後愚昧記諸本の調査

昭和五十一年二月二十三日から二十七日までの五日間、京都市京都大学附属図書館・京都市陽明文庫・名古屋市蓬左文庫に出張して左の諸本を調査した。これは三条公忠の「後愚昧記」及びこれに関連する記録諸本の調査の一部をなすものである。なお※印の写本については、京都大学附属図書館文献複写室と陽明文庫とにそれぞれ撮影を依頼した。
 京都大学附属図書館
 一、後愚昧記(菊亭本)                      ※一七巻
  本所架蔵「後愚昧記」三〇巻(自筆本、公忠息実冬の「実冬公記」の一部を含む、重文)、中の計一七巻分に相当する。但し「自筆本」巻一の分を除き紙背文書・裏書等を写していない。奥書なし。内閣文庫二九冊本の応安二年記等の奥書にいう大炊御門経光が貞享四年再校に用いた「今出川巻子本」とは当写本のことであろう。紙継ぎの順序が自筆本(巻十七等)の現状と異なる。
 一、後愚昧記(平松本)                      ※二八冊
  内閣文庫二九冊本・同一〇冊本・勧修寺一一冊・本所架蔵二九冊本・国会図書館六冊本等と共に「後愚昧記」のまとまった写本集成、所謂寄本のひとつ。これら相互の間に入り組んた大小の異同がある。
 一、後愚昧記応安四年(平松本)                    一冊
  平松二八冊本(前項)の第八冊に相当する内容の写本である。
 一、後愚昧記応安七年(平松本)                    一冊
  平松二八冊本の第十一冊に相当する内容の写本である。
 一、後愚昧記                             四冊
  東京教育大学四冊本・内閣文庫四冊本等と同系統の写本である。奥書はない。
 一、後愚昧記                           乾坤二冊
 奥書によると、文政十二年十一月久世通理が「飛鳥井家本」を借りて書写した。またその「飛鳥井家本」の一部には、内閣文庫二八冊本等の一部と同じく、寛文十一年十月下旬一条内房が正親町実豊の九冊本を書写したものである由、奥書がある。内容はすべて前項四冊本の内の一部に該当するが、記事の配列が全くちがい、若干の字句の多寡・奥書の有無などの差もある。
 一、永和日次之記敍位節会等之記(菊享本)             ※一冊
 東坊城秀長の「迎陽記」の古写本。永和五(康暦元)年正〜三月・十〜十二月、康暦二年四〜八月の分である。当写本の用紙には反古文書を裏返したものを用いている。
 一、踏歌節会記応安二年公直公記(菊亭本)              ※一冊
 三条公忠の依頼により今出川公直から注送された応安二年正月十六日の節会記の写本である。「後愚昧記」の数種の写本において同日条正記に継がれているが現在の「自筆本」には欠けている。
 一、後円融院御元服并御受禅記応安四年三月廿三日(菊亭本)      ※一冊
 「後愚昧記」応安四年三月廿三日別記ほかの写本で、数種の写本では同日条に継がれているが、同日条正記と共に「自筆本」には現存しない。
 一、日記応安四年後三月・四月・五月・日次記嘉吉天正公維公嘉吉三年十二月同四年正月・二月、天正二年正月、同六年正月、同五年二月十六日拝賀之事(菊亭本)    ※二冊
 前者は、「後愚昧記」の数種の写本によれば前項の直後に接続する内容をもち、応安四年五月十七日条まである。「自筆本」には現存しない。
 後者は、中原師郷の「師郷記」の抜書と徳大寺公維の「公維公記」の一部(天正十二年十月廿九日公維が書写した東常縁消息を含む)とを合せた写本である。
 一、実冬卿記弘安八年・実冬卿記応安四年               ※二冊
 前者は、滋野井実冬の「北山准后九十賀記」の写本である。
 後者は、本所架蔵「後愚昧記」自筆本巻十に相当するが、内容は公忠の「後愚昧記」応安六年正月、永徳二年四月・五月正記断簡と転法輪三条実冬の「実冬公記」至徳四年正月・三月正記断簡等をあわせたものである。当写本の配列は紙継ぎ毎に「自筆本」と異なるが、書陵部本や勧修寺本の「実冬公記」一冊とは一致している。
 陽明文庫
 一、後愚昧記(豫樂院本)                     ※三二冊
 上質紙を用いた清書本で、巻末に(石井)行豊・(竹内)惟庸・(平松)時方の署名が散見する。内容は当写本一冊分を除き京大平松二八冊本中二二冊分の内に包含される。貞治六年の冊は重複し、冊分けは、平松二八冊本より細分されているものがある。両本の先後関係は未詳。
蓬左文庫
 一、後愚昧記                             三冊
 元禄六年三月・同十一年六月等に探題大僧都覚保が中心となつて書写した前掲の四冊本系統の写本で、全体を三冊にしている。(菅原昭英)

『東京大学史料編纂所報』第11号