大日本古文書家わけ第十八「東大寺文書之十一」

本冊は十に引きつづき東大寺図書館架蔵未成巻文書を収める。前冊では同図書館架番号に従い、1|1|1より1|1|159に至る文書を収めたが、本冊はそれに続く1|1|160より1|1|296に至る文書一四六点からなる。なお本冊の刊行により1|1架(黒田荘の部)はあと六十点余を残すのみとなった。
 個別の文書の説明は略さざるを得ないが、担当者の関心をひいたもののうちこれまであまり注目されてこなかった二点の文書について記しておこう。
 二一八の東大寺年預所記録は、嘉暦三年後半の半年間の、年預五師慶顕と別当聖尋とのやりとりがほぼ日付をおってはりつがれたものである。これは、外形上の特徴―別当仰詞書は上質の大きな紙を用い、年預五師詞書は質の劣る小さな紙に書かれ、抹消や書き直しが随所に見られることと、文書をはりついだ紙継目毎に年預慶顕の花押がすえられていること―などから、年預所側で集積・保管された記録と判断できる。記録の内容は東大・興福両寺の和談、供料の配分をめぐって、黒田悪党についての訴訟、新在家北非人について等々多様な事項が問題とされており、別当・年預・集会の相互の関係や寺内の意志決定の過程を知る上で貴重な史料となろう。
 二八三の黒田荘百姓等連署起請文は、黒田荘関連文書のうち最後の時期に属する文書であり、これまでも村井敬義本東大寺古文書などの写本で知られていたが、今回の出版で原本を復原することができた。内容は周知のものなのでふれないが、奥の五十名の百姓の連署は、現状では花押のあるもの四十一、ないもの九となるが、花押のないもののうち六人は村井本には花押が記されている。これは現在花押のあるもののうちに花押を小さな切紙に書いて署名の下に貼りつけている例が三人みられることからして、この六人の花押も同様に小切紙に書かれて貼ってあったのが、村井本から現在までの間にはがれて脱落しさったものと推定できる。また村井本に花押のない三人も、子細に見ると、抹消されている一人を除いて、薄いのりのあとが認められるので、同様の脱落と考えられ、とすれば、この文書作成にあたり、一部の人間は後で花押を小切紙に書いて提出し貼りつけるという方法をとってまで、全員の花押がすえられることが意図されていたことが知られ、まことに興味深い史料と言える。
 なお、本冊より、文書の排列は東大寺図書館において既に整理されている順に従うものとし、編年等の方法はとらないこととする。ただし、周知のように東大寺文書は一つの文書の前後がバラバラにたっていることが多い。
 そこで、本冊に入るべき文書が前欠または後欠であり、その欠損部分が東大寺図書館の他架に排架されているものについては、この他架に架蔵されている部分も併せて、原状に復し印行した。参考までに、本冊に収めた他架の文書の架番号を記す。(かっこ内は本冊の文書番号)
1|1|319(一六九) 1|3|75・76(二一八) 1|4|97(一八九) 1|12|114(一二八) 1|15|106~112(二一八) 1|24|283(二八四) 1|24|594(一二八) 1|24||635(一九五) 1|25|523(一六九) 2|3・4・5(二一八) 3|3|38(二八三) 3|3|313・314・315(二八三) 4|58(一二八) 4|135・136(一二八) 4|150(二一八) 6|7(二一八)
(例言二頁、目次一八頁、本文三〇八頁、定価四、五〇〇円)
担当者 千々和到

『東京大学史料編纂所報』第14号 p.36*