大日本古文書家わけ第十九「醍醐寺文書之九」

本冊は八にひきつづき醍醐寺文書第十三函の後半、拾よび第十四函の前半、合せて一九七点の文書を収める。文書の排列は、既に整理せられたる順に従い、編年等の方法はとらない。
収載文書は例のごとく年次・内容ともにきわめて雑然たるものあり、指摘すべき特徴的性格をもたない。ただ本冊においては、天文より天正に至る清瀧宮供田関係の算用状約四十通を収録したのが量的な特徴となっている。
個別文書の解説はもとよりこれを略すが、刊行後のいまなお編者の念頭を去らない一点をあげておこう。三一一七号文書は、応永三年八月廿二日付、山務職(山上別当職)の補任状であって、補任者の袖判がある。編者はこれを「座主満済袖判御教書」と名づけたが、この花押の形態は、通常知られている満済のそれとはかなり相違する(巻末花押一覧七四号)。しかし山上別当職の補任者は座主以外にはなく、また座主故障の場合、袖判形式の補任状に固執する必然性もない。事実当時満済の権限を代行する可能性ある者の花押中にこれと似るものを発見し得ない。満済の花押でもっとも時期的に遡り得るものは、応永九年十月五日付のものであるが(宗像神社文書四)、上述の理由から応永三年当時は別型の花押を使用していたと考えたのであるが、なお若干の懸念を禁じ得ない。
(目次十六頁、本文三二四頁、花押一覧五頁)
担当者 笠松宏至

『東京大学史料編纂所報』第13号 p.31