袋入り)
I/215 鍋島上総奥羽督府并出張兵隊等御沙汰書                     一冊
I/216 (包紙上ハ書)「兵庫より北陸へ傭船契約附佐賀藩士高木権太夫よりの書状」    一包
 ・(包紙上ハ書)「兵庫ヨリ北国へ傭船条約書 阿蘭陀コンスル」
  (1)英文                   一枚(『武雄市史』中巻 33頁ニ全文アリ)
  (2)邦文「条約」               一枚(『武雄市史』中巻 12頁ニ写真アリ)
 ・包紙(前ニ同ジモノ)                                 一枚
I/217—219 (陣立図)
I/220 (陣立人数)
I/221 第壱番隊佐賀出兵人数
I/222 主従人数附并用意物附 慶応四年六月
I/223 九条道孝書状 鍋島上総宛 慶応四年九月
I/224 (徳川慶喜追討・会津征討についての東北諸藩への達書写)
I/225 辰八月ヨリ羽州御陣中戦死傷控
I/226 東北遊撃軍将御本営達書 酒田滞陣の鍋嶋上総宛 明治元年十月
I/228 軍令 慶応二年
I/229 副大隊長より輜重録事迄出勤日数調子帳 職事方 自明治二年十二月至同四年六月
I/230 出陣仕組(写) 明治二年
I/231 羽州戦争記                                  四冊
 武雄鍋島家が秋田攻めに参加した際の戦記。
I/232 人数凡積 (戊辰戦争時)
I/233 敵地入仕組 (戊辰戦争時)
I/234 御出陣御供用意物并主従人数且壱組之人数積
I/235 御出勢御仕組承知印形帳
I/236 御備立方被差出行軍地
I/237 出陣仕組
I/238 御行軍順序控
I/239 (遊撃隊の名前)
I/240 同
I/241 御出馬仕組帳
I/242 出陣仕組
I/243 同
I/244 (近衛の名前)
I/245 所々巡羅番兵其外予備
 名前の書上げ。246〜248は同種のもの。
I/250 殿様武雄山為御狩被遊御越之段申来候一通 宝暦七年
I/251−388 
 兵法、馬術、犬追物の史料である。
    K 日記・記録
K/1 御日記艸書 天明五乙巳歳
K/2 御日記艸書 天明六丙午歳
   (中略)
K/51 御日記艸書 天保六乙未歳

 1から51までの五一冊の連年の日記は、武雄鍋島氏が佐賀本藩において諸役についていた時の、武雄鍋島氏のお側日記である。江戸下向の時や武雄逗留中の記録はここに記されず、別にまとめられている。ところでこの「御日記艸書」は、当日に記されたものではなく、後日、整理・清書されたと考えられる。
K/56 御日記地取 安永九庚子年正月元日ヨリ六月晦日マテ
K/57 御日記地取 安永九庚子年従七月
K/58 御日記地取 安永十従正月
   (中略)
K/64 御日記地取 天明四年
 56から64までの九冊は、1〜51の「御日記艸書」の先にあってつながるもので、内容は同様なものである。
K/65 日記地 天保三辰従七月
K/66 日記地 天保四癸巳従八月
 右の二冊は、それぞれ同年の「御日記艸書」(48・49)の残りの半年分で、合わせて一年分となる。
K/54 日記書抜内分之事共従天明四甲辰年
 天明四年より文化十年までの「御日記地取」〜「御日記艸書」の該当年記事の中で、武雄鍋島氏が佐賀本藩の諸役在任中の武雄に関する記事の要旨(解題)を、年月日ごとに書抜いたもの。
K/55 日記書抜 従天明四甲辰年
 天明四年より文化十年まで。54の「日記書抜内分之事共」と一対になる。これも「御日記地取」・「御日記艸書」の武雄関係記事の要旨書抜ではあるが、54と同一ではない。したがって、54と55はそれぞれ異った観点で書抜いたものとみられる。しかし、その選択の観点の違いが奈辺にあるか断じがたい。
K/67 江戸御控 従享和元辛酉九月廿五日至同二壬戌五月九日
K/68 江戸御控 従寛政元丁酉九月廿三日至同二戊戌四月八日
 右二冊は、武雄鍋島氏の江戸逗留中の記録である。この部分を同年の「御日記艸書」と重ねることで、武雄鍋島氏の動きは一連のものとして把えられる。
K/69 江戸逗留中手控 地 享和元辛酉従十一月朔日
 これは、67・68の基になるものと思われ、同日の記事は、全く同じかごく一部の違いにすぎず、筆も同じである。「地」とは、その時点(同日)で記したとの意であろうか。
K/71 武雄御逗留中控一 自天明三癸卯年同七丁未年迄五ケ年
   (中略)
K/75 武雄御逗留中控四 自寛政十戊午年至享和二壬戌年五ケ年
 71から75までの四冊は、「御日記艸書」に記されていない武雄鍋島氏の武雄逗留中の記録である。  

K/77 諸控 貞享二年                                  一冊
K/78 丙寅年諸控 貞享三年                               一冊

 在佐賀の武雄鍋島家の用人が記したもの。藩政に関する記事が多いが、虫損が甚しい。同種の諸控が、享保三年、享保五年、延享二年にある。  

K/83 諸控日記 元禄九年                                一冊
K/85 諸控 寛政二年                                  一冊
 在佐賀の用人の日記。
K/86 諸控 文化十三年                                 一冊
K/87 当役受持中手控 文政七年                             一冊
K/88 御側日記(写) 慶応四年五月〜六月                        一冊
K/89 諸控帳 天保九年                                 一冊
K/90 諸控                                       一冊
 郡方の日記である。
K/91 卯諸控 天保十四年                                一冊
 郡方の日記と推定される。
K/92 辰諸控 天保十五年                                一冊
K/93 三部所御山方御猟方諸控 弘化二年                         一冊
K/94 寺社方町方諸控 文久二年                             一冊
K/95 諸控 御山方 慶応元年                              一冊
K/96 御猟方諸控 慶応三年                               一冊
K/97 諸控 製造所 慶応三年                              一冊
K/98 巳諸控 明治二年                                 一冊

 御蔵方の控帳で、領内への示達や願書などを多く留めている。厚さは約一五センチ。
   L 書翰
L/1〜L/308 
 右の書翰は、B〜Jの分類別に封筒に納められている。このほかに、戊辰戦争時のものを中心として、未整理の書翰が多数ある。(山口啓二・小野正雄・稲垣敏子・宮地正人・高埜利彦)


『東京大学史料編纂所報』第14号p.120