東京大学史料編纂所

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所報―刊行物紹介

大日本史料 第十二編之四十七

 本冊は元和八年八月十二日から二十一日までに係かる史料を収める。

 この期間のうちで政治的に大きな事件は、八月十四日高知山内藩の財政改革と同二十一日山形最上氏の改易である。前者については、元和七年是歳の条(第十二編之四十)が、改革の着手に関する史料を収めているが、今回の編纂にあたっては、その後に現地で採訪した史料を中心に、改革の全貌を明らかならしめるために、できるだけ多量の史料を収めた。なお、中心的史料の一つである「治代普顕記」については、『高知県史』近世編(昭43)を参照されたい。

 最上氏改易については、編纂上、次の諸点に留意した。第一に、この事件があくまでも改易であり、幕府が義俊に扶持した一万石の所領はいわゆる勘忍分であったことが想定されるのであるが、幕府の文書、最上氏の書き上げなど中心的史料には、そのことを明記したものはない。そのため「改易」「勘忍分」といった語を綱文で使用することは避け、その他の史料の適当な箇所にしかるべき頭註を付し、あるいは連絡按文で義俊の赦免の年月日を明記するなどの方法で、このことを暗示するに止めた。第二は、諸大名に預けられた義俊の老臣に関する史料を、可能なかぎり採録したことである。これは個々の老臣の処分理由を具体的に明らかにする上で必要であり、最上氏改易という事件の一部をなすと考えられるからである。第三には、「附録」としていわゆる分限帳を採録した。これは、元和五年の福島正則改易の条(第十二編之三十)の先例を踏襲したものであるが、本事件のように家臣団の内紛が背後に存する場合にあっては、とくに必要な史料と考えられる。

 このほか八月二十日板倉重宗の京都市中に対する九カ条の法令の条では、後年この法令が京都市中の基本法令の一つとして重視されたことが明示されるよう、編纂上の配慮を行った。

 死没・伝記史料では、京極高知(八月十二日)、正木邦時(同月十九日)がある。邦時は、「史料綜覧」では三浦としているが、本文に明らかなように、この期間同氏は正木を称しているので、綱文では正木で掲出した。

担当者 高木昭作・黒田日出男・藤田覚
欧文担当者 金井圓・加藤栄一・五野井隆史

(目次三頁、本文四二九頁 欧文目次一頁、欧文本文二頁)


『東京大学史料編纂所報』第12号p.75